合田 玲英のフィールド・ノート

2012.12    合田玲英

《Salone del Gustoサローネ・デル・グスト》
 10月の下旬にトリノで、サローネ・デル・グストSalone del Gustoというスローフード協会主催の催しが ありました。僕は、ギリシャの生産者チームの一人として、参加しました。大勢の来場者にギリシャワインの素晴らしさを感じてもらうことができました。

 会期は5日間、会場はとても大きく、イタリアの各地方と世界各国の食品が揃います。スタンドで試食できるだけでなく、研修会も毎日開催され、どこも賑わっていました。来場者の多さにもびっくりしましたが、年齢的にも若い人が多くて、中高生の集団も来ていたりと、食品に対する関心の高さに驚きました。

 どの食材も生産者が直接来ているところが多くて、お話をうかがいながら出してくれる食べ物を食べるだけで、とても楽しい。ワインの研修会もたくさんあり、来場者も真剣に話を聞いていました。特に、通訳でなく、母国語でない英語で生産者自身が話をしている時の方が、来場者がぐっと集中して聞いていて、会自体も満足度の高いものになっていたという実感があります。

 やはり、そのものを作った生産者への関心が高いのだなと納得しました。また生産者自身も来場者との コミュニケーションを、とても大切でかつ快く思っているので、チーズもハムもビールもどの食べ物の 生産者も、「おいしい!」と伝えると嬉しそうに笑って、あれもこれもと次々と試食させてくれました。

探訪記1. 《 Trinchero トリンケーロ 》
 あいにくセラーワークで忙殺されている時期だったので、僕が訪問した日にもデキュバージュ(仕込んだ赤ブドウをタンクから出す作業)の最中でした。前日、前々日に降った雨のせいで、あまり畑には入れませんでした。家の前の道路の端から眺めるだけにとどめましたが、草も生えているけれど、手入れの行き届いた綺麗な畑でした。またセラーの周りにほぼ全ての畑があり小さなワイナリーではないのですが、小さくシンプルに纏まっていました。

 圧巻だったのがセラー。家の中庭の地面にセメントタンクの入り口(蓋)が並んでいて、地下にも第2層、第3層と整然と続いていて、見ていてが気持ち良かったです。またセラー全体が、持っている仕組、仕込むブドウの量など、計算し尽くされている感じがして、畑も含めここで全てが完結している感じがしました。当主のエツィオ自身も(といえるほどお話はできなかったけれど)、誠実でエネルギッシュな人でした。

 試飲したワインも、キュベの違いはあるけれど、どれも骨格のしっかりした、心地よい酸と緊張感のあるワインでした。セラーを去る時の充実感から、セラーで飲むことが重要だと感じたし、そして前日レストランで飲んだワインが、おいしいはずなのにどうにもすっきりしない味だったのを思い出しました。セラーを出てからレストランでお客さんが飲むまで、同じ状態を保っていられないワインがあることが残念でした。

 帰る時にエツィオがどこにいるのか分からなくて、お別れが言えなかったけれども、わざわざ電話をかけてきてくれ、また今度ゆっくり話そうと言ってくれ、また絶対に行きたいと思うセラーの一つです。

探訪記2. 《Vignai da Duline ヴィニャイ・ダ・ドゥリネ》
 南仏やギリシャなど、暑い地域の畑しか僕自身が知らなかったので、とても面白い話がたくさん聞けました。もちろん他の地域の生産者も訪ねたことはあるけれども、ゆっくり畑の中で話を聞けることはそこまで無かったので。というほど、当主のロレンツォは、たくさんの話を聞かせてくれました。低いゴブレ以外に も地質と気候に合った仕立て法があるのだなと、納得しました。それでもゴブレ、アルベレッロのほうがいいのかもしれないけれど、実際はどうなんでしょうか。針金に這わせた株は高さ1m60cmほどもあって、それにも理由があるのです。やっぱり降水量や地質にあったブドウの株の大きさや形があるのだと実感。ブルゴーニュのように低い小さい垣根にしてしまうと、葉っぱばかり育ち、その葉を維持するためだけにブドウの株が働いてしまって、綺麗な実ができない。かといって葉を切ってしまうと、もっと伸びてきてしまうという悪循環。でも、ここの畑は、一度もグリーンプルーニング(5,6月にする、新芽の剪定)をしなくても過不足なく葉が茂っています。化学薬品がなかった時代は、剪定が病気への最良の、そして唯一の対策だった、とロレンツォ。

