2013.12 ワインライター 北嶋 裕
日本では、今でもドイツワインといえば甘口と思われているようだ。
去る10月初旬に都立青山公園で開催されたドイツフェスティバルで、有志と『ドイツワインクイズ』なる催し物を行った。ステージの前にいた約100人を相手に質問を出して行き、最後に残った正解者に商品を出すという企画だったのだが、「ドイツワインは辛口が主体である。○か×か?」と聞いたところ、正解者はその時点でわずか3名に減ってしまった。みんな自信を持って「×」を意味する拳を突き上げていた。
一方、ドイツワインの世界最大の輸入国であるアメリカでは、辛口は日本より認知されているようだ。「リースリングはアルザスではなく、オーストリアでもなく、ドイツのドライが最上と考えられていた」と、ニューヨークでもトップクラスのフレンチレストランで働いていたソムリエ氏が言っていたそうだ。しかし今から11年前、2002年にニューヨーク・タイムズにエリック・アシモフが書いたコラム„Tastings; German and Dry? Of Course“ (March 20, 2002)を見ると、当時はアメリカでも今の日本と同じように、ドイツ産の辛口はほとんど売れていなかったようである。
過去10年間のアメリカのドイツワイン事情
アシモフはその理由について、まず名称の複雑さを挙げている。例えばシュペートレーゼ、アウスレーゼと肩書きが上がるにつれて、ワインの甘みが増すことは良く知られている。ところがアウスレーゼ・「トロッケン」や「ハルプトロッケン」と補足がついた時、いったいこれはどういうことかと混乱してしまう。それぞれの違いを理解するには醸造技術に関する知識が必要だ。つまり、アウスレーゼなどの肩書きは収穫時の果汁糖度で決まり、トロッケンやハルプトロッケンは発酵の後、ワインに残った糖分で決まる。そして発酵は糖分をアルコールに転化するので、アウスレーゼのようなより熟した収穫時の糖度の高い果汁から辛口を造ろうとすると、より多くの糖分を発酵させなければならないのでアルコール濃度も高くなる。また辛口には限らないが、長たらしい畑名もドイツワインをつい敬遠したくなる原因だ。こうした格付けや名称の難しさが、本当は素直においしい辛口がドイツにもたくさんあるのに、消費者を遠ざけているのは残念なことだ、という趣旨のことを述べている。
それから6年後の2008年、つまり今から5年前になっても状況はあまり変わらなかったようだ。“German Rieslings, Light and Dry“ (April 23, 2008)の中で「辛口だって?多くのアメリカ人はリースリングは全部甘口だと思っている。でも実際にはオーストリア、アルザス、オーストラリアや北米も、ほとんどのリースリングは辛口だ。そして驚いたことに、実はドイツ産リースリングも辛口が多く、今日のドイツ人の嗜好は過去20年間で圧倒的に辛口リースリングに移っている。しかし最大の驚きは、その辛口ドイツワインが実においしくなっていたことである」と書いている。おいしい辛口リースリングには10年位前は滅多に出会わなかったという。当時は辛口ワインは単に甘口よりも発酵を進めれば良いと考えられていて、収穫量を低く抑えて、酸味と甘味のバランスを考えて注意深く醸造されていなかったからだ。しかし近年はコンスタントに良質な辛口リースリングを生産する醸造所が着実に増えてきた。とりわけ若手醸造家は辛口に力を入れていて、さら地球温暖化で北国でも葡萄が完熟するようになったことも背景にある、と指摘している。
しかし一方で、辛口ワインに力を入れるあまり甘口が生産されなくなることを、長年ドイツワインの北米への輸入を手がけるテリー・ティーズは当時から心配していたようだ。リースリングの辛口なら優れた生産国がいくつもあるが、甘口は古今東西ドイツを超える生産国はない。これに対してアシモフは、確かに気がかりではあるが「それでも上品さ、繊細さ、力強さを兼ね備えた辛口のドイツ産リースリングは独自の世界を持っていて、他の辛口リースリングには真似の出来ないものだ。たとえドイツ人が甘口リースリングを相手にしなくなったとしても、海外の需要のために造り続けられることを願うほかない」とコラムを締めくくっている。
危機に瀕する甘口リースリング?
