ドイツワイン通信 Vol. 22

トリーアのワイン仲間と2012年の新酒

2013.08    ワインライター 北嶋 裕

先日、トリーアの友人から新酒が15本ばかり届いた。
ぼちぼちモーゼルでも2012年産が出そろったようだ。

 ドイツでは新酒は収穫翌年の5月下旬までにリリースされることが多い。5月から6月は醸造所や醸造所連盟の新酒試飲会が目白押しで、トリーアに住んでいた頃はけっこう忙しかった。試飲会に足繁く通っていると、毎回のように顔をあわせる人達がいることに気付く。彼らの職業は様々だが、ワインや醸造所に関する意見や情報から学ぶことは多い。

 そうやって知り合った人の中には、趣味が昂じてワインで生計を立てるようになった人が何人かいる。例えば昨年6回シリーズで行わせて頂いたドイツワインセミナー用に、試飲するワインを手配してくれたマンスー・ホワンもその一人だ。韓国からドイツ文学の博士号を取得するべく留学に来ていたのだが、幸か不幸か、ワインにはまってしまった。そもそも、ワイン産地にあるトリーア大学を留学先に選んだのが運のつきだったといえる。留学中に結婚して子供もいたにもかかわらず、ワイン商として身を立てるべく大学を退学してソムリエ養成学校に入学。いくつかの醸造所に頼み込んで研修させてもらったり、韓国のワイン雑誌に寄稿したり、ワインツアーのガイドをして人脈を培い、一昨年だったか、ようやく念願かなってドイツで輸出業者として起業した。長い道のりだったと思うが、今後の成功を心から祈っている。

 もう一人、私のアパートから歩いて5分位のところに住んでいたのがフェリックス・エシェナウアーだった。彼はトリーア大学の学部の学生にもかかわらず、Riesling Blog (riesling.blogg.de)と名付けたブログに物凄く濃い、歴史や古酒に関しては他に類を見ないほどの充実した記事を書いていた。いつも親友のマークと二人で試飲会に来ていたが、彼らの試飲速度は尋常でなく速く、いつかプロになるだろうと思っていたら案の定、フェリックスはCaptain Cork (www.captaincork.com)というドイツ語圏で最も閲覧数が多い(らしい)ワイン情報サイトの執筆陣の一員となった。それも大学に通いながらである。一昨年修士を終えて今はマーケティング事務所で醸造所団体のパブリシティや大規模なワインパーティを企画したりしている。一方マークはトリーア市内の醸造所で顧客対応を任されており、巧な話術で訪問者を楽しませている。

アマチュアの情報発信力

 ワイン好きが昂じてワインが人生そのものになってしまった人々は、私の周りには他にも何人かいる。しかし中には本職をこなしながら質の高い情報を発信している人々もいる。例えばベルギーのジャン・フィッシュとデイヴィッド・ライアーだ。Mosel Fine Winesというレポートを定期的に発行している愛好家二人組で、ジャンはパリの空港で管制官をしていると聞いた。彼らのレポートは生産者の間でも評価が高い。先日配信された最新号は2012年産モーゼルの生産年情報がテーマだった。そろそろ日本にも新酒が入ってくるころでもあり、彼らにラシーヌ通信に紹介しても良いか聞いたところ、快諾を得たので以下に一部を訳してみた。

2012年モーゼルの葡萄生育状況

例年になく暖かく乾燥した3月で発芽は早かった。
寒い春の後の3月は非常に暖かく、最高気温が20度を越える晴天が多かった。
4月は平年並みの気温に戻ったが、生育は長期水準より早いペースで進んだ。

6月の天候不順が花振るいを引き起こし、収穫量を落とした。
5月は平年並みかそれをやや上回る降雨量で、生育は長期水準に戻った。開花は条件に恵まれず、 6月の多雨と低温が花振るいを引き起こし、この時点で10~20%の収穫減が見込まれた。

7月の豪雨が腐敗の広がる兆候をもたらし、理想的な夏ではなかった。
7月と8月の気温は例年を上回り、リースリングは完璧かつ均等に熟すかに思われた(リースリングは暑すぎる環境を好まないことに注意)。しかし事態を悪くしたのは例年を50~100%も上回った降雨量だった。カルトホイザーホフのクリストフ・ティレルによれば7月5日にルーヴァーで記録的な豪雨があったという。その後、生産地域全体にペロノスポラの蔓延する兆しが現れた。残念なことにエゴン・ミュラーも有機農法に転換する計画だったのを、一度あきらめねばならなかった。「病気の防除手段として化学農薬を使う在来農法に戻りたくなかったのだが、もしそうしていなければ、おそらく収穫を全て失ったことだろう」とミュラー氏は率直に語っている。ダニエル・フォレンヴァイダーも葡萄畑の仕事量は前年の倍以上だったという。

