ドイツワイン通信 Vol. 24

新しいドイツワインガイドの出版によせて

2013.10    ワインライター 北嶋 裕

 ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』(高橋健二訳、新潮文庫)に、こんな一節がある。

「いちばんいいのはエルザス酒だった。私は強烈な酒を好まない。すくなくとも常用するには、強い刺激をまき散らす、評判の高い特殊な味を持つ酒を好まない。私のいちばん好きなのは、特別な名のない、まったく純粋な軽いつつましい地方産のワインだ。それならたくさん飲めるし、風土や土や空や森の味がおいしく、しんみりとする。一杯のエルザス酒と一片のよいパン、それがありとあらゆる食事の中の最上のものである。」

 とある町の料理屋で一人食事をする主人公が、半リットル入りカラフから一杯目を飲んだ時の感慨である。私の場合エルザス酒ではなくモーゼル酒だが、そのほかの点についてはまったく同感だ。風土や土や空や森の味がおいしく、しんみりとするワイン。今で言うテロワールを感じるワインだろうか。一方、「強烈な酒」「特殊な味を持つ酒」とはどんな酒なのか。ワインなのか、それともリキュールなのか。あるいは「しんみりとする」というのは、どんなドイツ語なのだろうか。気になったので原文にあたってみた。 すると、「酒」と訳されていたのはワインであることがわかった。そして「しんみりとする」とは「親しみのわく」といった意味のfreundlichの訳語だった。原文は以下の通りである:

„...und sie schmecken so gut und freundlich nach Land und Erde und Himmel und Gehölz.“

直訳してみるとこうなる。

 「…そしてそれらはとても美味しくて親しみやすく、風土や土や空や森の味がする。」

これをドイツ文学者の高橋健二氏は

「…風土や土や空や森の味がおいしく、しんみりとする。」

 と意訳した。土地や地方を意味する“Land“に「風土」を、林や雑木林を意味する“Gehölz“に「森」の訳語を選んでいるのは文脈からして的確だと思うし、ヘッセがシュヴァルツヴァルトの森に囲まれた村で育ったことを考えれば、“freundlich“に故郷への思いを重ねて「しんみりとする」と訳すのは、主人公の心情をよく伝えていると思う。

 「翻訳とは逐語訳ではなく、理解と、それに基づく再構成である」と言われている。実用書であれ小説であれ、優れた訳書はあたかも最初から日本語で書かれたかのように読めてしまうものだ。だが、私自身の訳がそうであるように、原文の意味をなるべく正確に日本語に移そうとすると、往々にして硬く、いささかぎごちない文章になってしまう。しばしば反省する点である。

待望のドイツワインガイド

 さて、先日ようやくシュテファン・ラインハルト著『FINE WINEシリーズ・ドイツ』(ガイアブックス、旧産調出版)の日本語版が出版された。ようやく、といっても英語で書かれた原書の出版が昨年の10月だから、翻訳の出版としては早いほうだろう。ようやく、というのは、ドイツワイン全般についてバランスよく目配りの効いた日本語の本は、伊藤眞人氏の『新ドイツワイン』(1984年)以来絶えて久しかったからだ(古賀 守氏の古き良き時代の趣が色濃く漂う著作や、岩本順子氏の一部の優れた醸造家達のポートレートなどを除けば)。FINE WINEシリーズは既にシャンパーニュ(2009)、トスカーナ(2009)、ボルドー(2010)、カリフォルニア(2011)、リオハ&北西部(2011)、ブルゴーニュ(2012)が刊行され、日本語版もある。それぞれの産地に精通した著者が歴史と現状を解説するとともに、写真家ジョン・ワイアンドによる産地の風物や生産者のポートレートも美しい。

