合田 玲英のフィールド・ノート

2013.2    合田玲英

《クレタ島》 
 ギリシャの最南端、地中海に広がるクレタ島に移って、報告します。

 東西に250km南北に50km程の大きな島で、山がちで岩肌の目立つ土地には、沢山のオリーブの木が植わっていました。気候は一年中大きな温度変化は無く、気温も暖かく、1月にもかかわらず、日中は半袖で過ごせました。また、夏もそこまでの気温上昇は無く、30度後半になることは、稀だそうです。海岸沿いにある街から少し離れると、10kmもしないうちに山地に入り、ぐっと気温は下がります。山地は東西に伸びていて、東部、中部、西部、それぞれの最高峰は2300m前後。意外にも沢山の雪が積もっていて、スキー場もありました。

 街の外から山の中部にかけての道路沿いでは、見えるところはほとんどオリーブの木が植えられていて、どこにいっても労働者たちがオリーブ狩りをしていました。他の地域ではたいてい12月頃までには、オリーブ狩りは終わらせるそうですが、気温があまり高くならないことから、オリーブの実の熟すのが他の地域よりも遅いそうです。そのため、実が樹上により長い間あり、風雨にさらされ、悪い実はふるいにかけられるので、クレタのオリーブオイルは上質なのだとか。

 また山の上のほうにいくと、野生のハーブの香りがとても強く香ってきます。現地の人によると、春から夏は、 香りで眩暈がするくらいだそうです。タイムもオレガノもローズマリーも、それからクレタ島でよく飲まれるらしいハーブティー用のハーブも、手にとって擦ってみると、とても鮮烈な香りがしました。また車で山を登ると、道路を作るために削られた斜面の色が、100mおきに変わっていき、地層のうねっている様子がよく分かりました。大昔に海の底に沈んでいたらしく、貝などの化石も簡単に見つかり、土地の多様性が感じられます。

《ドメーヌ・エコノム》 
 クレタ島の東部、シティアに住む当主のヤニス・エコノムーは、フランス/イタリア/ドイツでワイン醸造を学び、家族ゆかりの地であるシティアでワイン醸造を始めました。彼によると、クレタ島では昔からほぼ全ての家庭が、ブドウ畑やオリーブ園、その他農作物の畑を持っていて、彼の家庭でもブドウ畑を昔から持っていたそうです。

 ヤニスは醸造家であるとともに、優秀な経営者であり、ワイナリーの経営だけでなく、オリーブオイルの圧搾場、その後の処理施設などの、地域の主要な農産業に関わる施設も経営しています。使われなくなった、農機具や醸造機械を引き取り、手入れをし、販売したり時にはただであげてしまったり。地元の人との取引は、ほぼ物々交換(ワインやオリーブオイルを含む)や、労働力の交換でやり取りをしていて、どこに行っても、ヤニスヤニスと声をかけられ、地元の名士という感じでした。会話も大好きで、彼の経営観、クレタ島の素晴らしさを語りだすと止まりません。一流のワイナリーで修行をし、一流の理解力あふれる顧客のみと取引をし、価格交渉には応じない。それもこれも、全てクレタの恩恵あってこそ、そしてそれに絶対の自信があってこそ、なのです。

 ワイナリーと畑はシティアの街から、南に20kmほど山に入ったところにあり、標高は600m。山の上の開けた台地にあり、風が強く吹いていました。フィロキセラの被害の無い土地で自根ブドウを栽培し、強く吹く風、夏にも暑くなりすぎない気温のおかげで、ほとんど手間のかからない栽培環境が整っている、と胸を張っていました。ワイナリーでの作業もとてもシンプルで、醸造からビン詰めまで亜硫酸の添加はゼロです。ワイナリーの中は夏でも十分に涼しいほどで、醸造用のタンクも冷却装置の無いシンプルなものでした。またビン詰めの前のアッサンブラージュを見せてくれたのですが、5%にも満たない量の少し性格の違うワインを混ぜるだけで、元のワインの性格がガラッと変わり、複雑さが増すのには驚きました。タンクや樽を外に置き、変化の大きな環境にさらしたワイン、 同じワインの樽違いなどのアッサンブラージュを試させてくれたので、とても勉強になりました。そして説明をしてくれた後では、こんなことが可能なのはクレタの特異な環境あってこそだ、と毎回締められるのでした。