平年並みの9月で糖度は速やかに上昇したが、酸度が一向に減らなかった。
9月の日照時間と気温は平年並だったが、幸運なことに例年よりもずっと乾燥していた。これが果汁糖度を速やかに上昇させ、月末には2011年の水準にほぼ追いついた。しかし冷涼で酸度が下がらなかった。

10月は再び好天に恵まれたが、酸度は夜間の低温で月末まで下がらなかった。
神様が再び味方してくれたおかげで10月はほぼ完ぺきな天候となった。初旬の局地的な大雨は成熟速度を遅くしたが、その後10月14日から11月上旬まで天候は晴れて乾燥した。だが夜間の低温が続いたため酸度が11月まで減らなかった。結果として多くの生産者の収穫は総酸度12~14g/ℓという高さだった!
ただ幸いなことに、酸の大半はリンゴ酸であった(訳注:リンゴ酸は酒石酸よりも容易に除酸出来る)。

大半の生産者は10月10~15日頃、つまりゴールデン・オクトーバーの晴天に収穫を開始し11月初旬に終えた。
天候はぱっとしなかったが葡萄の成熟は進み、多くの生産者は10月8~10日頃にフォアレーゼ(訳注:本収穫の前に傷んだ房を取り除く作業)を始めた。10月14日過ぎから晴れて乾燥した天候が続き、収穫チームは大変速やかに作業を進めることが出来た。ある生産者によれば、収穫作業者の中には前年よりも労働時間が大幅に短かったので不満をもらす者もいたという。

貴腐はほとんど発生しなかったが、二度の寒気でアイスヴァインの収穫に成功した。
日中は乾燥し夜間は冷えたので貴腐菌はほとんど発生せず、多くの生産者は貴腐果を用いたワインを1, 2種類しか醸造出来なかった。コンスタンティン・ヴァイザー(ヴァイザー・キュンストラー醸造所)によれば「何時間も何時間も丹念に貴腐がついたばかりの葡萄を選りすぐったが、結局200ℓほどにしかならなかった」という。しかし、神様はモーゼルに二回の氷点下の寒気という恵みを与えた。それが最初に訪れたのは10月26日で、 夜間に気温は氷点下4~6度に下がった。ザールの冷涼な地区、とりわけシャルツホーフベルクの丘の下部では氷点下7度に達し、この伝説的な葡萄畑でのアイスヴァインの収穫成功に収穫チームも経営者も大いに喜んだ。12月10日頃にモーゼル全体を二度目の寒波が襲い、他の地区の生産者もアイスヴァインを収穫したが、「12.12.12」と日付が揃う12月12日に収穫した生産者が多かった。

2012は2004, 2002と類似するが、素晴らしい1993, 1975そして偉大な1953にも比肩しうる!
多くの生産者は2012年は2004年や2002年に似ているという。確かにワインのバランスという面では正しいが、2002年や2004年は収穫時に雨が降ったという点で全く異なる。その意味ではモイレンホーフのステファン・ユステンが、やはり収穫時の天候に恵まれた2001年を引き合いに出していることは理解できる。しかし過去の生産年を振り返りつつ2012年産を試飲してみると、9月の雨の後にようやく照った太陽が収穫を救った1993年産と明らかな共通点があることに気が付く(恐らく過去20年間で最もバランスのとれた生産年である)。この比較はとりわけルーヴァーに当てはまる(1993年にも多量のアイスヴァインが収穫されたので、一致はさらに深まる!)。その他にも過去の偉大な生産年に類似する生産年がある。ハノ・ツィリケン(フォルストマイスター・ゲルツ・ツィリケン醸造所)は2012年産は1975年を思い出させるという。「どちらの生産年のワインもゆっくりと成熟して貴腐がほとんどなかったので、生き生きとしてフレッシュな香味に溢れている」と指摘。
さらにエゴン・ミュラーは酸度の高さと貴腐が少なかった点で、2012年産はあの偉大な1953年に通じるという。