 土地改良の方法もユニークで、施肥は堆肥も含め一切なし。ルチェンネLucenneという6mも根が伸びるマメ科の植物で、土地の深層改良を試みているようです。彼が繰り返し使っていた言葉が、再活性化revitalizeという単語で、耕作する代わりに草の種をまくのも、土を掘り返さないで草刈りのみで済ますのも、土地の再生のため。また6haの畑のために周りに22haの畑が残されていて、周囲の環境とのバランスが保たれています。6haのうちの4haは、ロンコ・ピトッティRonco Pitottiという場所で、彼の友人フランチェスコが30年前から周りに気が狂ったと言われながらも、自然な農法をしてきた畑です。フランチェスコが引退するとき、ロレンツォに託してくれたそうです。小高い丘にフランチェスコの家があり、その周りにテラス状の畑が続いています。テラス畑は14世紀にベネツィア人によって作られたものなのですが、フィロキセラに一度全部やられてしまいました。けれども、また植えなおされた区画は、最高の畑のみだったそうです。

 畑のところどころに植えられている木がマルベリーで、昔から蚕のえさになっています。桑の木とはちょっと違うみたいで日本名や英名は知りません。ロレンツォのおばあちゃんも絹製品の職人で、昔からこの地域では盛んな産業の一つ。ドゥリネのマークも、マルベリーとブドウの株からデザインされていて、モルス・アルバMorus Albaとモルス・ニグラMorus Niglaは、それぞれラテン語で、ホワイトマルベリーとブラックマルベリーという意味だそうです。

 訪問した11月1日は、ハロウィーンだけれど、イタリアでは全聖節Ogni Santo(「全ての聖人へ」の意)という日で、焼いた栗と、その年の新酒を飲む習慣があるそうです。トカイ・フリウラーノの新酒は、まだ残糖と炭酸があって、甘酸っぱい香りとホクホクの栗が最高でした。

 ロレンツォはメルロとソーヴィニョンが特にお気に入りで、毎回それらにわざわざヒストリコ Historico(歴史的、古典的)という形容詞を添えて呼んでいるくらい。というのもメルロやソーヴィニョンといっても、いわゆる国際品種ではなく、何百年も前にフリウリ地方に伝わったものだからで、完全に土地に適応した、別物のようです。トリンケーロでは特にメルロの由来は尋ねなかったけれども、きっといわゆるメルロとは違っていて、とっても美味しかったのを覚えています。6日前に明けたワインも飲ませてもらいましたが、全く酸化したニュアンスもなく、ロレンツォと奥さんのフェデリカ曰く、むしろ良くなっているくらいだと言っていました。また一か月前に開けたボトルを飲んだ時も全く問題なかったと言っています。抜栓後6日のものを飲んだ印象からして、あり得ることだと思います。

 とても長い時間を僕の訪問のために、時間を割いてくれて、最後はお祭りのために集まった親戚や家族と食卓を囲ませてもらえて、とても嬉しく、楽しい時間を共有させてもらえました。

探訪記3. 《Le Due Terre レ・ドゥエ・テッレ》
 当主のフラヴィオ・バジリカータは飄々とした、感じのいいおじさんでした。ここもまた、セラーと家の周りに畑があって、近くに川が流れ、スロヴェニアとの国境の山も近くて、とても居心地のいい場所でした。とてもシンプルなセラーで、道具も手作りのものが多くあり、もとよりセラーも家も手作りだというからびっくり。セラーの中でも畑の中でも、何も特別なことをしているわけでは無いのだと、繰り返し言っていて、こつこつと誠実な仕方で、やるべきことをやっている感じがしました。最小限のものを手作りし、畑には最小限の手入れをして。それでも膨大な量の仕事はありますが。

 なんだかテイスティングというより、ただお昼ご飯を頂きに行っただけ、という感じで、奥さんのシルヴァーナと一人娘のコーラが、秋のイタリアの食材を、これもまたシンプルに料理してください、一緒にいただきました。フラヴィオは、生産者の子供たちがワイン造りや畑仕事が嫌だといって稼業から離れてしまう中で、一人娘が畑仕事が好きといって醸造学校にも通っていることを、とても嬉しそうに話していました。

