2013.01 ワインライター 北嶋 裕
先日東京渋谷でフェスティヴァンが開催された。残念ながら私は行くことが出来なかったのだが、自然派ワインが一堂に会するこの試飲イヴェントは、カラダに優しいことが味わいとして感じられ、生産者の自然へ敬意と親しみがしみじみと伝わってくる手作りのワインへの、日本のワイン市場の認知度の高さが伺える。
さて、そのフェスティヴァンで供出される「自然派」ワインあるいはヴァンナチュールの条件のひとつに、総亜硫酸含有量が40mg/ℓ以下と非常に少ないことが挙げられる。EUのワイン法による上限値は残糖5g/ℓ以下では赤ワインが150mg/ℓ (5g/ℓ以上は200mg/ℓ)、白とロゼが200mg/ℓ(同250mg/ℓ)、甘口では300~400mg/ℓで、ビオワインでも残糖値2g/ℓ以下なら赤が100mg/ℓ、白とロゼが150mg/ℓ、その他は通常の基準より30mg/ℓ低い値にすぎない。亜硫酸を全く添加しない場合でも、アルコール発酵で10~30mg/ℓの亜硫酸は自然に生成するというから、自然派の亜硫酸使用量はほとんど使わないに等しいと言える。
ドイツワインの亜硫酸使用の現状
ドイツワインはフランス、イタリアのワインに比べて亜硫酸使用量が多いと言われる。自然派のような極微量の総亜硫酸量を達成するには、必然的に瓶詰前の添加だけに留めなければならないが、それをしているのはごく一部で、合田さんが聞いた話ではドイツ全体で5本の指にも満たない生産者しかおらず、殆どは発酵前の葡萄や果汁にも亜硫酸を添加しているという。一体なぜなのだろうか。
1998年までに7版を重ねているスタンダードな醸造の手引き(Dr. Ludwig Jakob, Taschenbuch der Kellerwirtschaft)によれば、発酵前の亜硫酸添加には大きく分けて二つの目的がある。一つはポリフェノール酸化酵素の抑制。もう一つが望ましくない微生物の抑制もしくは絶滅である。ポリフェノール酸化酵素は色素やタンニンの酸化により、褐色の色素生成を助成する酵素で、とりわけ傷んだ収穫に多く含まれ、白ワイン用の果汁や赤ワイン用葡萄を褐色にする望ましくない作用を持つ。葡萄内に自然に生成するこの酵素には、ティロシナーゼ TyrosinaseとラッカーゼLaccaseの二種類があり、後者はとくに貴腐菌(ボトリティス・シネレア)のついた葡萄に多く含まれ、前者よりも活性を抑制しにくいため、より多くの亜硫酸を必要とする。望ましくない微生物とは酢酸や乳酸を生成するバクテリアだが、これらは酵母よりも亜硫酸に弱い。発酵前の果汁や果皮・果肉を果汁に漬けてマセレーションした状態はバクテリア類が活動しやすいため、すみやかな亜硫酸の添加が必要である。添加量に従って効力も強まり100mg/ℓを果汁に投与した場合、発酵の開始は1~2日遅れるが、発酵が完全に阻止されることはない。しかし亜硫酸はアセトアルデヒドと反応して結合型亜硫酸となり沈殿するので、最終的に総亜硫酸量が法定上限を超えやすくなり、注意が必要である。
発酵前の葡萄や果汁に対する亜硫酸添加量の目安としては、健全な収穫には50mg/ℓ、傷んだ収穫が50%の場合75mg/ℓ、100%傷んだ(もしくは貴腐化)した収穫は100mg/ℓである。またpH値が高い、つまり酸度が低いほどバクテリアが繁殖しやすくなるため、添加する亜硫酸の必要量も増える、とある。また、ビュルテンベルクの農業技術指導所では、収穫時の気温が高く収穫に痛みが多い場合は出来るだけ速やかに、つまり葡萄畑で収穫直後に、適切な量の粉末状亜硫酸を添加することを勧めている(www.landwirtschaft-bw.info/ servlet/PB/menu/1217523_l1_pcontent/?druckansicht=ja)。
以上は発酵前の亜硫酸添加で、自然派並みの総亜硫酸量を達成するならば避けるべき操作ということになる。そしてアルコール発酵が完了した後の、いわゆる瓶詰前の亜硫酸添加では、発酵により生成するワインに望ましくない成分であるアセトアルデヒド、ピルビン酸、ケトグルタミン酸、グルコースなどを亜硫酸と結合した上で、さらに酸化と微生物汚染から守るのに必要な量の遊離型亜硫酸30~50mg/ℓをワインの中に確保するため、白ワインでは80~100mg/ℓ、赤ワインではそれより少なくなる場合もあるが、成分を分析した結果に応じて亜硫酸を添加することが必要である、と上述の醸造手引書では指導している。ちなみに、総亜硫酸量は遊離型と結合型の亜硫酸両方の合計である。
