ドイツワイン通信 Vol. 18

ドイツの風土とワイン

2013.04    ワインライター 北嶋 裕

 東京では桜が見ごろを迎えた。帰国してから2度目の桜だ。薄桃色の白い雲のようにやわらかに明るく景色を彩り咲き誇る様と、その周囲に集い和む人々の群れは、日本を象徴する風景の一つだ。春風駘蕩として風はやわらかにそよぎ、ひらひらと舞い落ちる花びらの切ないまでの軽やかさは、私達の心に何の抵抗もなく染み透って行く。

 私がモーゼルに住んでいた頃は、桜の代わりにアーモンドの花が咲くのを心待ちにしていた。日本の桜と大体同じ3月下旬に開花して、それまでの冬枯れた褐色の風景を薄桃色に照らし、厚手の防寒具を容赦なく染み透る冬の寒さがようやく過ぎ去りつつあることを、透き通った空気の中で華やかに告げていた。

日本とドイツの食文化の違い
 やわらかく穏やかな日本の桜と、くっきりと咲き誇るドイツのアーモンドと、時期を同じくしてほころぶ二つの花の似て非なる存在感は、両国の食文化の相違に通じる所があるように思われる。例えば主食であるコメを、我々はふっくらと柔らかく炊きあげる。大トロや霜降り肉は言うまでもなく、豆腐やはんぺんなど、食感の柔らかな食材を喜び、好む傾向が日本の食文化にはある。それは恐らく魚中心の食生活と、農耕民族として四季の移り変わりに敏感で、旬の新鮮で柔らかな食材が特別に味わい深いことを良く知っているからだろう。

 一方、ドイツの食材は歯ごたえも味もしっかりしていることが多い。それは恐らく森におおわれたヨーロッパが、狩猟文化の中で肉を中心とした食文化を形成してきたことによる。とりわけドイツは内陸が国土の大半を占め、海岸線は北部の一部に限られており、新鮮な魚介類の入手が困難なことと無縁ではあるまい。その食文化は基本的に肉類や野菜、乳、果汁を長期間保存することを目的として発達してきた。塩漬けや燻製、発酵などの調理技法は結果として、あるいは必然的に、保存性だけでなく凝縮した味と多かれ少なかれ固さをもたらす。ドイツからアルザス、オランダ、ポーランドにかけて一般的なザウアークラウトはキャベツを乳酸菌で発酵させた食材だが、しっとりとした歯ごたえと酸味で、塩気を含む郷土色の豊かなソーセージや塩漬け肉とよく合う。ドイツの肉類は日本のものよりも一般にクセが強く味が濃く、さらに脂身は極力削り落として販売される。豚肉など自分で焼くと最初はイノシシかと思うくらい臭みがあるが、これがソーセージやハムなど適切な塩加減と香辛料を加えると、非常に香り豊かでジューシーな味わいとなる。魚はほとんどが燻製か酢漬けで身が締まって香味が強く、ジャガイモかパンかサラダで舌を休ませながら食べたくなる。また、魚は全く食べないというドイツ人も多い。

 日本とドイツで最も対照的であり、また私見では嗜好の相違をも象徴するのがパンと豆腐である。日本のそれはトーストすることを前提とした、ふんわり、もちもちしてほの甘い食パンやイギリスパンや外はパリッとして中身は白く軽いフランスパンが大半を占めるが、ドイツパンは小麦だけでなくライ麦、大麦、燕麦、スペルト小麦など様々な穀物を用いてヴァラエティに富み、重量感があり、ほのかに酸味と塩気があって味が濃い。味のしっかりとした肉類にあう。これを食べ慣れると、日本の食パンはどうも軽すぎて食べた気がしない。そして豆腐は10年位前からドイツでも健康食品として人気だが、山羊のチーズのように固く、フライパンで手荒にソテーしても崩れない。逆に日本人の好むなめらかで柔らかい絹ごし豆腐はドイツ人には圧倒的に不評であった。「歯ごたえも味もないし、気持ち悪くて食べられない」と言われたことすらある。

 つまり、おおざっぱに言ってドイツの食文化は日本の軽さや柔らかさに比べ、重さや充実感があるように思う。もともと国土の大半が貧しい農村であったし、火を使わずにそのまま食べても美味しく、腹もちがよいことが求められたためであろう。ゲルマン的な倹約家で質実剛健な性向も影響しているのかもしれないし、地に足のついた国民性かもしれない。90年代までは大抵のドイツ人は夕食をパンとチーズ、ハムや肉のペーストで済ませていた。また小学生のお弁当は今もサンドイッチが多い。もっとも、最近の若い世代は夕食に暖かい料理を作ることも増えているという。

