2013.4 合田玲英
《 まえがき 》
去年の11月に、グルジアを訪れる機会がありました。ワイン生産者や、ワインにまつわる写真を主に撮っている、写真家のkeiko & maikaさん、お二人の取材について行かせていただけることになったのです。また滞在期間のうち2日間は、代表の合田も行動を共にし、大いに助けていただきました。
keikoさんmaikaさん、お二人は数年前に、ヨーロッパでの試飲会でグルジアの方々が出展していたことをきっかけに、何度もグルジアに足を運び、現地の方々と交友を深め、時には何日も滞在し、仕事を手伝い、そうすることでしか見ることの出来ない、素晴らしい写真を撮ってきました。お二人の写真に写っている方々の表情を見ると、その信頼関係がうかがわれます。また、お二人は以前にも、ラシーヌのカレンダー用の写真を撮ってくださいましたし、Facebookでも写真を載せているので、すでにご存じの方も多いかと思います。お二人が築いてきた、グルジアの方々の輪に入れていただき、とても貴重な体験が出来ました。本当にありがとうございました。
《 グルジアワインの概要 》
グルジアの気候はどの地方も温暖で雨が多く、車で走っていても大きな河から小さな川までよく見かけました。
道路わきには、たぶん鯉だと思われるのですが、40㎝位ある黒い魚を釣り人が何人も、何匹もぶら下げています。それでも、首都トビリシを真ん中として東西に分けると、東はより暑く乾燥していて、西は降水量もかなり多いそうで、ブドウの病気の対策が大変なのだそうです。
ワイン造りは、地面に埋めた甕で発酵、櫂入れはするけれども、白ワインは昔からの方法だと、ブドウの房を丸ごと6か月間マセレーションの後に、瓶詰め。赤ワインは房から粒を外すことも多く、1~2ヶ月のマセレーションの後に、甕を移し替えて冬を越してから、瓶詰め。というのが一般的なようです。
《 首都トビリシの印象 》
最初に驚いたのは、空港の様子でした。早朝4時に着きましたが、ガラス張りのターミナルにライトが当たっていて、ヨーロッパの空港と同じように、あるいはそれ以上に、綺麗に整備されていました。
市内は一見、近代的ですが、それは表に面しているところだけであって、少し裏に入るとまだ整備が行き届かず、寂しい雰囲気の場所も多いです。道路の状態も、空港から市内への大きな道路以外は、段差だらけの穴だらけ。主要な道路以外は、様子を知らないと危なくて動けません。
ソヴィエト時代には整備されていたらしいけれども、独立してからは整備するだけのお金もないみたい。もともと土で車の往来によって踏み固められた道の方が、幾分か運転するのに快適で、一度敷かれた道路が整備されないと、土の地肌の山道よりも悪路になるようです。
《 カヘティ地方・Our Wine 》
首都トビリシの東に位置し、グルジアの他の地方に比べると、降水量は低く、温暖。カヘティでは去年の自然派ワインサロン、ルネッサンス・ドゥ・アペラシオンにてkeikoさんとmaikaさんがご紹介した、Our Wineのソリコのところに行きました。トビリシから車で東に2時間弱で、相変わらずの酷い道。貨物の積みすぎでまともに速度の出ないトラックが、悪路のせいで横にゆさゆさと揺れながら走っていて、それを追い抜こうにも、もたもたしていると、これまた人をぎっしり載せた乗り合いバスに、自分が追い抜かれていくという具合です。
Our Wineは、ソリコを含む四人のグルジア人と二人のイタリア人の、友人のグループでお金を出し合ってワインを造っています。グルジア人のメンバーは、子供のころからの友人で、職業は哲学者や医者と、様々で、甕仕込みでの伝統的なワインを守ろうと、立ち上がったのです。出資はみんなでしたけれど、ワイナリーで実際に作業をしているのはソリコ。他の人は収穫の時など人手の沢山いるときには手伝いに来るけれども、普段は町での仕事が忙しい そうです。Our Wineに限らず、専業でワインづくりをしている人には、ほとんど会いませんでした。どなたも、もともとは自家消費用だったものが、だんだん生産量が増えてきた、または、甕ワイン文化を守るために兼業でワイナリーを経営、という人達ばかりです。