 ドイツ編の著者シュテファン・ラインハルトは40代半ば、ドイツ北部のリューネブルクに妻と二人の子供とともに住んでいる。ジャーナリストとしてのキャリアはミュンヘンに本拠をおく全国紙『ズュードドイチェ・ツァイトゥング』からスタートし、2002年からワインをテーマにした記事を複数の専門誌に寄稿し始める。2007年に出版されたスチュアート・ピゴットが監修したオーストリア、スイス、アルザスを含むドイツ語文化圏のワイン生産地域をレポートした大作『ヴァイン・シュプリヒト・ドイチュ(ワインはドイツ語を話す)』でフランケン、南ファルツ、ドナウ渓谷、ブルゲンラントの章を執筆。2008年からワインジャーナル『デア・ヴァインヴィッサー』の編集長、2012年からドイツ語圏の代表的ワイン専門誌『ヴィヌム』のドイツ担当編集長を務め現在に至る。ラインハルトが寄稿する雑誌の一つにロンドンに本拠をおくワイン専門誌『ザ・ワールド・オブ・ファイン・ワイン』があり、ここがFINE WINEシリーズの発行元だ。彼の記事はジャーナリストらしく対象との間に適度な距離感があり、生産者とワインの評価能力には定評がある。

ガラパゴス化した日本

 のっけからこう言うのも何だが、ドイツ語や英語の情報に常に接して来たならば、この本には特に目新しい情報はない。一方、今のドイツワインの基礎知識ともいえる情報が、ようやくまとまったかたちで日本語で提供されたことの意味は大きい。

 私見では、日本のドイツワインは携帯電話と同様ガラパゴス状態にあった。雑誌などで時々思い出したようにドイツワインの現地取材記事が出ることはあっても、それは多かれ少なかれ一過性の情報として消費され、スルーされてしまった。昔からドイツワインを愛飲してきた人々が、往年の栄光を懐かしむようにして語り継いできた情報と価値観が、今も通用するかのごとく流布してきたように見える。ことファインワインに関しては、限られた愛好家が好むワインしか売れないから、一般の消費者のニーズと乖離してますます市場が狭くなる。市場が狭まると品揃えも減って、同時に生産者や産地の情報も減り、消費者の関心も失われていくというデス・スパイラルに陥っていたのが、一昨年までの状況であろう。

 一冊の本で状況が一気に変わるとは思わないが、少なくとも日本語で出版されたことで、現在のドイツと基本的な情報や価値観を共有できることは喜ばしいことだ。数十年遅れていた時計がようやく修正され、これまで合っていなかった歩調が次第にそろうことだろう。また、日本人は学ぶことや自己啓発にとても熱心な民族である。新しい、価値のある情報がそこにあれば、ほどなく吸収してしまうに違いない。

 一方、もしも昔のドイツワインこそ本物で、著名醸造所の有名な畑の、肩書きの位階の高い甘口ワインこそ高級ドイツワインである、という確信を揺るがされたくないのであれば、この本は読まないほうがいいだろう。なぜなら1971年のワイン法への批判に富んでいるからだ。一部の生産者や特別な葡萄畑の所有者だけが格付けされるエリート主義を排除し、歴史的な急斜面の畑から手作業で収穫したリースリングでも、ジャガイモ畑の量産早熟品種をハーヴェストマシンで収穫しても同等に扱うという、似非民主的なこの法律こそがドイツワインを駄目にしてきた諸悪の根源であると、序文を寄せたヒュー・ジョンソンもラインハルトも繰り返し指摘している(例えば4, 5, 19ページ)。いわば暗い過去との対決であるが、そこを明確に認識しなければ、何も始まらないのである。ワインに限ったことではないけれど。

ラインハルトの野望

 それにしても、ドイツワインの栄光を、その知られざる価値を世界に広く知らしめるべきガイドブックが、なぜ自らを貶めるようなことを強く主張するのだろうか?