2012年産ワインの個性

冷涼でボトリティスが発生しにくかったため、生産地域の中でも地区により成熟状況に明瞭な差があった。
比較的穏やかな気温とボトリティスの発生が皆無だったという状況で、地区ごとの気象条件による成熟度の差が明瞭になり、その地区の中でも畑の立地条件による差が近年のどの生産年よりも大きくなった。モーゼルの中央部では葡萄は非常に高いレヴェルまで熟して例年よりもアウスレーゼが多くなったが、他の地区では果汁糖度が90エクスレを越えないことが多かった。そして生産者が85~99°エクスレを超えない葡萄を適切に選別して収穫出来た場合、みずみずしいシュペートレーゼやカビネットを造ることが出来た。例えばカール・フォン・シューベルト(マキシミン・グリュンホイザー醸造所)は「糖度は2011年より10エクスレは低かった」と指摘する。一方シュロス・リーザーのトーマス・ハーグは畑の立地条件が出た年とみている。「近年は良好な熟し具合が最上の畑とそれより劣る畑の質の差をある程度カヴァーしていたが、2012年は葡萄畑の質の差が再びはっきりと出た。モーゼル中部で自然に糖度が高くなったことが、この生産年に何が起きたかをよく示している」という。

2012年産のフルーティなスタイルのワインはフレッシュでアロマティックで、
2004, 2002や1993あるいは1975や1953に似ている。

2012年産はカットしたばかりのリンゴやグレープフルーツの典型的なモーゼルの香味(ルーヴァーとユルツィヒではカシス)が特徴で、モーゼル中央部のより熟した収穫では洋ナシやカリンのヒントがよく出ている。2004や2002年産を思わせるところがあるが、上述の通り我々の意見では1993年により近い。一方ハノ・ツィリケンは1975年産との比較が妥当で、エゴン・ミュラーは偉大な1953年に似ているという。いずれにしても2012年産のワインは今から非常に楽しめ、スパイシーな酸味(しばしば7~9g/ℓ)がほんのりとした残糖を見事に引き立てる。最上のワインはとてもピュアでデリケートで、概して無駄な重さが無くても優れた存在感を示す。ただ、カビネットやシュペートレーゼの多くが現在約60~90g/ℓの残糖で(まだ)発酵中なので、これからワインはシュペートレーゼやアウスレーゼレヴェルの、エチケット上の記載よりもリッチなスタイルになるだろう。

2012年産はフルーティなスタイルに向くにもかかわらず、辛口やオフドライが増えている。
2012年産は酸度が高く、本来オフドライかフルーティなスタイルに向いているにもかかわらず、国内外の需要に応えて多くの醸造所は辛口に仕立てている。辛口ワインの生産者の多くは、乳酸発酵をすすめることなく高めの酸度(7.5~9g/ℓ)でリリースしており、発酵前の低温マセレーションを延長して酸の角をとっている。こうしたワインは若いうちは厳しい印象を与えるかもしれず、数年の瓶熟が必要だ。

収穫量が低かったため、昔ながらのカビネットやシュペートレーゼの生産量はわずかだった。
収穫量が低く辛口かオフドライの割合が高いということは、昔ながらのフルーティなカビネットやシュペートレーゼの 生産が相対的に少ないことを意味する。多くの醸造所では甘口は生産量全体の20~30%以下にすぎない。

貴腐のない2012年は「飲みやすいアウスレーゼ」という希少でほとんど見かけなくなったワインを復活させた。
ボトリティスがほとんど発生しなかったので、アウスレーゼのいくつかは自然な酸味と相まって非常に香り高い新鮮さを備えており、時に高レヴェルの残糖があるにもかかわらず、すばらしく「飲みやすい」ものとなっている。実際のところ、いくつかの醸造所(例えばフォン・シューベルト)では健全でわずかに凍った葡萄を最上のアウスレーゼに用いて、この「すばらしく飲みやすい」という特徴を強めている。あるいはアンドレアス・アダム(A.J. アダム醸造所)やヴィリ・シェーファー(ヴィリ・シェーファー醸造所)のように健全な葡萄を念入りに選りすぐって同様のワインを造ったところもある。

