ドイツワイン通信 Vol. 23

リースリングとドイツ人の気質

2013.09    ワインライター 北嶋 裕

 今年の日本の夏は猛烈だった。日中の最高気温が各地で40℃を越えるとは、一昔前は考えられなかったことだ。それにあのゲリラ豪雨。被害にあわれた方は大変だったことだろう。しかしその暑さもようやく一息ついたようだ。ヒグラシの声が夕やみに余韻を残しつつ消えたとき、夏の終わりが近いことを知った。

 ドイツでも今年の夏は暑かったという。5月の大雨と洪水に続きモーゼルでは6月20日に雹に見舞われ、開花は平年より約2週間遅い6月25日前後となった。しかし夏はそれまでとは打って変わって晴天が続いた。8月の日照時間は既に平年を越え、平均気温は記録的な猛暑だった2003年をも上回っている。一部の若木は葉を黄色く変色させて渇水ストレスを訴えたが、大半の葡萄樹は地中深くに蓄えられた春の水を吸い上げ、順調に成熟を続けているという。

 

「主よ、時が来ました。偉大な夏が終わります。
 あなたの影で日時計を覆い、
 そして野原に風を放ってください。

 最後の果実に熟すことを命じてください、
 彼らにもう二日ばかり 南国の陽射しを与え、
 完熟へと急き立て 最後の甘味を
 重いぶどうの房の中に 追いこんでください。」

(ライナー・マリア・リルケ「秋の日」より抜粋、石丸静雄らの訳を参照しつつ試訳)

 19世紀末から20世紀前半にかけて活動した放浪の詩人、リルケの詠んだこの詩には秋の予感が漂っている。あの肌を刺すように強烈な夏の陽射しが陰りを見せ、涼風が草原や葡萄畑を吹き抜ける。この時期、収穫前の30日間は農薬の散布も行われず、生産者は葡萄が色づき熟し行くのを見守り、適度の降雨と好天が続くことを祈るより他はない。

 開花の遅かった今年は9月初旬から早熟交配品種の収穫がはじまるというが、これは濁り新酒にされることが多い。葡萄畑がしばしの休息から目覚めて活気づくのは9月半ば、ミュラートゥルガウやエルプリング、グートエーデルといった日常消費用ワインとなる葡萄の収穫がはじまるころだ。次いで9月下旬から10月上旬にかけてピノ・ブラン、ピノ・グリ、ピノ・ノワール、シルヴァーナーなどが取り込まれ、それがひと段落すると再び嵐の前の静けさが訪れる。「リースリングの収穫開始前は本当に胃が痛くなる」とザールのある生産者は言っていたが、この時期の天候が一年の成果を左右するのだから無理もない。完熟を待つか、その前に確保するか。ある程度のギャンブルの要素は常に存在し、運と不運がつきまとう。収穫開始から最後の房が圧搾機に運ばれるまで、意思決定を迫られる毎日が続く。だから生産者は天に祈るのだ。せめてあと二日、南国の陽射しを与えてください、と。

リースリングのドイツ的性格

 イタリアやフランス南部など、8月に収穫が始まる南国の生産地域の収穫の様子を私はあまりよく知らないのだが、恐らくドイツのリースリングの収穫よりは、生産者のストレスは少ないのではないかと思う。ドイツでも近年は気候変動で葡萄が熟しやすくなっているとは言うものの、例えば2012年のように夜間に気温が下がらず酸がなかなか減らなかったり、2011年のように9月下旬からの急速な減酸で収穫を急がねばならなかったり、2010年のように10月上旬に灰色黴と腐敗が広がり出して未熟な状態で収穫する生産者がいたり、すくなからぬ生産者が果汁の減酸処理を行ったりと、限界状況まで追いつめられ、それに対処しつつ乗り越えることを要求される産地と品種であることには変わりない。

 この厳しさがドイツ産リースリングの個性をつくる要因でもある。つまり、ひとつには開花から収穫まで通常の葡萄品種が100日前後で収穫を迎えるのに対し、ドイツのリースリングは約120日前後と長期に渡りゆっくりと熟す。それだけ忍耐を要するが、糖分とともにエキストラクトとアロマをより豊かに蓄積し、北国の酸味と相まって明瞭なストラクチュアを備えたワインとなる。もうひとつ要因は気候条件とともに、生産者の「こういうワインを造りたい」という明確な目的意識や美意識が、リースリングにはとりわけ強く反映されている気がする。ドイツ人の目標を目指してひたむきに努力する姿勢、ドイツ語で言うところの「ツィールストレービヒカイトZielstrebigkeit」が、ドイツのリースリングには如実に現れているように思われるのである。