それからさらに5年後の2013年8月、つまり今年の夏のアシモフのコラムからは、甘口がなくなってしまうことへの危機感をティーズが深めている様子がうかがえる(“Germany´s Rieslings on the Tip of the Tongue, August 22, 2013)。ティーズは言う。「ドイツ国内のどこに行っても辛口ワイン一辺倒なのは、やるとなったら情け容赦なく一気にやっつけようとするドイツ人の国民性を示す怪しげな例」であり、辛口ドイツワインは「他の全てを飲み込んで成長する、極めて繁殖力の強い(ガン細胞のような)種族」なのだと手厳しい。ティーズはまた彼の扱うドイツワインのカタログに、とあるドイツの生産者の言葉として以下のように書いている。「(ドイツには)ある意味『味覚の全体主義』があって、いささか不愉快なことに、味覚は本来ひとそれぞれ違う(あるいはそうあるはずな)のに、ドイツ人はみんな一種類のワイン、つまり辛口ばかりを好んでいる」と。
(http://www.skurnikwines.com/msw/documents/MSW_TerryTheise_Germany_2013.pdf, p. 8)
アシモフのコラムで紹介されたティーズのドイツ批判は波紋を呼んだ。ベルリン在住のワインジャーナリスト、スチュアート・ピゴットも黙っていられなかったようで、記事が出た翌日のブログの中で早速批判している(http://www.stuartpigott.de/?p=3842)。大意要約すると「昔と違って今のドイツ人はフレキシブルだ。若い醸造家達は自分たちが飲みたいワインを造っていて、甘口や辛口といった杓子定規な区別はしていない。また、ラインヘッセン、ファルツやバーデンのように気候と土壌が辛口に向く地域と、冷涼で繊細な甘口に向くモーゼルなど産地によってそれぞれ得意なスタイルがあるのに、それを十把一絡げに『ドイツワイン』として論じるのもいかがなものか」と述べている。
すると今度はワインアドヴォケイトでドイツを担当するデイヴィッド・シルドクネヒトも議論に加わった(http://www.larscarlberg.com/too-much-heat-not-enough-light-the-pigott-fracas/)。彼の意見を要約すると、「リースリングのスタイルに関しては、確かに硬直した、白黒はっきりさせずにはおれない傾向が一部にある。例えばVDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟や、モーゼル以外の大多数のリースリング生産者、そしてレストラン評論家や一部のワインジャーナリスト達にうかがえる。醸造所やレストランのワインリストも、往々にして『あれかこれか』のどちらかに走る傾向がある。『ハルプトロッケン』という表記は中途半端でどっちつかずとして好まれないし、『辛口というからには法的にも辛口で、甘口というからにはとことん甘くなければならない』という徹底した姿勢(Konsequentheit)がよしとされている。収穫量を低く抑えて完全発酵さえすれば良いワインになる、と単純に考えている生産者もその一例だ。また、残糖の役割は単に甘みを増すためか欠陥を隠すためであるという誤解が依然として根強い。ドイツ産リースリングは本来、残糖があることでバランスがとれて素晴らしい表現力を発揮する。他のほとんどの品種では残糖値は問題にならない。というのは、辛口の状態で最高の仕上がりとなるからだ。その意味でドイツのリースリングは独特であり、法的に定められた9g/ℓ以下の残糖というのは、長期的に見たならば一時の流行でしかない」と的確に指摘している。
辛口化するドイツワイン
事実、ドイツの生産者は確実に辛口へとシフトしつつあるようだ。先日出版された2014年版のゴー・ミヨのドイツワインガイドによれば、甘口が主流であったモーゼルでも年々辛口の審査出品が増加し、2012年産は前年比で25%も増えたという。例えばザールブルクのツィリケン醸造所は2005年産の甘口アウスレーゼで一世を風靡した生産者なのだが、数年前までは生産のせいぜい1割にすぎなかった辛口とオフドライが、今では約50%を占めているそうだ(Gault & Millau Weinguide Deutschland 2014, p. 357)。
