2012.12 ワインライター 北嶋 裕
10月にファン・フォルクセン醸造所のローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏が来日したことは記憶に新しい。彼がその際、約100年前のドイツワインの栄華を紹介し、ヨーロッパ各国でリースリングがボルドーのトップシャトーとならび賞賛されていたこと、それに値するワインを造るポテンシャルがザールにはあることを確信して、ワイン造りも伝統的な木樽で野生酵母で発酵することや、ブドウ畑も棒仕立てで手作業で栽培するなど、昔のやり方を尊重していると話していたことが印象に残っている。彼以外にも、モーゼルにはフーダー木樽で野生酵母で発酵したり、年代もののバスケットプレスをあえて使う生産者や、祖父の時代のワイン造りを目指していると言う若手醸造家もいるのだが、果たして当時のワイン造りは実際どんな状況で、どんな味だったのだろうか。そこで、その頃書かれた文献を紐解いてみることにした。
今から108年前の1904年にトリーアで出版された『モーゼルとザール地域のワイン』と題された小冊子で、ブドウ畑の地図と個々の村と交通機関、畑と格付け、生産量と主要所有者、宿泊施設の説明がついており、ワインを買付に訪れる人々の利便を考えたものである (F. W. Koch / Heinrich Stephanus (Hrsg.), Die Weine im Gebiete der Mosel und Saar, 2. Aufl., Trier 1904)。
1900年頃のモーゼル
「この20年余りで急速に高まったモーゼルとザールのワインの評判で、遠方からも多くの人々が買付に、この美しい地方を訪れるようになった」と1897年の初版へのまえがきにあるから、1877年頃から同地域のワインの評価が高まったことを伺わせるが、それはモーゼル川沿いに鉄道が開通した時期でもある。
ザールとモーゼルの約80%のブドウ畑はスレート粘板岩か、スレート粘板岩が風化して出来た土壌である。このスレート粘板岩に上品なブケの豊かなワインが育ち、最上のものは世界最高のワインに勝るとも劣らないと断言してよい。残りの20%のうち19%は貝殻石灰質土壌で1%は雑色砂岩だが、どちらもモーゼル川の上流にある。石灰質土壌ではワインが大量生産されているが、そのワインは軽く、酸っぱく、またほとんど香りがない。」モーゼル上流は現在もエルプリングが主に栽培されており、軽めの日常消費用ワインが多いが、ワインの全体的な品質はこの10年で目に見えて向上している。
「年間平均気温は約9.5℃で、寒気は稀にマイナス18℃、暖気は稀に30℃に達する。年間降雨量は平均693mm、嵐は年に平均18日。」現在の年間平均気温は10.5℃で、夏場は気温30℃をしばしば超え、アイスヴァインに必要なマイナス7℃に達しない年も稀にある。年間降雨量は706mmでやや増えており、毎年のように雹の被害が局地的にあることから、温暖化は着実に進行しているようだ。
「スレート粘板岩土壌には、主にリースリングが栽培されている。25年前まではリースリングはエルプリングもしくはクラインベルガーと主要品種の座を争っていたが、今日ではクラインベルガーは大幅に減少した。というのも、新たに開墾されたある程度条件の良い畑にも、このごろはもっぱらリースリングが植えられるようになったからである。あまり条件の良くない畑にすら、晩熟な品種であるにもかかわらず、今日ではしばしばリースリングが植えられている。」クラインベルガーはエルプリングの異名とされるが、当時のリースリング熱が伺える。「リースリングは非常に香り高く充実しているので、買い手に大変好まれている。さらにリースリングはほとんど毎年実を結び、花も天候の影響に対してそれほど敏感ではない。一方クラインベルガーはしばしば花震いをおこし、収穫量も少なく、その上薄くて香りもない。条件の劣る畑ではエスタライヒャー(訳注:ジルヴァーナーの別称)、ルーレンダー、トラミーナーやヴァイサー・ブルグンダーも栽培されているが、これらの品種はあまり重要ではない。赤ワイン用にはシュヴァルツェ・ブルグンダー(ピノ・ノワール)、ブラウアー・フリューブルグンダー、そしてポルトギーザーがいくらか栽培されているが、赤ワインの生産量はほんの一部を占めるにすぎない。」とあり、当時はリースリングがもっとも好んで栽培され、赤ワインも少量だが生産されていたことがわかる。また、ミュラートゥルガウなど、1990年代までリースリングを凌ぐほど栽培されていた交配品種も、当然ながら当時は見当たらない。