 別の言い方をすれば、リースリングは厳しいワインである。厳しさの中に美しさがある。また、あえて言えばマゾヒスティックなワインと言えるかもしれないし、リースリングが苦手という人は酸の突出感だけでなく、そうしたある意味独善的な、妥協を許さない融通の利かなさに対して抵抗を感じるのかもしれない。確かにそういう面はあると思う。それは日本的なあいまいさや物腰のやわらかさ、和みの世界とは異質なものだ。甘味と酸味の緊張感と、くっきりとした輪郭を描く硬質な酸味とミネラルと、エキストラクトの醸しだす奥行とニュアンスが構築する味わいは、繊細さという面で和の世界と通じるようでいて、圧倒的に自己主張の強い個性を持っている。だから和食に合わせる場合は熟成して固さのとれたものか、舌ざわりのいくらかまったりとしたものを選んだほうが良いが、リースリングより酸が控えめで柔らかい酒質をもつ品種の方が一般に合わせやすいと思う。

生産者の個性とリースリングの個性

 ともあれ、リースリングには気候条件とともに生産者の思いが、他の品種よりも強く反映されている。従って土壌や立地条件とともに、生産者ごとに異なる個性を持つのは半ば当然のことなのだ。それは比喩的なイメージに留まらず、それぞれの生産者が「こうあるべき」という理念を持って栽培・醸造にあたるため、栽培から醸造に至る一つ一つの作業プロセスに違いが生じ、それが総体としてワインの個性となって現れる。

 例えばファン・フォルクセンもクレメンス・ブッシュも、おおざっぱに言えばどちらも同じワイン生産地域モーゼルの生産者である。どちらもスレート粘板岩を主体とした土壌の急斜面でビオディナミで栽培し、醸造には主に木樽で野生酵母で発酵し、長期間にわたり熟成を行う点でも共通している。しかしそれでも前者は酸の角が丸く全体に調和がとれ、豊かなミネラル感と果実味の純粋さと余韻に心地よさを伴うのに対し、後者はどちらかといえばストイックな峻厳さがあり、酸とミネラルからなるバックボーンに精妙なニュアンスをまとっている印象がある。前者は時々「モーゼル(あるいはザール)らしくない」と評されることもあるが、それは紛れもなくザールのテロワールの表現である。一方後者のミネラル感と酸味は徹頭徹尾モーゼルのリースリングであり、その真骨頂の一つであることは衆目の一致するところだ。一体なぜこれほどの違いが生じるのだろうか。土壌と立地条件や局地的な気候の相違の他にもクローン、葡萄樹の仕立て方、収量のコントロールから収穫時期の見極め、収穫作業の進め方、マセレーションの有無及びその時間と温度、除梗・破砕を行うか否か、圧搾機材の違いや野生酵母の種類に発酵温度、澱引きのタイミングに亜硫酸添加のタイミングと量など、生産者が決断を下し操作を加える余地は意外に多い。伝統的手法によるテロワールの表現を目指していても生じる差異と、そこに反映される生産者の意思決定に由来する相違もまた、ドイツ産リースリングの特性なのである。

日本のドイツワイン

 ワインと生産者の個性に関連性が認められるのは、何もドイツのリースリングに限ったことではないかもしれないが、高品質なリースリングには生産者の意思が強く反映されているが故に自己主張が強く、日本の消費者の嗜好にマッチしない場合もありうるだろう。「リースリング・ルネッサンス」と言われて既に十数年が経ち、高貴品種として世界的に見直されつつあるが、日本市場にどこまで浸透するかはそれ故に未知数である。

 思うに、ドイツ人にはストラクチュアが不明瞭で物足りないと思う位の、従ってガイドブックでは評価や点数が必ずしも高くない、ある意味ヤワな構造を持ちつつも、香味が綺麗に澄んだワインが日本人には向いているかもしれない。そこで思い出したのがドイツ人のおおらかな側面だ。人にもよるが、それほど重要ではないことに関して大抵は「いいんじゃないの Es geht」と言って流してしまう。目標に向かってひた向きに努力する一方で、細かいことに目くじらを立てず柔軟に対応する落ち着いたおおらかさもまた、ドイツ人の気質にはある。ドイツ語ではそれを「ゲラッセンハイトGelassenheit」と言うが、このドイツ人らしいおおらかさを感じるワイン、そんなドイツワインこそ、日本で愛される可能性があるように思われる。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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