「生産者の多くは自分が仕入れるから甘口リースリングを造っていて、もしも扱いをやめれば喜んで甘口の醸造を止めて辛口に移行するだろう」と、ティーズはウェブマガジンSlate.comのワインジャーナリスト、マイク・スタインバーガーに語っている(http://winediarist.com/the-fate-of-sweet-german-rieslings-and-a-reply-from-david-schildknecht/)。ティーズの扱うドイツワインは以前から甘口が主体で、現在も約6割を甘口が占める。もう一人の北米の有力インポーターでティーズとともに北米のドイツワイン市場を築き上げて来たルーディ・ヴィースト(http://rudiwiest.quexion.net/)も、以前はほぼ甘口しか扱っていなかったそうだ。1980年代に彼らが北米に輸入を始めた頃はほとんど見向きもされなかったという小規模生産者の高品質なドイツワインは、2001年産でようやく認知されるようなった。そしてその人気は甘口とオフドライによるものだったのである。
しかし一方、現在ドイツ国内だけでなく世界各地で、そして日本でも少しずつドイツワインが見直される原動力となっているのは辛口リースリングである。1990年代までは痩せて酸味が目立ち、しばしば金属的な味がしたものだが、2005年産あたりから素直においしいと思えるものが増えてきたのは先にアシモフが指摘した通りだ。その背景にはドイツにおける「テロワール」の再発見がある。既に19世紀末にモーゼルやラインガウで畑の格付けが行われていて、第一次大戦前までドイツ産リースリングはボルドーに並ぶ世界最高のワインとして、ヨーロッパ各地で評価されていたことが広く知られるようになった。100年前の栄光を蘇らせようというわけで、モーゼルでは伝統的な大樽で野生発酵が自然に活動を止めるまで、つまり辛口かオフドライになるまでゆっくりと発酵させる、昔ながらの手法をとる生産者が注目された。それはステンレスタンクで培養酵母を用いて温度管理をしながら発酵するよりもリスクはあったが、そのぶんテロワールの表現された個性的なワインになった。
栽培面でもビオロジックやビオディナミを採用する醸造所が、主にファルツやラインヘッセンのトップクラスの醸造所から増えて行った。ビオを採用しなくても下草を意図的に残して土壌流出を防いだり、化学肥料ではなく豆科の植物で窒素を補ったり、殺虫剤ではなくフェロモンカプセルで房に産卵する蛾の繁殖を防いだりして、深く耕した健康な土壌で自然に育てた葡萄から質の良い収穫が得られることが受け入れられるようになってきた。黴や痛みのない健全に熟した収穫が辛口の醸造には重要なことも周知の事実となり、キャノピーマネジメントによる成熟具合の調整や風通しで黴の繁殖を防ぐことも普及し、収穫の品質は全般に向上した。(参考:http://www.larscarlberg.com/the-rise-and-fall-of-sweet-german-riesling/)
また温暖化で葡萄がより熟しやすくなっていることも辛口化の追い風となっている。かつては85°エクスレで満足して収穫されていたのが、近年では比較的容易に90°エクスレを超えるようになった。収穫時期の決定も果汁糖度と酸度だけでなく、アロマの蓄積を配慮した葡萄の生理的完熟を目安にするようになった。発酵前のマセレーションで果皮から香味を抽出す際の温度管理と滲出時間などの醸造技術が向上し、生産年の状況に応じて過剰な酸を炭酸カルシウムや乳酸発酵で減少させるノウハウの普及もまた、比較的手頃な価格で楽しめる辛口とオフドライを増やしている。
辛口化と産地の個性
ドイツワイン基金の統計によれば、2012年産の高品質ワインの約65%を辛口とオフドライが占めている(Deutscher Wein Statistik 2013/2014, Table 16)。しかしドイツワインから甘口がなくなることはないだろう。今後も生産者は辛口とオフドライの比率を需要に応じて増やしつつ、シュペートレーゼ、アウスレーゼ以上の甘口も造り続けることは間違いないと思う。ただ、温暖化で軽く繊細な甘口カビネットを造ることは難しくなってきているようだ。いずれにせよ辛口であれオフドライであれ甘口であれ、ドイツのそれぞれの産地でしか出来ないと思わせるワインが求められている。もっともこれは、既に3年前にシルドクネヒトが指摘していることなのだが。(http://schiller-wine.blogspot.jp/2010/11/david-schildknecht-rieslings-gobal.html)
(以上)
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。