ソリコの家に着くとちょうど、チャチャ(蒸留酒のこと。また、浸かっている果皮のこともチャチャと呼ぶ)を造っている最中でした。ジョルジアではマセレーション終了後に、果皮を圧搾するということはしないで、上澄みだけをとって、まだ沢山果汁を含んだ果皮を蒸留するのが一般的のようで、どのワイナリーに行っても、蒸留器が置いてあります。蒸留器といっても、とっても簡単で、チャチャを沸かして、冷やすだけ。
それからソヴィエト時代、ワインはほぼ取り上げられてしまっていたそうで、ワインを取り上げられてしまったグルジア人たちが、飲んでいたのが果汁をたっぷり含んだまま蒸留したチャチャ。今でも、食中酒には、チャチャを飲むことも少なくないようです。
僕らがつくと、昼食の準備を始めてくださり、奥さん手作りの料理と、ワイン、出来上がったばかりのチャチャをいただきました。ジョンジョリ(木の花の漬物)、豆のスープ、ヤギのチーズ、ホウレン草のパイ、赤カブのサラダなどなど。どれも素晴らしくおいしく、また彼の少し癖のある力強いワイン、検査では買ったアルコール度数からは考えられない、水のようにいくらでも飲めるチャチャとよく合います。
昼食の後はセラーでの仕事を見せてくれました。
セラーはグルジア語ではマラーニといいます。セラーと言っても、ヨーロッパのセラーからイメージするものとはかけ離れていて、近代的であるものと言えば、ポンプくらい。あとのものは全て、手作りの、自然の木の形をそのまま活かした道具ばかり。そういうものを使うことに意味があるかは、別として、彼らの生活や考え方が分かりやすく表れていると思います。
カヘティのワインの造り方、重かったり渋かったりするワインが特徴の一つのようでもあり、カヘティのスタイルは好きじゃないというひとも見かけました。印象としては西に行くほど、飲みやすいし、ヨーロッパのような綺麗なワインになっていくような気がします。白ワインでもマセレーションをし、六か月間果皮を付け込こともあるので、さすがに長すぎるのかもしれません。しかし、次に紹介するズラブは次のようにも説明してくれました。
「3か月までのマセレーションでは、果皮から成分が出るばかりで、果皮も上に浮かんでくる。そして、3か月たつと次第に果皮が下に沈んでいき、それが熟成終了の目安になる。また果皮が沈み込むときに、渋みやタニンのいくらかも一緒に沈み、甕にブドウを入れてから3か月くらいが一番飲みにくい時だ」と、まだまだ詳しくは分かりません。
《 グーリア地方 》
黒海に接するグルジアの西のはじで醸造をするズラブもまた兼業のワイナリー経営者です。まだ彼自身の畑はほとんど持っておらず、たくさんの農家の庭にある、それぞれ10aもないような畑から、少しずつブドウを集めて醸造しています。ただ、近いうちに自分用の纏まった広さの畑を植えたいとも言っていました。
トビリシには自然派ワインバー、ヴィノ・アンダーグラウンド(ღvino Underground、グルジア語で、ワインはグヴィーノ。
英語表記ではGhvinoとなります。フランス語のRに近い)があります。自然派ワインしか置いていないのだけれども、今のところズラブのワインは、たくさんの違った農家のブドウから醸造しているので、各農家でどのような手入れをしているか実態は把握しきれていません。よって、ヴィノ・アンダーグラウンドには置いていないけれど、写真を見ていただければわかるように、とっても野性的な畑。ブドウの株の高さも2メートルを優に超えているモノもあり、近代的な畑の手入れからは想像もつかないような状態です。パリサージュに関しては、していない畑はジョルジア中を探しても、あるかどうか分からないようです。というのも、ソヴィエトに支配されていた時に、すべての畑が、大量生産、効率化を強いられて、パリサージュされてしまったそうです。
