ドイツワイン通信 Vol. 30

ドイツワインの新たな息吹

2014.4    ワインライター 北嶋 裕

 春である。3月である。3月といえばプロヴァインである。世界中から生産者が集まってくるドイツ最大の業界向けワインメッセで、ドイツやフランス、イタリアはもちろん、ジョージア(グルジア)、スロヴェニア、クロアチアやトルコといった、普段飲めないようなワインも沢山出展される貴重な機会だ。私も実は遅ればせながら3月に入ってから、今年は久しぶりに行ってみようかという気になったのだが、ネットを調べると航空券は高い上にホテルもメッセ価格で高騰していて、リーズナブルな部屋は近郊の中小都市まで満室だった。それにデュッセルドルフにはブドウ畑が無い。そこで今回はあきらめて仕切り直すことにした。

 一方、ドイツワインの公的広報機関であるDWIドイツワインインスティトゥートは、プロヴァインにあわせて日本から8前後のジャーナリストを招聘してプレスツアーを開催したそうだ。英語で催行する国際プレスツアーは毎年行ってきたが、日本語のプレスツアーは実に4、5年ぶりだという。ラインガウ、ラインヘッセンとモーゼルの醸造所を巡り、その後プロヴァインを訪れるという段取りだ。世界最大規模の試飲会の一つにもかかわらず、近年日本からの訪問者が少ないと聞いていただけに、DWIもようやく日本市場のてこ入れに動き始めたようで喜ばしい。次回は私も誘ってくれるともっとうれしいのだが、それはさておき。

息を吹き返した日本市場

 実際、日本でのドイツワインのイメージと認知度は次第に改善されつつあるようだ。一昨年(2012)の日本へのドイツワインの輸入量は前年比で+7.2%、金額ベースでも+7.6%と明らかな改善傾向にある(DWI Deutscher Wein Statistik 2013/14)。今から3年前(2011)の輸入量は、震災の影響もあって前年比-1.4%、金額ベースでも-0.3%に留まったが、これはむしろ健闘したと言えるかもしれない。2010年の輸入量は前年比+4.9%、金額ベースで+5.3%と若干増えているように見えるけれど、それはリーマンショックの影響を受けて大幅に落ち込んだ2009年(輸入量前年比-23.1%、金額ベース-13.2%)に対して若干より戻したにすぎない。

表1.ドイツワイン輸入動向2008~2012年 (Source: DWI Statistik)

 2012年の輸入総額は前年比では増えているものの、長期的に見ると実は10年前(2002)の約半分、輸入量では約三分の一にすぎない。さらに1リットルあたりの単価で見ると、2002年から2008年までは€3.18 (2003)~ €3.79 (2007)と一貫して4ユーロ(約640円)を下回っていたのが、2009年を境に€4.02 (2011) ~ €4.09 (2009)へと値上がりしている。つまり、リーマンショックのお陰で廉価で粗悪なワインは市場からある程度姿を消したようだ。2002年頃から約10年続いた凋落は2009年に底を打ち、2012年に金額ベースでは2008年以前の水準を回復(約1400万ユーロ、約19億6千万円)、輸入量も上昇に転じた。2010, 2011年と続いた停滞から2012年にようやく脱したと言えることから、この年を日本におけるドイツワインの新たなスタート地点と位置づけることも出来そうだ。

浄化された日本市場

 DWIで長年日本市場を担当しているマニュエラ・リープヒェンさんが、2年前のフーデックスで来日した際に口にした「市場浄化」Marktsauberungの成果も現れているようだ(ドイツワイン通信vol. 6参照)。1990年代半ばの赤ワインブーム以降、苦戦を強いられてきた白ワインの中でも甘口が主力だったドイツワインは、糖分が多いということで健康(=ダイエット)を意識する消費者からもそっぽを向かれたという。同時にチリなど新世界から輸入される安ウマ系ワインとも競合を強いられ、2000年頃からは単価の安いワインを量販店に向けて大量に流すことでシェアを確保しようとしたが、今度は品質の低いドイツワインが巷に増えてイメージを損ね、高品質なドイツワインがまったく売れなくなってしまった。
(参考:AHK Japan, Der japanische Weinmarkt, Feb. 2011)
それに追い打ちをかけたのが2009年9月のドイツワイン基金駐日代表部閉鎖である。以来日本ではドイツワインのプロモーション活動も下火になり、2011年にはソムリエ呼称資格認定試験の試験範囲からドイツワインが外されてしまった。恐らくレストランでドイツワインが滅多にリストに載らなくなっていたという状況を反映してのことだろう。レストランはもとより、小売り店でも事態は似たり寄ったりだったようだ。とあるワインショップでは、ドイツワインを主に扱っているインポーターの社員から「どうやって売って良いのか分からないんです」と店主が相談されたこともあるそうだ。また、イヴェントでドイツワインセミナーの講師を任されたソムリエ氏が「私はドイツワインのことをあまりよく知らないんですが」と前置きして講義を始めたこともあったとか。みんなどうしてよいかわからず、また新しいドイツワインに無関心だったのだろう。

