合田 玲英のフィールド・ノート

2012.11    合田玲英

【2012年9月】
 フランスでは、中部以北は大半が病気にやられてしまったとききました。一年間の作業の甲斐なく捨てるしかない葡萄が出来てしまうのは、本当につらい。トラクターで畑に入らないのも、強力な農薬や肥料を与えないのも、全ては土地を健全な状態に保つため。自然派の生産者は、一度使わないと決めたものは、意地でも使わない人達ばかりです。どうしようもない程の勢いの病気に侵されていく葡萄があって、何とか限られた方法で食い止めようと努力する彼らは、何を思うのでしょうか。

 2011年に滞在していたドメーヌ・レオン・バラルでは、9月いっぱいを収穫に費やしました。今年はギリシャでの収穫ですが、葡萄の選果中の匂いをかぐと、昨日のことのように思い出されます。選果の匂いを具体的にいうと、カビが生えたり、果皮が破れて腐ってしまった葡萄の酸っぱい匂いです。もちろん発酵前の優しい甘い葡萄果汁の香り、発酵の始まった果汁の二酸化炭素で少しむせる香りも思い出深いですが、見た目に葡萄の良し悪しが分からない時に、嗅いだり味わったりした時のあの匂いが、印象強いです。

 10月は、もっぱらセラーでの作業で醗酵の終了した葡萄果汁のタンクをまとめたり、赤ワインの場合は果房をタンクからかき出したり、収穫の時期と同じように忙しいです。10月、12月は畑の細かな手入れと短いヴァカンスがあり、1月から3月の終わり頃まで剪定をします。ドメーヌ・レオン・バラルは、南仏にありますが、マイナス10度になることもあり、なにより風の強さにまいりました。無風だと着込めば寒さは防げますが、風があると容赦なく体温を奪われて身動きが取れません。本当につらかったのを覚えています。暖かくなってくる4月、5月。一斉に芽吹く葡萄の芽、それ以上の勢いで生えてくる野草の手入れ、対策に追われます。この2ヶ月間ほどは働きやすい気候でしたが、葡萄の花が咲いて実がなってくる6月~収穫前までは座っているだけで汗が出てくる酷暑でした。それでも、朝早く畑へ出て除草をし、果房に日が当たるよう手入れをし、植えたばかりの苗には水をあげ、一番暑い時間は眺めの休憩、またはセラーでの作業をし、また日暮れ前に出かけていく。

 その一年間の、まさに成果を収穫するわけですが、病気にやられると、香りは悪いし、選果もしなければならないし、手に持った感触は気持ち悪いし、なんとも言えない気持ちになります。でも、選果の必要のないきれいな葡萄をタンクに放り込む清清しさは、ほんとうに心地よいです。

 ワイン造りにかかわる作業は、1つ1つの作業のみを語ると、地味で単純(というと誤解がありますが)で、大量で、雇われてきた労働者と話しても、誰ひとり作業を好きな人はいません。またワイン造りが好きだから、というだけでも続けられないと思います。ある自然派ワイン生産者は、「自然派ワインを造るのは、信仰のようなものだ。」と言っていました。彼はとても論理的、合理的で、栽培方法もビオディナミでは無く、自分の経験を信じ、自分で見聞きしたことから考えぬき、素晴らしいワインを造っています。その彼が、「信仰のようなものだ」と言ったのが、意外でもあり、「ああ 、やっぱりそうか」と思い直しもしました。

 ギリシャでは病気の大きな被害も無く、いい年と言えそうです。3月からの途中参加でしたが、やっぱりこの瞬間のために働いてきたんだ、と思える最高の時期です。

 ヨーロッパの田舎には、たくさんの果物の木があります。季節によって様々な果物がなり、熟れた果実からは甘い香りが漂ってきます。炎天下の畑での作業は、とてもつらいですが、少し木陰に入り、その果実を食べるのは格別です。季節のものを採って、直に食べることが、こんなに気持ちのいいものだということを忘れていました。

 思い返すと東京に住んでいた子供の頃は、春になると祖母の作る蓬団子を食べたくて、蓬摘みをしに兄と住宅街を歩き回っていました。この頃は、まだ遊ぶ感覚と同じに採って作って食べていたと思います。10年以上時が経ち、ヨーロッパに来る前には新宿区のアパートに引っ越しました。1階には立派な山椒の木があり、それを見つけた時に、祖母と両親は、「こんな都会の真ん中に山椒の木があるなんて。」と喜んでいましたが、それを採るために駆り出された自分は面倒くさくてしようがなかったのを覚えています。

【2012年10月】
 3年前初めてヨーロッパに来たときは、ワイン生産については全く何も知りませんでした。造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)の家で生活を始め、いくつかの試飲会にも行き、少しずつワインのことがわかってきて、楽しい、もっと知りたいと思うようになってきました。試飲会やセラーに行くと、どの生産者も栽培方法や醸造方法を、精一杯説明してくれます。1人1人が違った背景、哲学から考え抜いた方法で取り組んでいますが、でも、もし自分自身が畑での作業をしていなかったら、全く違う捉え方をしていただろうと思います。それだけ生産者の家で、生活させてもらい、ひたすらに土地のことを考えて生活をしている姿を、間近で見られたことは、すばらしい体験でした。