右の写真はズラブのワイナリーにて試飲をさせていただいた時のものです。ズラブの甕は土に埋めた後に、上をセメントで固めてあるようです。そして少し、甕の入り口の穴を低くなるように埋めそこに、木の蓋をかぶせビニールをかぶせ、最後に湿った粘土質の土を厚さ10㎝程もり、空気が入らないように密閉します。それを試飲するときに、わざわざ開けてくださり、とても恐縮する思いでした。飲んだワインは梅か桜のような香りがほのかに香り、どこにも引っかかることなく、体に入っていきました。
ズラブがブドウを買っている、山の中の農家の庭から。 湿度のためか、光景のためか分かりませんが、どことなく日本にいるときと同じような感じがします。山からの景色を見ていると特に。
《 イメレティ地方 》
イメレティの生産者、ラマスはトビリシにある自然派グルジアワインバー、ヴィノ・アンダーグラウンドの経営者でもあり、グルジア語のみしか話せない生産者仲間のために、輸出用の事務をしたり、試飲会を企画したりもしています。彼の家からトビリシまでは200㎞近くもあり、一週間のうちに何度も往復をして、本当のグルジアワインの普及に努めています。往復するにも車を持っていないので、乗り合いバスでの移動が基本です。セラーでの滞在時間は短かったのですが、チャチャを造っている時にお邪魔することが出来ました。こちらもソリコの蒸留器から、さらに簡易なモノでびっくり。そしてセラーも屋根があるのみ。
《 カルトゥリ地方 》
グルジアの中心の地方カルトゥリ。首都トビリシもこの地方にあります。そしてイアゴもまたこの地方で甕ワインを作る醸造家で、有機認証ワインの第一号なのだとか。笑いながらそう言い、少し照れくさそうでした。
彼は白ワインを醸す時、二つの、甕半分の果汁を果皮とともに、約3か月発酵させ、その後に片方のものをポンプで果汁のみを移し、また3か月熟成の後に瓶詰めをすると言っていました。他の白ワインと比べると新しい試みかと思います。また、彼のおじいさんはワインづくりの名人だったようで、ブドウは栽培しているけれど、甕持っていない人は、好んでイアゴのおじいさんに醸造をお願いしていたようです。
そして、彼も英語を話せる数少ないグルジアワイン生産者の一人でラマツとともに、仲間の生産者の手助けをしています。
小学校の校長先生もしているイアゴの
お母さんは、料理もとびきり上手でした。
季節のザクロや、クルミのペーストにコリアンダーをたくさん使って、複雑で濃厚な味
で、少しピリ辛い料理が多いです。
自家製の漬物。乳酸発酵をさせた水の中に野菜を入れておくだけの簡単な漬物。トマトが特に爽やかな酸っぱさでおいしい。熟れていない緑色のトマトがベストなのだとか。
《 メリスィ村 》
グルジアの西の端の黒海の避暑地バトゥミ(Batumi)から東に100㎞弱、山に入った村、メルシ村。標高1700mで電気はあるものの、山のふもとの少し大きな村まで車で30分。インフラ設備はソヴィエト時代にグルジア全土に整備されていたみたいです。村には、牛がいて、豚がいて、飲めるほど綺麗な水の川が流れていて。冬になれば2mも雪が積もるらしく、僕が訪れた11月後半は、暖炉用の薪を集めたり、冬のための準備の真最中でした。そして、こんなところにもブドウがあって、ワインを造っているのです。
左の写真のブドウは、一本のブドウの木から成っています。日本の食用ブドウのように棚仕立てと、いうのでしょうか。11月後半でも、とっても綺麗な実がなっていて、爽やかな風味のブドウでした。
右の写真は、同じ村の別の家族の庭のブドウで、仕立てというか何というか、木に這わせているだけという感じ。高さも3メートルも4メートルもあって、
梯子で収穫をしていました。もちろんこれらは完全に自家消費用のワインで、
販売用でありません。