《サントリーニ島》
 船は、夜の10時に港に着きました。港は三日月形の島の西側、または内側の弧の中央にあり、島の内側は全て崖になっています。岩がむき出しの崖に迎えられ、なんだかとても寂しい印象を受けました。崖をあがると、島民の家の何倍もある数のホテルが、全て空っぽで、更に寂しい気持ちになりました。島の観光客の許容量は80,000人、島民の数はだいたい12,000人だそうで、冬期には明かりのついていない建物が多いのもうなずけます。

 地図を見るとサントリーニ島の西側 には、2つ3つ小さな島があります。もともとは1つの丸い島でしたが、約3600年前、島の中央にあった火山の大噴火により、現在の形になりました。島の西側(三日月の内側の弧)が全て崖、東側(三日月の外側の弧)が海岸であることからも、中央に山があったことがうかがえます。また大噴火は島全体を約40mの層の灰で覆い、それまで人が生活していた形跡も全て、埋まってしまっています。1970年代に発掘作業により、噴火以前の町が見つかり、現在もアクロティリとよばれ、見学ができます。当時の人たちは、噴火の前には、みな避難していたそうで、あまり生活の後は残っていないようでした。ただいくつか見つかった大きな甕には、ワインのためと思われる、底から液体が流れ出るように、穴の開いた甕も見つかったそうです。噴火後に人がまた住み始めたのは、個人的にはちょっと驚きなのですが、灰色の大地に何を求めて移り住んだのでしょうか。島には、サントリーニで一番背の高い植物はオレガノ(背の低いハーブ)だという冗談があるくらい、森なんてものはなく、木すらほとんど見かけません。ブドウの木の仕立ても地を這うような、かご型(あるいは鳥の巣型)の仕立てです。これはもちろん、強風からブドウを守るためでもあります。3日間、島にいましたが、高度の高い場所は常に強風が吹き荒れ、歩くのも困難でした。気温はそれほど低くありませんが、風のせいで体感温度はぐっと下がります。

 そして、今から150年前には約7500haある島全体の60%以上の約4800haがブドウ畑となったほど、ワイン醸造が盛んになり 、その多くはソヴィエトへと輸出されていました。サントリーニ島のワインは当時のソヴィエトでは評判だったらしく、その理由は長距離移動にもかかわらず、強い個性を保ち続けて劣化が少なかったからだそうです。ブドウ以外にもサントリーニ島で栽培される農作物は、過酷な環境で育てられるため、全て小ぶりで、味が凝縮されています。特に有名な作物はファヴァと呼ばれるオレンジ色のレンズ豆で、他の地域では同じような味にはならないのだとか。オリーブの木もほとんど見かけられず、あってもどれも、若く小さなものばかりでした。

 噴火以後の灰にまみれた島を島民は、積もった灰を水平に掘って、醸造所にしたり、作物の貯蔵庫に利用したりとするようになりました。積もった灰を水平に掘るだけなので、とても簡単に地下の温度を一定に保てる施設がつくれます。地震が起こったら、天井全部が一気に落ちてくるのではと思いますが、話によると地表に建てられている住居よりも、耐震性はあるそうです。エーゲ海では一定の周期でそこそこ大きな地震が起こるのですが、被害は決まってホテルや住宅などで、地下醸造所などの施設が灰土で埋まることは全くないそうです。入り口だけ鉄骨とセメント、岩などで補強をしますが、掘り進んだ中は、セメントで薄く覆うだけ。でもやっぱり、大丈夫だと言われても少し怖いです。