探訪記4. 《Clai Bijele Zemlje クライ・ビエーレ・ゼミエ》
 トリエステから車で一時間強。少し山がちなところにあって、でも海まで平地が続いていて、海からの風がとても気持ち良かった。30㎞ほど離れているから近いというわけでは無いけれど、クライもドゥリネもレ・ドゥエ・テッレも、畑の立地としての、海からの距離と風をとても重要視していました。季節のせいか、土地のおかげか分からないけれど、とても居心地のいい場所で、景色としては、ブドウ畑と、オリーブ園と、森とが広がっている。畑は場合によりけりではあるけれど、基本2年に1回の耕作で、連続しての耕作はしない。品種は8種類ほどあるけれど、繰り返しOtto cent, Otto centと必ず品種の後に付け加えていた。古い、この地方に適応した品種であることに、とても強いこだわりを感じました。オリーブもまた同じで、古いこの地方のオリーブの木からとれるオリーブオイルは濃くて、とてもスパイシーで特別だと感じました。オリーブは暑さと乾燥には強いけれど、寒さには弱いから、北の方では百歳単位の古いオリーブは見つからないそうで、50年に1回はほとんどのオリーブが駄目になってしまうそうです。それでも、何とか冬を越したオリーブから枝を選んで植えなおして、なんとか古いオリーブの品種を残そうとしています。

 当主のジョルジオGiorgioは、一見強面だけれど冗談の大好きな楽しい人でした。畑にはいろんな種類の草が生えていて、野生のポロねぎ、ルッコラの力強い味はとても印象深いです。畑仕事に使う水は雨水を貯めていて、ワイヤーにブドウの蔦を括るのには、柔らかい枝を生やす木から枝をとり。彼の大きな愛犬と散歩がてら畑を歩きながら、ここの自分の土地に対する強い愛情を感じました。

《まとめ》
 秋の北イタリアとクロアチアは、季節のものを食べると本当に何を食べても美味しいです。レ・ドゥエ・テッレのように、とてもシンプルに料理をしているものが、単純だけれどもこれで十分と思える美味しさでした。また、振り返ると、ビオディナミのところは一つもなくて、どこもボトル詰のために月齢を見る程度で、畑での作業、セラーでの作業全て自分の哲学でやっていました。いい悪いではなくて、なにをしようが全ての畑に対応する農法などなく、最終的には生産者自身が考えて手入れをした結果なのだろうと思います。フラヴィオは、繰り返し、何もしていないと言っていました。僕はつい、何かを良くするために、何かをしようと考えてしまいがちですが、しないことの方が大切なのかもしれません。ビオディナミにしても何をするかではなく、ビオディナミをすることで慣行農法ではされない膨大な量のことがらに目を向けさせられました。

 今回とても残念なのが撮りためた写真をデータ転送の時に紛失してしまい、イタリアとクロアチアについて紹介できる写真が一枚もないのです。残念です。もうしわけありません。

《ギリシャ帰還》
 ギリシャのケファロニア島に帰ると、島はどこもオリーブ狩りの真っ最中で、スクラボスでも畑の隣にあるオリーブ畑での作業に追われています。彼のヌーボーは、お飲みいただいけましたでしょうか。聞けば好評とのことで、当主エヴリヴィアディスに伝えるととても嬉しそうに笑っていました。

 「初めての挑戦だったけれど、日本の皆さんにギリシャの新酒を紹介できて、心から嬉しい。ありがとう」
ケファロニア島内でもギリシャ国内でも、少しでもワインが濁っていると受け入れてもらえません。それでも冬季の寒さによる清澄のみでボトル詰めすると、年によっては澱がでて、ギリシャ国内で買い手がいません。そうなると、ボトルの底のたった一本の澱の筋のために、何百本ものボトルを開けてもう一度大きなタンクに入れ、それからもう一度沈着しなおさせて、売るしかありません。でも一度抜栓したものをまたボトルに入れることは彼のプライドが許さず、すべて安いボックスワインとして積め直しました。あんなにむなしい作業はありませんでした。

 彼は何回も僕に、ヌーボーにガスが残っていたり、透明感がなくても日本では問題ないのかと尋ねていました。今回ヌーボーが日本の皆さんに受け入れられて本当に嬉しく思い、また日本を特別に思っていると言ってくれました。

合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール:
1986年生まれ。東京都出身。

《2007年、2009年》
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)で
収穫
《2009年秋~2012年2月》
レオン・バラルのもとで生活
《2012年現在》
ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで生活中

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