ドイツワインと和食の相性
 さて、周知の通りワインはそのワインを産する土地の料理と最もよくあう。酒は土地に根付いた文化であり、地元の食材とともに長い歳月をかけてはぐくまれてきたものだ。ドイツワインはドイツの料理とよく合うことは言うまでもないが、それは食材の固さ、味の濃さを受け止め、調和するだけの強い個性を持っているからだと考えることが出来る。とすれば、ドイツワインを和食にあわせることは、実はかなり難しいのではないか。例えばリースリングの持ち味は酸味である。透き通った空気を貫く陽光にも似て口の中でまっすぐに拡散し、ミネラル感と相まって固く引き締まった、時に鋼のような質感をもたらす。たおやかな和食の腰の低い柔らかさとは、まったく異質な取り合わせだ。従って、和食に慣れ親しんだ多くの日本人の味覚に辛口リースリングが、まずは違和感を引き起こしたとしても不思議ではない。

 そう考えてみると、従来ドイツワインと和食は合うと言われてきたが、必ずしも正しくないように思われる。繊細さ、軽さという点では似通っているかもしれないが、それよりもむしろ、明治以来政治・法律・軍事・学問・芸術・産業と多くを学び、音楽や文学を通じて広く一般に親しまれ、共に大戦の敗戦国であったドイツという国への尊敬と共感とあこがれが、実際以上に両者の親近性を日本人に信じさせてきたのかもしれない。人間は往々にして見たいものしか見えないものである。ドイツワインは和食にあうと思えばそう思えてくるし、ドイツワインは低品質と思い込んでいれば、そうしたワインとしか出会えなくなる。信じている世界が正しいことを確認して安心したいという欲求は自然だが、そこから学びや発見が生じることは少ない。ドイツワインに関して我々は畑名と同様に、和食との相性が良いという先入観もまた、一度捨て去るべきかもしれない。

和食にあうドイツワイン
 それでは和食とドイツワインは合わないのかといえば、そうではない。ただ、合わせ方を少し考えてみる必要があるだろう。日本人の嗜好にあった柔らかく、味わいがおだやかな料理には、それと似た特徴のワインが合う。例えば辛口よりも中辛口からオフドライの甘味を持つワインのほうが一般にあわせやすいが、それは一説によれば甘味は味覚上の重心を低くする作用があるためだという。また、酸味の明瞭なリースリングよりもブルグンダー系やジルヴァーナー、ミュラートゥルガウ、ショイレーベといった酸度の低い品種や複数品種のブレンドも比較的合わせやすい。またラインヘッセン、ファルツ、フランケン、バーデンといった石灰質や砂質土壌の温暖な産地に育つおおらかなワインの方が、酒質が柔らかく和食には傾向として合わせやすい。さらにステンレスタンクで低温発酵したフルーティでアロマティックなものよりも、伝統的な木樽で野生酵母で時間をかけて発酵・熟成したもののほうが、個人的には単独で飲んでも美味しく、食事との相性も良い気がする。

 しかしそれでも、誰が何と言おうと、ドイツワインといえばリースリングである。リースリング原理主義者で、13年のドイツ暮らしで味覚が多かれ少なかれドイツ化しており、正直なところ食事とワインの相性にはあまりこだわらない筆者は思う。冷涼な気候のスレート粘板岩に育つリースリングは世界で他に類を見ない個性を持つ、高貴で美しいワインだ。輪郭がくっきりとして奥深く、土壌を反映した酒質を備える様子は、気候風土だけでなくドイツ人の気質までもがそこに反映されているような気がする。理性的であると同時に感情的で、内向的でありつつ雄弁で、頑固で融通がきかない一方で自由奔放な一面もある。繊細であると同時に強靭で、相反する要素を様々に内包している。それはあたかも甘味、酸味、ミネラルとエキストラクトが拮抗しつつ調和するリースリングのようではないだろうか?ドイツというくくりで考えるとこういう捉え方も出来るが、ドイツ人は地方ごとの住人のメンタリティとワインの個性を重ねることもある。内向的でペシミスティックなモーゼル、楽天的で享楽主義なアール、おおらかで素朴なファルツ、貴族的で秩序を重んじるラインガウといった風に。

 同じ気候風土に育まれているが故に、ワインがその住人の気質と相通じるのはむしろ当然であるのかもしれない。ただ、ことリースリングに関してはドイツ的な精神までも表現する優れた素質がある、ということは言えるように思うのだが、どうだろうか。

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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