グルジア大使館発行の、パンフレットを見るとおもてなしの国、グルジア、とあります。メルシ村でも、驚くほどの歓待をしてくれて、嬉しい、ありがとう、よりもただただ恐縮してしまいました。例えば、西の方は特に雨が多いのですが、当然、靴は泥だらけ。だけれども、家に上がるときに決して靴を脱がせようとしないで、拭くこともさせず、あがれ、あがれと促されます。家に上がり、宴会が始まると、近所から、村中から人が集まってきて、友よ、兄弟よ、と乾杯をしにきてくれて、受け入れてくれました。そしてそもそも、なぜ僕らがここにいるのかを誰一人知りませんでした。だけれども、日本から、違う国からお客が来てくれたという、ただそれだけで、心からの歓待をしてくれたのです。グルジアの宴会での作法は、10分おきくらいに座にいる男が、一人ひとり順番に口上を述べて、それに対して乾杯する。ガーマルジョス!(乾杯!)神様にだったり、村にだったり、グルジアにだったり、日本にだったり。そして、やはり戦争で亡くなった若い命に、更に去年の震災で亡くなった人たちのためにと乾杯してくれるのでした。僕くらいの年齢の息子を戦争で亡くしたおじさんもいて、本当にいたたまれなく、遠い国、日本のために乾杯(適切な言葉が見当たりませんが)してくれたことに、胸がいっぱいになりました。そして宴会が終わり、と思ったら、また別の家庭に案内されて、そこでも暖かい歓迎を受けました。深夜に家に帰ると、ベッドを用意してくれ、朝になって気づいたのですが、僕は彼らの睡眠場所を奪ってしまっていたようです。ご家族はソファーで寝ていました。そしてまた朝からお母さんが、手作りの料理をふるまってくれるのでした。
グルジアの家庭料理、と言えばやっぱりハチャプリということになるのでしょうか。今回は一応グルジアを東西に横断したのですが、どの家庭でも、またお店でもハチャプリという、小麦粉の生地に水を使わないで、マッツォーニいう牛のヨーグルトで作った、牛のチーズ入りのパイがありました。どこの地方もそれぞれ違った個性があり、またどれもとっても美味しいのです。特に、僕にとってはメリスィ村のハチャプリは特別においしくて、お母さんが、自分で絞った牛のお乳から作ったチーズとヨーグルトで作ったハチャプリは、グルジア人でなくてもほっとする優しい味で、元気の源でもあるような気がします。また、こういう、誤解を与えずに伝えるのが難しいけれども、古い文化、伝統、習慣が残っている村に行くと、若い、男、青年であることの、重要さ、特別さみたいなものを、感じました。
《 その他 地方 》
越冬用のトウモロコシ。
ゴミ(白ポレンタ)を作ると、とっても美味しい。
グルジアでも、干し柿をたべるようです。
西の方の田舎に行くとどの家の軒先にも、
写真のように柿が干してありました。
言葉が分からなくても、腕を組んで、グラスを開ければ友達です。
写真は村の人とmaikaさん。
道路わきでやっている、パン屋さん。
窯を見せてくれました。
白く細長く、窯の壁に張り付いているのがパンです。
もちもちしています。
こちらも道端に良く売っている、クルミとブドウ果汁のお菓子。
糸に長くつなげた
クルミを、小麦粉と混ぜたブドウ果汁に、
浸けては冷まし、を繰り返して作る。
でもブドウが農薬漬けだから、そこらへんでは買ってはダメだよと、
言われてしまいました。
長くなりましたが、グルジアワインを飲むときに、少しでも楽しむ助けになればと思います。そしてもちろん、keiko & maikaさんも、この数年間撮ってきた写真を、出版することになっているので、お二人の撮られた活き活きとした写真とともに、ワインを飲むのが僕も、今から楽しみです。
合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール:
1986年生まれ。東京都出身。
《2007年、2009年》
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)で
収穫
《2009年秋~2012年2月》
レオン・バラルのもとで生活
《2012年現在》
ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで生活中
《2013年現在》一時帰国中