 ちなみに、伝統的なサントリーニ島のワインは、ニクテリと呼ばれ、英語に直訳すると、Night Work。日本語で意訳すると「夜なべ仕事」といった意味になります。夏に40度近くまで気温が上がるので、昔からの製法では、圧搾は夜になって涼しくなってから、地下醸造所でやるものと決まっていました。気温が高いにもかかわらず9月まで収穫を待ち、大きな3トンの木製樽での発酵が一般的だったらしく、サントリーニ島のニクテリと言えば、甘めでアルコール度数の高い、力強い個性を持ったワインだったそうです。この3トンの木製樽は、アフォレスと呼ばれ、いわゆる土製の甕と同じ名前で呼ばれていました。だからなんだと、言われたら特別な意味はありませんが、いつかどこかで何かが繋がるような気がします。

 現在、島に残っている畑は約1200haで、全盛期の4分の1、島全体の15%ほどです。畑であった場所のほとんどが今は観光施設になっています。それでも、観光施設以外に目につくものはブドウ畑というほど、どこに行ってもブドウ畑が目に入りました。クレタ島の場合は、ブドウ畑が観光施設になることもありますが、島自体が大きいこともあり、オリーブ園になることも多かったようで、文字どおり見渡す限りのオリーブ園でした。畑の環境は、灰に覆い尽くされているとはいえ、低地の方では長い間をかけ、雨と風により、高地にある少ない砂や土が、少しずつ運ばれてきて、1mほどの良質な土壌の層を形成しています。一見、砂地のようですが、少し手に取ってにおいを嗅ぐと、土の香りがしました。低地でも、高地ほどではないにしろ強く風が吹いていて、病気の心配はさほど無いようです。

《ドメーヌ・ハツィダキス》
 当主のハリディモス・ハツィダキスは、クレタ島の出身で、若いころからワインに興味があり、高校卒業後すぐにアテネで醸造を学びました。その後、サントリーニ島の共同醸造所の醸造長まで務め、独立してからも共同醸造所と一部協力してワイン生産をおこなっています。畑の手入れは、島内で唯一のオーガニック農法の実践者で、醸造も限界まで自然な醸造に挑戦し続けています。島内の他の生産者も、病気対策に化学薬品を使わず、オーガニック農法でも認められている硫黄散布が一般的なようですが、除草剤や化学肥料をまいているところが、ほとんどだとか。また、ほぼ全てのワイナリーが伝統的なクルラと呼ばれるかご型の剪定をおこなう中、いわゆるゴブレ仕立ての選定を始めた畑もあります。ハリディモスによると、クルラ仕立てでは、実がなりすぎるそうです。収穫も現在は8月中に全て終了しますが、キュヴェ・ニクテリはいちばん最後に収穫して夜間に圧搾をし、3トンとはいかないまでも木製樽で発酵をしています。

 醸造所は島の中央、所有するどの畑からも近い場所にあり、独立直後からの小さなセラーで醸造をしていますが、現在は大きな横穴式の地下醸造所を建設中で、数年後には引っ越しが完了する予定です。同じ品種でも各畑から、微妙なブドウの品質の差に適した醸造をし、何十種類ものボトルを実験精神旺盛に醸造していますが、どのキュヴェも発酵からビン詰めまで全くタンクから動かさないというところは一貫しています。ビン詰めも可能な限りチューブでの手作業でおこなっています。アイダニというキュヴェを一緒にビン詰めさせてもらいましたが、機械の音がしない環境での作業は心地いいと同時に、毎年何万本と手詰めをすることが、どれほどの決断かと思い知りました。とは書いたものの、実際の作業は楽しく会話もしながら和やかに行われていて、好きだからだけでは出来ることでも無いけれど、心からこうする事が必要と感じての選択で、一片の苦も感じさせないという、雰囲気がありました。

合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール:
1986年生まれ。東京都出身。

《2007年、2009年》
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)で
収穫
《2009年秋~2012年2月》
レオン・バラルのもとで生活
《2012年現在》
ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで生活中

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