新たなことを始める勇気

 一方、ドイツ本国では2000年頃から量から質への転換が進行し、ブドウ畑のポテンシャルを表現した辛口が評価され、世界各国で経験を積んだ若手醸造家達が仲間同士で助け合いながら素晴らしいワインを造り、それをメディアが取り上げて注目を集め、売り上げと生産者のモティヴェーションが高まるという好循環に湧いていた。そんなドイツも1990年代までは大半の生産者は過剰生産と樽売り市場の価格下落、労働に見合わない低収入と後継者不足に悩んでいたのだから、時代は変わるものなのだ。

 希望的観測ではあるが、恐らくそれと同じように日本の状況も良い方向に変化しつつあるのかもしれない。日本向けのDWIプレスツアーが数年ぶりに催行されたのも、ドイツワイン市場が息を吹き返しつつあることを反映している。2012年の7%を越える成長の要因は、私見では従来ドイツワインを扱っていなかったインポーターが、新たに、それも本腰を入れて真剣にドイツワインに取り組み始めたことである。ワインは飲んでなんぼのものであり、いくら説明を読んだり聞いたりしてもわからない。つまり現地に赴くか、それとも誰かが輸入してくれないことには何も始まらない。そしてインポーターのワインとともに、産地の新鮮な情報が入ってくる。例えば(株)ラシーヌでは2011年9月から何度も現地に足を運んで生産者を選び、2012年5月からオーストリアのワインとともにドイツワインの取り扱いを始めた。その他にも私の知る限りでは、ワインジャーナリストの田中克幸氏と私ともう一人の仲間と共に「Tokioドイツワインサークル」を立ち上げた上野さんも、他社が輸入したものだけでなく、新たに自社のショップで販売するワインを探しに2011年10月頃から数回ドイツを訪れて、若手醸造家やヴァン・ナチュールを中心に高品質なワインを紹介している。また、今年2月には私がトリーアに住んでいた頃から何度もドイツを訪れて醸造所めぐりをしていた宮城氏が、新たにワインショップを立ち上げた。これらは私が知っているごく限られた範囲の出来事なので、他にも同様な例や関連する出来事がきっとあるだろう。

 こうした新たなインポーターを通じて、これまで高品質なドイツワインに接する機会のなかったレストランや酒販店に、志の高い生産者が造るワインを知ってもらうことが出来るのは、日本のドイツワイン市場の将来にとって大変貴重なことだと思う。従来からドイツワインに力を入れて、地道に努力を重ねてきたインポーターも少なくない。しかし新しい市場の開拓という意味で、それまでの枠組みを超えてあえてドイツワインに取り組むことを決意した人々の勇気は、「甘いだけが取り柄で低品質」という従来のドイツワインのイメージを着実に変えつつある。その影響は当事者に留まらず、ドイツワイン市場全体を活性化しつつある。それが2012年の統計に表れた+7%の意味であると私は思う。

 出来ればこれに便乗するようにして、より多くの新しい生産者が日本に紹介されるようになれば良いと思う。そのニーズに応えるだけの数多くの醸造所がしのぎを削り、毎年のように新しい若手醸造家が頭角を現しているのが今のドイツワインであり、その様子を最も実感することが出来るイヴェントがプロヴァインなのである。

 春である。春と言えば桃である。桃栗三年柿八年というが、芽を出したばかりの樹木が花を咲かせ、実を結ぶまで数年はかかる。リーマンショック、そして東日本大震災という困難を乗り越えて日本市場に新たに芽吹いたドイツワインの樹が、しっかりと根をおろして成長出来るよう、みんなで守り、育てて行きたいものである。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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