 初めて鍬で作業をしたときは、手も豆だらけになり、腰も悲鳴をあげました。全身が筋肉痛になり、次の日も一日中、体がだるかったものです。シェンダンという、とても繁殖力の強い草があるのですが、それを大きなフォークで根っこから引き抜く作業を収穫後にやるのですが、これが本当に大変でした。まず、その草を認識するのが僕には難しく、「まだ残っているよ。」と注意されるたびに、目を凝らしてなんとか分かる、という様子でした。そして、作業にも慣れ、目も慣れてきたころに、畑中にその草が生えているのが分かってしまいました。「除草剤って便利だね。」と、みんなで笑いあったのを覚えています。それでも、土地のことを考えて、大いに肉体を使って働くのは気持ちがいいものです。

 畑での作業中に、耳にたこができるほど聞いた言葉があります。「ワインを造るときに考えるのは、まず、土地だ。それから、ぶどうの株、ぶどうの果房、と手入れはあるけれども、最初に、ぶどうの果房のことを考えてしまうと、過度な施肥や除草剤の散布に繋がってしまう。どこまでも、土地、土地なんだ。」と。

 こんなこともありました。ある初夏の大雨の日に、アパートでゆっくりとしていると、「見せたいものがあるから、ちょっと来い。」と言われ、合羽を羽織って出かけました。連れて行かれた先は、ゆるやかな斜面にある隣人の畑と接している畑で、着くと同時に、彼が何を言いたいのかわかりました。


 大雨にも関わらず彼の畑は、水たまりも無く、土地がぐんぐんと水を吸い込んでいるのが見て取れました。一方、となりの畑は、トラクターで踏み固められ、水がぶどうの株と株のあいだに、小さな川を作っていました。畑の下方には、水たまりが出来、畑の粘土質のいい土が雨に洗い流されてしまって、茶色く濁っていました。彼もトラクターは使いますが、古いトラクターで重量も軽く、なにより車輪ではなく、より接地面積の大きなキャタピラーでしか畑には入りません。

 また、牛も30頭ほど飼っていて、秋、冬と畑の中に放し飼いにするのですが、雨が降り始めると急いで、畑以外の囲いのある場所に牛を追いやります。体重400kgの牛が 4本足で立つと、ほんの小さな接地面積に100kgずつ重量がかかるので、湿った土を踏み固めるには十分だからです。彼のワイナリーは訪問者がとても多く、そのたびに彼はなぜ牛を飼い、車輪のトラクターで畑には入らないかなど、精一杯説明しています。中には牛を飼わなくても素晴らしいワインを造ることは出来るじゃないかという人もいます。
この話をしながら彼は、「俺が今日彼らに一日中説明してきことはなんだったんだ。」とがっかりしていました。

「自然派ワインを造るにはワイン畑のことだけを考えていては、いいワインは出来ない。畑の周りの環境を考え、森を残して野生生物の生活できる環境が必要なんだ。」という彼の畑は、森で囲まれ、野ウサギや猪がよく見かけられます。

 ワイン生産自体に様々な方法があるように、ボトル詰めが終わったワインの管理・試飲方法にも、さまざまあります。貯蔵庫の壁の材質や、カーヴをエアコンで空冷しないほうが良いなど。また、月齢カレンダーによる試飲する日の良し悪し、試飲する会場の環境、グラスの形、持ち方。ぶどうの栽培方法と同じで、正解も何も分かりませんが、今年の春に日本に帰り、試飲会やレストランでワインを飲んだときに、その状態のよさに驚きました。日本で飲んだワインはヨーロッパで飲むよりも状態が良く、思わずうわっと声を上げてしまいました。例えばフランスのロワールのクロード・クルトワのワインは、彼のセラーで飲んだ時以来、よいボトルにめぐりあえることがありませんでしたが、WINE TOKYOで飲んだ彼のワインは、セラーで飲んだ時のように、健やかな酸味がしっかりと活きていました。この一杯のグラスのワインを飲んだときに、方法に正解は無いかもしれないけれど、ここに素晴らしくおいしいワインがあることが重要だと思うようになりました。どの造り手も、様々なことを試して最良だと信じる方法で、ぶどうを栽培し、醸造しています。ビオディナミックを信じていない人もいますし、村にいる祈祷師に相談をしている生産者もいたりもします。また、輸入業者もその品質を劣化させることが無いように、細心の注意を払って輸送をしています。どの考えも、様々な理論、発想が基にあって簡単に信じるのは難しいです。ただ、一杯のワインが目の前にあったら、それに対して先入観無く楽しめるようになりたいものです。でも、これが一番難しくて、これほど情報に自分の五感が左右されるものかと、自分にがっかりする毎日です。

合田 玲英(ごうだ れい)プロフィール:
1986年生まれ。東京都出身。

《2007年、2009年》
フランスの造り手(ドメーヌ・レオン・バラル)で収穫
《2009年秋~2012年2月》
レオン・バラルのもとで生活
《2012年現在》
ギリシャ・ケファロニア島の造り手(ドメーヌ・スクラヴォス)のもとで生活中

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