ドイツの亜硫酸量基準値は妥当か
以上が、ドイツの大半の生産者が従っている標準的な亜硫酸添加基準と考えてよいだろう。ここで注目されるのは、ワインの安定に必要な遊離型亜硫酸量を30~50mg/ℓと見積もっている点だ。日本の醸造所向けに書かれた資料(www.kitasangyo.com/e-cademy/b_tips/back_ number/BFD_19.pdf)では、最終的に必要な遊離型亜硫酸量に含まれる分子型亜硫酸量は約0.5~0.8mg/ℓで、ツンとくる亜硫酸臭が気にならないよう2mg/ℓ以下に抑える必要がある、と指摘している。そして遊離型亜硫酸量に含まれる分子型亜硫酸量の割合はpH値に左右されるので、仮に分子型亜硫酸量を上限値の2mg/ℓとして、酸度を強めのpH値3.0とした場合、この資料の一覧表から読み取ることのできる必要な遊離型亜硫酸濃度は33mg/ℓとなり、おおむねドイツの醸造手引書の値となるわけだが、仮に分子型亜硫酸量を必要十分とする0.8mg/ℓとした場合は、遊離型亜硫酸量は13mg/ℓとなり、ドイツの基準である30mg/ℓを大きく下回る。ということは、もしも日本の基準値で用が足りるなら、ドイツの醸造の考え方では、必要とされる亜硫酸量を確実を期してかなり多めに見積もっているように見えるのだが、どうだろうか。
80年前の亜硫酸基準
さて、例によって昔のドイツワインに目を向けてみると、1930年頃のドイツワインの総亜硫酸含有量は一般に100~200mg/ℓ、モーゼルは80~120mg/ℓ前後、アウスレーゼで200~300mg/ℓ以上であった(Karl Müller, Weinbau-Lexikon, 1930)。前回ご紹介した1904年の文献では、アウスレーゼは熟した状態が均一な葡萄を何度も選りすぐったワインで、甘口とは記されていなかったが、1930年頃にはアウスレーゼは完熟した葡萄を選りすぐった甘口と認識されていたようだ。当時から液体と粉末状の亜硫酸は利用されており、その適切な使用量のおおまかな目安は、24時間を経てもワインが褐変しないだけの量であった。
ただしかし、発酵前の果汁に対する亜硫酸の添加に関しては、ドイツでは1922年までほとんど行われていなかったそうである。というのは、亜硫酸を添加した果汁は完全発酵しないと考えられていたからだ。当時は培養酵母を用いる際にもバクテリアなどの微生物がアルコール発酵で自然に活動を止めるまで放置されていたので、樽ごとにワインの味が異なり、中には醸造に失敗した樽が出ることもあったという。
しかし「果汁への亜硫酸添加が普及してからというもの、ドイツ各地の生産地域全体で香り豊かで生き生きとしたワインが出来るようになった」と、この1930年に出版されたワイン辞典は述べている。酸度の低い果汁、例えばグートエーデル、ジルヴァーナー、ブルグンダー、ルーレンダーなどにとりわけ有効で、酸度によって70~100mg/ℓのピロ亜硫酸カリウムを圧搾前に添加する。すると発酵の開始は遅れるが、培養酵母なしでも8日後には発酵が始まり、速やかかつ順調に完了するという。その結果出来たワインに揮発酸は少なく、色も濃くならず緑の色調が残り、褐変も避けられる。ワインは早期に瓶詰に適した状態に熟成し、長期にわたり新鮮な状態が保たれる、とある(520頁、Mostschwefelungの項)。
発酵前の亜硫酸添加の動機