「なぜこんな話をするのかと思われるかもしれない。」とラインハルトも述べている(8ページ)。
「それはひとえに、ドイツワインに対する読者の印象がどうであれ、またそれが他のワインとどんなに違ったものだったとしても、ドイツワインにはこだわってみるだけの価値がある、そして私がそうだったように、読者もそれを愛することが可能であると、読者を説き伏せたいからに違いない。」270ページあまりのこの本は、著者のこの思いに貫かれていると言っても過言ではない。30ページあまりの序説には「冷涼」の定義から歴史、格付け、地理、気象、品種、栽培醸造の概略がコンパクトにまとめられていて、ドイツワインの現在を知るには、とりあえずこれだけを読めば十分に足りる。続いて個別の産地と代表的生産者が紹介され、それぞれ産地別に2~6ページの概略と、1~4ページで生産者が、大半はその人柄の滲む写真と試飲コメントとともに紹介されている。

 ただ残念なのはミッテルライン、ザーレ・ウンストルート、ヘシッシェ・ベルクシュトラーセが全く取り上げられていないことだろう。これらの産地には本書で取り上げるに値すると思われる生産者がいなかったと言う。また、個々に紹介される生産者も、現在ドイツに約24,000あるといわれる中のわずか70に限定されているが、その選択にあたっては、生産者の個性と哲学と彼らの本物の手造りのワインから、今のドイツワイン界の活況がきっちりと伝わってくるような生産者を主観に基づいて選んでおり、取り上げた生産者がドイツのベスト70という訳ではない、と著者はまえがきではっきりと断っている(5ページ)。ちなみにファン・フォルクセン、クレメンス・ブッシュ、フォレンヴァイダーは紹介され、エファ・フリッケ、シェルター・ワイナリー、アンデレ&モルにもふれている。

翻訳のむずかしさ

 いずれにしても広報団体のお仕着せではない、良い意味で主観的なドイツワイン本が日本で出版されたことは喜ばしい。欲を言えば訳文がやや生硬で、日本語として十分にこなれていない印象を受けるが、これはこのシリーズが従来一冊を一人の翻訳者が約1年かけて担当してきたのに対して、ドイツは4人の翻訳者が手分けして、恐らくかなり厳しい時間的制約の中で作業しなければならなかった事情によるのだろう。少なくとも序説では、誤訳は“Anything But Chardonnay“ (12ページ。「シャルドネがすべて」ではなく「シャルドネ以外ならなんでも」の意)ほかいくつか散見されたが、ここで重箱の隅をつつくのはやめておく。また、果汁における糖度の比重の計量単位である「エクスレ」を「モスト量」と、聞き慣れない造語に置き換えているのにも違和感があった。

 監修者の江戸西音氏は『ドイツワイン全書』(1985年)などの著作があり、インポーターでもある。おそらくドイツでは最も有名な日本人ワイン商の一人で、現在のドイツワイン界の第一人者であるのはよく知られているところだろう。ただ、監修者まえがきの中で、文中に頻出する「還元的」(reductive)という語について「本書掲載の数名の生産者に尋ねたところ、時間をかけて醸造し、しっかり熟成する長命のワインに仕上げることだという説明でしたので、そうご理解下さい」と、いささか突き放すように述べているのはどうかと思う。もしも補足説明が必要と思われたのであれば、もうすこしわかりやすい説明を試みてもよかったのではないだろうか。また、葡萄品種の発音も日本語表記にする時悩む点ではあるが、幸いマインツのドイツワイン基金がYouTubeに動画を投稿しているので、改めて確認するのも良いだろう。
(How to pronounce German Wine,) http://youtu.be/c9yyzkx5g78

 ともあれ、シュテファン・ラインハルトのこのガイドブックは日本市場に新風を吹き込むことが期待される一冊である。ドイツワインはよくわからない、つかみどころがないと感じているなら、是非一読をおすすめします。とりあえず、アマゾンで序説を立ち読みしてみては如何でしょうか。(http://www.amazon.co.jp/dp/4882828782

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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