貴腐ワインはほとんど造られなかったが、その代わり多量のアイスヴァインが埋め合わせをした。
10月末の最初の寒波はザールの醸造所に健全な葡萄の多量のアイスヴァインの収穫を可能にした。さらに貴腐が広がらなかったこともあり、他の生産地域の多くの生産者は12月12日頃に訪れるであろう寒波を期して葡萄を畑に残した(そしてフォン・シューベルトをはじめ何軒かの生産者が「12.12.12」という人眼を惹く日付に収穫を行った)。アウスレーゼ・ゴルトカプセルを生産した醸造所はわずかしかなく、それらを生産した醸造所(例えばエゴン・ミュラーやシュロス・リーザー)は非常に手間をかけて造っている。

(Mosel Fine Wines „The Independent Review of Mosel Riesling“ by Jean Fisch and David Rayer, Issue No 22, July 2013. www.moselfinewines.com ©Mosel Fine Wines. Translated by Yutaka Kitajima)

それぞれの人生

 Mosel Fine Winesのレポートにはこの他にも個々の醸造所の生産状況と新酒の試飲コメントがあるので、興味のある方はサイトから申し込めば購読できる。ジャンとデイヴィッドが足で稼いだ貴重な情報を無料で提供できるのは、本業があるからこそだろう。



 もう一人のトリーア時代の友人、ラース・カールベルクもワイン情報サイトを運営している。アメリカ人で10年位前からトリーアに住んでいる。ニューヨークやルクセンブルクで職を転々としながらモーゼルに流れ着き、トリーア市内のワインショップでバイトした後数年前までMosel Wine Marchantという北米向けにワインの輸出を行う小さな商社の経営を任されていた。彼なりに真摯に醸造所を選び抜いてCrush Wine & Spiritsなどニューヨークの有名店なども顧客に獲得していたのだが、オーナーと意見があわずに独立。今はエージェントをしながら執筆活動にいそしんでいる。もともと「僕には文才がないから」と醸造所の紹介なども外注していたのだが、実際に彼のサイト(www.larscarlberg.com)の記事を見ると、ここまでシリアスな葡萄畑や生産者に関する情報は他に無い。不真面目なようで実は生真面目で知的な彼の個性が出ている気がする。サイトの購読が有料(29Euro/年、英語)なのは生活のためだが、「文章で食べていくことは難しいね」と、以前トリーア市内でばったり会った時にこぼしていた。

 ラースはまた現在バッテリーベルク醸造所の経営責任者でセラーマスターのゲルノート・コルマンと昔からの知り合いでもある。そしてゲルノートは今を去ること十数年前、まだ研修生としてDr.ローゼンで働いていた頃、醸造所の近くで釣りをしていたヨアヒム・クリーガーと偶然知り合ったそうだ。クリーガー氏はモーゼル下流域をテーマにしたワイン本や葡萄畑の写真集を出しているが、ワイン雑誌には記事を書かないちょっと偏屈なワインジャーナリストである。ラースとゲルノートとクリーガー氏は仲間と時々集まって、モーゼルやボルドーの古酒を系統的に試飲したり、新酒の批判検証会を定期的に行っている。会は大抵ピースポート村の醸造所かバッテリーベルクで夜に行われるので、泊りがけか車で行くしかない。時々誘ってもらってはいたものの、博論やワイン雑誌の原稿執筆に日本語の授業の準備などで、残念ながら参加する機会を逃してしまった。

 さて、私がなぜ13年間もトリーアに居ついてしまったか、この環境から大体お分かり頂けたのではないかと思う。ただ、私の場合は最後まで学業を棄てることが出来なかった。ワインと歴史学という二つのレールの間で時々引き裂かれそうになりながら、曲がりなりにも修了して帰国することが出来た訳だが、早々に人生をワインに賭けた友人達には大きく遅れをとってしまった。そして今もまだ、二本のレールの上を走り続けている。いつかこの二つの道が一本にまとまることを願いつつ。

 そういえば数年前、私とマンスーとラースが集まってワインを飲んでいた時、お互いの誕生日が一週間前後しか離れていないことを知って驚いたことがある。皆12月の初旬から中旬にかけての射手座だった。韓国とアメリカと日本という三つの異なる国からトリーアというドイツの片田舎に集まって、それもワインが縁で知り合うとは奇遇なこともあったものだと乾杯した。一説によれば、生まれた時の天体の位置関係で人生は決まっているという。それもあるいは根拠のない話ではないのかもしれないと思った。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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