ここで注目されるのは1922年以降に発酵前の亜硫酸添加が普及したことと、それによって早期に瓶詰して販売出来、フレッシュな状態を保つことが出来る、ということがメリットとして挙げられている点である。1922年は世紀のヴィンテッジとして名高い1921年の翌年だが、あまり良い生産年ではなかった。恐らく収穫に痛みが多く、亜硫酸添加の必要にせまられたものと推定される。また、当時ドイツは第一次世界大戦の賠償金支払いで猛烈なインフレに苦しんでいたため、1921年産は素晴らしいワインで引き合いが多かったものの、貨幣価値が日を追うごとに下がっていたので、生産者は売るに売れなかった。一方で新たな収穫を醸造する樽が必要となったため、当時通常行われていたように数年寝かせてワインを安定させてから樽ごと出荷することをせず、とりあえず瓶に詰めて空樽を確保し、少量づつ販売したという。こうした事情から、早期に安定して速やかに瓶詰め出来、かつ保存の効くワインが求められたのであろう。
ドイツワインのトレンドの変化
ある意味では窮余の策として普及した果汁への亜硫酸添加だが、1990年代に至るまで果汁の酸化を防止し、フルーティなアロマを保つためには欠かす事の出来ない醸造手法として定着したのは、最初に挙げた醸造手引書の記述からも伺える。1920年代から70年以上の間に2~3世代の生産者がこの手法を実践し、ワイン醸造に欠かす事の出来ない常識として定着した。また、フレッシュ&フルーティという香味の特性は、1980年代以降ステンレスタンクと低温発酵技術が普及とともにドイツワインの価値ある個性として称揚され、安定して発酵し市場にウケる香味を強調する培養酵母が普及した。この場合、発酵前の亜硫酸添加はメリットとなりこそすれ、控える理由は見当たらない。香味は画一化し醸造期間は短縮され、殆どのワインが収穫翌年の5月にはリリースされ、その大半が1年以内に消費されることが常態となった。
果たしてそれで良いのか。酸化を抑制して新鮮な香味を保つだけが醸造ではないはずだという反省が、近年生まれつつある。醸造専門誌『デア・ヴィンツァー』2008年9月号の記事(V. Schneider/ H. Zillinger, Bedeutung der Mostschwefelung:Haltbarkeit von Weiß-wein beeinflussen, in: Der Winzer 2008/9,S.10-14<www.schneider-oenologie.de/dnn/LinkClick.aspx?fileticket=sgp?ULXEkXHM%3D&tabid=60&mid=435>)によれば、果汁への亜硫酸添加は、一般に果実のアロマを保護する操作として推奨されているが、ワインの熟成能力を削いでしまうと指摘している。亜硫酸の添加などで果汁を酸化から出来る限り手厚く保護して極めて還元的に醸造した場合、グラスの中でわずか10数分で熟成香を生じる、温度や環境の変化に非常に敏感で壊れやすいワインになってしまう。果汁は本来的に酸化に強く、適切な酸化を行えば、ひね香や褐色化を引き起こすフラボノイド系フェノールはある程度析出沈殿し、除去することができる。これによりアロマの凝縮感は一時的に弱まっても、熟成を経て安定するのに対し、果汁に亜硫酸を添加したものは、ほどなくしてひね香が果実香を覆い隠してしまう。還元的に醸造したワインはリリース直後はそのインパクトを評価されるが、1年ともたない。逆に果汁の酸化を意図的に行えば、本領を発揮するまでに時間はかかるがひね香も少なく、市場価格も高まると指摘している。
いわば1922年以前の伝統的醸造手法の再評価であり、近年多くの若手醸造家が目指す「100年前と同じワイン造り」の意味を裏付けている記事である。自然派並みの総亜硫酸量に到達するにはまだ遠いとしても、画一的な「フレッシュ&フルーティ」からテロワールの個性の多様性の表現へ、自然で伝統的醸造へと、ドイツワインのトレンドは移行しつつある。生産年によっては収穫に黴や腐敗など傷みが出ることは避けられない気候条件にあり、一定の品質を保ちつつ安定して生産するため、果汁に対する亜硫酸添加は今後もおそらく続くだろうが、テロワールの表現を目指した志の高い辛口ワインでは、亜硫酸の使用は出来る限り低く抑えられている。そこからさらに一歩進めて、自然派と肩を並べるまでになるのに必要なのは、生産者の醸造哲学とともに、消費者の嗜好とドイツ市場のニーズかもしれない。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。