ドイツワイン通信 Vol. 16

ドイツワインと亜硫酸

2013.02    ワインライター 北嶋 裕

 昨年10月から有志4人が集まって、ワインの販売に携わる方達にドイツワインの現在を知ってもらおうということで、「いまどきドイツワイン塾」と称したドイツワインセミナーを月一回開催している。1月のテーマはドイツのビオワインがテーマであった。今回私は講師ではなく聞き役だったが、その時、日本とドイツのビオをとりまく状況の違いが話題となった。


 ドイツでは10年ほど前からビオがブームとなっており、ワインはもとより野菜、肉類、牛乳、卵に至るまで幅広く、それも在来農法より5~10%高い程度で廉価に普及し、EUのビオ認証ロゴも良く知られている。対して、日本では有機もしくはオーガニックを称する野菜や肉類を目にすることはあまりなく、有機JAS認証はほとんど知られていない。しかし、ワインとなると状況は逆転する。日本ではビオワインは一時期ブームとなり、国産・輸入ともに一定の市場を確保しているのに対して、ドイツではしばしば「ビオでも在来農法でも、味は変わらない」という言い方をする。その違いは一体どこに由来するのだろうか。セミナーでは明らかにならなかったが、この場を借りて改めて考えてみたい。

ちなみに、日本では有機あるいはオーガニックと呼ばれているが、ドイツではエコもしくはビオと呼ばれることが多い。ここでは農薬や除草剤、化学肥料を用いない農法という意味で同義語として扱う。

環境先進国としてのドイツ
 一般にドイツは環境先進国として知られている。1990年代以降風力や太陽発電施設を着実に増やして来たが、福島の後で脱原発をいち早く決め、資源ごみのリサイクルもその頃から行ってきた。空き缶などには通称ゲルベザックと呼ばれる分別回収用の黄色い袋があり、街角には空き瓶回収用のコンテナが設置されて、緑、茶色、透明とビンの色で別々に投入するようになっている。(クリスマスや大晦日の頃は、コンテナの周囲は収まりきらなかった色とりどりのワインやゼクトの瓶で溢れていたものだが。)


 ドイツにおける有機農法の萌芽は1920年代に芽生えた。その当時既に都市化と工業化への反動から「自然な生活習慣への回帰」を目指して都会を離れ、田園で自給自足の生活を行う運動が起こった。ルドルフ・シュタイナーがベルリンで「農業講座」を講じたのも1924年のことである。やがて戦後をむかえ、高度経済成長と工業化がすすむと、歴史は繰り返すというべきか、1970年代から80年代にかけて大気汚染をはじめとする公害や環境破壊に対する反省から、再び有機農法が見直される。1971年にドイツ最大の有機農業団体であるビオランドBiolandが設立され、1985年にはそれまで各生産地域で個別に活動していた有機農法を実践する20の醸造所が、全国組織エコヴァンEcovinを立ち上げた。

ドイツにおけるビオワイン生産者団体の創設
 「あの頃の地球は哀れだった」と、エコヴァン創設メンバーのモーゼルの生産者、ルドルフ・トロッセンは語っている。「仲間と団体を立ち上げた時は天にも昇る気持ちで、ドイツにエコロジカルな葡萄栽培の時代が到来したんだと確信した。自分達は世界を変えようという志に燃えた筋金入りの理想主義者集団で、地上に死ではなく生命をもたらす者たらんとしていたんだ。自然への畏怖の念や、石、草花、動物の美しさへの感動、そして次世代への責任感を、団体規約に盛り込んだ。我々の活動は解放運動であり、それは徹頭徹尾政治的な活動だという自覚があった。メンバーの多くはちょうどまさに始まったばかりの自然保護団体の活動や、軍備拡張や原発反対のデモにも積極的に参加していたものだった」と、創設15周年記念の際に当時を振り返っている。それが現在約220のメンバーを数えるドイツ最大のビオワイン生産者団体の原点であった。

 「エコシュピナー」Okospinnerという言葉がドイツにはある。ビオ全盛の最近では死語になったが、環境保護に熱心なあまり、現実を見失っているような人間を皮肉ったり、あるいは自嘲気味に表現する場合に用いられた言葉だ。1980年代から1990年代にかけて、ビオワインの生産者はほぼ例外なく、他の生産者からエコシュピナー呼ばわりされ、村八分の扱いを受けることもしばしばあった。とりわけ急斜面のためヘリコプターによる農薬散布が一般的なモーゼルでは、村全体で計画的に上空から撒くことが多く、ビオの生産者の畑だけ避けることは技術的に不可能だった。だが、とあるビオの生産者はヘリを自分の畑に寄せ付けまいと、猟銃をかまえて威嚇したという。また、ビオの畑は農薬を散布しないから病害虫の発生源になる可能性があるとして、近隣の農家から迷惑がられた。

 だが、そこまでして守り抜いた葡萄畑で出来たワインが美味しいかというと、必ずしもそうではなかった。近年は少なくとも広く一般に「在来農法のワインと変わらない」と認められ、中には在来農法よりも優れた品質の個性的なワインも増えてきた。しかし1990年代以前は、ドイツではビオワインといえば不味いワインの代名詞であった。

 それも理由がない訳ではない。彼らは確かに葡萄畑を取り巻く生態系を回復させ、農薬や除草剤、化学肥料を使わない、安全で環境に優しい方法で葡萄を栽培した。しかし醸造技術が伴わないことが多く、ワインとして美味しいかどうかは、ビオの生産者の眼中になかったようだ。自然な農法で葡萄をつくれば、それで彼らの目的は達成されたのである。葡萄品種もまた、高品質だが栽培条件を選び、晩熟で病害虫に繊細な伝統品種であるリースリングやピノ・ノワールよりも、頑強で病害虫に抵抗力のあるレゲントなどの交配品種を好んで植えた。在来農法の醸造所がつくるワインが一般に的確な醸造技術で醸造され、多かれ少なかれ品種の個性やストラクチャーも明瞭だったのに対し、ビオワインはしばしばあっさりとして、輪郭がぼやけて、腰砕けで、印象が弱くヤワだった。日本に戻ってから優れたビオワインを飲む機会が増えたので、今飲むと違う感想を持つかもしれないが、10年位前ドイツで出会ったビオワインには、大体そんな印象を持っていた。

ドイツのビオブーム
 「近年は以前と逆に、在来農法よりもビオに優れたワインが多い」と、2009年夏にヴィノテーク誌の取材で訪れたミッテルラインの生産者で、ガイゼンハイム大学でビオ農法と醸造所経営学を教えるランドルフ・カウアー教授は言っていた。2000年の狂牛病を境に消費者の食品安全性への危機感が一気に高まり、今日のビオブームのきっかけとなった。あれはまったくヒステリックなほどの反応だった。フクシマの時も原発事故が発生したとたんに、ドイツの民間救助団体が放射能に怯えたように即座に撤退を決めたが、こと環境問題に関する限り、ドイツ人は極めて敏感かつ感情的に反応する傾向がある。狂牛病の時もそうだったし、恐らくチェルノブイリの時もそうだったはずだ。

 狂牛病から間もなく大手ディスカウンターが相次いで自社ブランドによるビオ食品シリーズを通常品の5~10%だけ高い価格でリリースすると、大半の消費者は好んでビオを購入するようになった。それまでビオ食品といえば、購入できるのはビオ専門の食糧品店だけで、品ぞろえは限られていて、しかもはっきりと割高であったから、環境問題や健康への意識が高く、それなりに収入がある顧客に購入者は限られていた。それがわずかばかりの、おおむね50~200円程度余計に払うことで安全で、しかも環境保護とサステイナビリティに貢献できるというディスカウンターのビオ食品の登場で購買層は一気に拡大し、いわばビオの大衆化が起きた。それまで特別なものだったビオ食品が身近なものとなり、ビオに対する抵抗感が消え、親しみを持って捉えられるようなった。それに伴ってビオワインもまた、安全で一定の品質はクリアしたワインとして、一般消費者に受け入れられるようになって行った。

ビオワインの普及
 ビオ市場の拡大は同時に、マーケティングツールとしてのビオの付加価値を高め、在来農法のワイン生産者もビオ農法を取り入れることが増えた。もともと高品質なワインを醸造するノウハウを持つ生産者がビオ農法を採用し、以前よりも品質を向上させたことで、ビオワインのイメージは改善された。また、量産ワインを生産していた醸造所も、ビオ農法による若干割高な商品をラインナップにそろえるようになった。そしてまた、2000年頃からVDPドイツ高品質ワイン生産者連盟を中心にして推進されてきた、伝統品種によるテロワールの表現と葡萄畑の格付けもまた、ビオ農法の普及に貢献している。葡萄畑のポテンシャルと個性をより明確にワインに表現するための手段として、生態系の回復と野生酵母による発酵が注目され、さらに一歩踏み込んでビオディナミを採用し、着実な成果を挙げている醸造所も現れた。ドイツのビオ農法で栽培されている葡萄畑面積は2010年には約5400haに達し、2003年の約1800haの約3倍にあたり、葡萄畑全体の約5%に相当する。

ドイツのビオと日本の有機
 ここで簡単に振り返ってみると、ドイツでは1920年代と1970~80年代に、それぞれ「自然に帰れ」をモットーに、工業化と環境破壊がすすみ人間性が蝕まれているという認識と、その憂うべき状況に対する反動として、政治的な動機から有機農法への取り組みが生じた。ドイツのビオは環境保護がその基本的モチーフとなっている。つまり、政治意識が有機農法の生産および消費と一体となっており、緑の党が主要政党のひとつである政府や行政からの支援体制が、生産指導、認証、教育、パブリシティなどで整っている。

 一方で日本の場合もまた、環境問題への意識と食の安全性、サステイナビリティは有機農法と切っても切れない関係にあるが、消費者の側からの購入モチーフは、安全で体によくて美味しいという、いわば個人の健康意識や健康食品の延長上にあるように思われる。つまり、ビオワインは体によいことが肝要であり、従って亜硫酸の添加量も重要な関心事となる。ドイツでは安全で高品質であることがビオワインに求められ、亜硫酸添加量はもっぱら生産者側の課題であっても、消費者が関心を持つことはほとんどなく、亜硫酸添加の極度の削減による急速な酸化などネガティブな影響は知られていても、それ以外の効果は知られてない。

 以上、ドイツと日本の有機農法とビオワインの相違について考えてみたのだが、冒頭のセミナーの最後に田中克幸氏がこんなことを指摘していた。ビオワインを考えるにあたり、物質と精神の対比を念頭におくべきである。ビオはスピリチュアルなワインであり、そこには葡萄畑の「気」が詰まっている。「気」を伝えるビオワインの評価は、気配を察知することのできる東洋人の得意とするところではないか、と。あるいは日本で生産国よりもビオワインへの意識が高いのは、東洋的な精神文化に根差している面があるのかもしれない。それはまた、やや飛躍するかもしれないが、自然の営みと内なる魂の共鳴を通じて、そこに秘められた宇宙の叡智を知りえるのではないかという、ドイツロマン派の自然観に通じるものもありそうな気がする。

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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