「石灰質の土壌には主に量産ワイン用品種が栽培されている。粗雑なエルプリングとホイニッシュで、豊作年には1ヘクタールのブドウ畑から80hlを超えるワインが生産される。」とあることから、当時の感覚からすると80hℓはかなりの高収量であった訳だが、近年の平均収穫量はだいたい90~109hlに達している。ちなみに、ドイツ全体では1900年は25hl、1939年は40hl以下のところ、1970年代は100hlを超え、1982年には173hl、最大400hlに達したという。それは交配品種と農業技術の進歩の賜物であり、そのままドイツワインの凋落を反映している。
真のアウスレーゼとは
当時高品質なワインは資力に余裕のある貴族や実業家・政治家が主に生産しており、模範的な葡萄栽培を行っていたという。一方貧しい農家は品質どころではなかった。そうした農民の考えの足りないワイン造りを、この本の著者は厳しく批判している。「主な失敗はしかしながら、収穫時に行われる。つまり均一に同程度に熟したブドウのみを選りすぐって収穫することで、高品質なワインを生産することに思いが至らず、ブドウを全部、良いものも悪いものもお構いなく一緒にかき集めて、そのまま圧搾機に持ち込んでしまうのだ。これでは本当の、まっとうなアウスレーゼが出来るはずがない。もしも小さなブドウ農家がアウスレーゼだと言っても、それは大抵は作り話である。(中略)少なくとも4回にわけてブドウを収穫し、その際常に同程度に熟したブドウのみを取り込むべきであり、そうしなければ上質なアウスレーゼは出来ない。」ここではアウスレーゼが均一に、同程度に熟したブドウを選りすぐって収穫することで質を高めるのが目的であって、単に完熟させた、より高い果汁糖度を目指したのではないことに注目しなければならない。「もしも多大な労力を注ぎ込んで育て上げたブドウを、それにふさわしく用いようとするならば、優良な年にはそうした作業が必要不可欠である。(…) ブドウ栽培農家が一年の最初から終りまでブドウ畑で苦労の限りを尽くしているなら、そうして苦労した本人が、そのブドウの価値を誤った収穫で三分の一まで失うのは、じつに嘆かわしいことである。それは欲得に駆られているからであり、ブドウが何粒か転がり落ちて収穫量が減るのを恐れているからなのだ。しかしこの心配は意味をなしていない。というのも、選りすぐって収穫することで収穫が長引けば、ブドウの果皮は非常に薄くなる。そうなったブドウは果皮の厚いものよりも、多くの果汁を得ることが出来るからである。」繰り返すが、アウスレーゼの意義に関するこの一節に、果汁糖度は一切言及されていない。より質の高いワインを得るために均一に熟したブドウを収穫することが目的であって、より甘いワインを造ることが目的ではない。
写真:1900年頃のワインリスト。アウスレーゼとあるが、これは上記の収穫手法を意味しており、果汁糖度とは関係がない。また、畑名がワイン選びの最も重要な基準で、次いでワイン商、生産者であった。
これはまだ推測にすぎないが、果汁糖度と残糖度が重要性を帯びるのは、早熟量産系交配品種が普及した1960年代以降ではないだろうか。滅菌フィルターが開発され、ビン詰後のビン内二次発酵の恐れが無く、甘味を残したワインが安定して製造できるようになるのは、1930年代以降のことである。第二次大戦後、甘味に飢えた人々が経済復興にとともに甘口ワインで喉を潤すようになると、周知のとおり、ブドウ畑の面積と生産量が増えた。カビネット、シュペートレーゼ、アウスレーゼといった肩書は既にあったが、1971年に施行されたドイツワイン法以前では、果汁糖度とリンクしておらず、もっぱらワンランク上の、ひと手間かけて造った上等なワイン、程度の修飾詞的な意味で用いられていた。もちろん、その頃もアウスレーゼの名にふさわしい高品質な、自然純粋(ナチュアラインNaturrein)なワインを醸造する志の高い生産者もあったが、市場で幅を利かせていたのは、もっぱら地場消費される小規模農家の素朴なワインと、大規模醸造会社の量産ワインだった。交配品種と肥料と農薬で、果汁糖度は比較的確実に、しかも効率的に到達可能である。さらにズュースレゼルヴを用いれば、大衆に好まれる甘味を容易につけることが出来た。産業の発展がなによりも優先されていた時代の中で、古き良きアウスレーゼ本来の意味は、半ば忘れ去られて行ったのではないだろうか。
100年前のリースリングの味
さて、肝心の当時のモーゼル産リースリングの香味については、次のように書かれている。
「モーゼルワインとその独特の酸味は一時の流行ではなく、ザールとモーゼルのワインの卓越した、そしてまさしく健康によい特徴であるということが、今や広く認められ、市場と需要を着実に広げてきた。優良なモーゼルワインはその軽やかな酸味が爽快で、涼やかで、元気づけてくれる。さらにそれは力強く、同時に大きな酒躯を備え、他に真似することのできない、風味豊かな、優美な、そしてまろやかな香りがある。アルコール濃度はあまり高くないが、それでもこのワインはスピリットを備え、高貴である。第一級のものはしかしながらビン熟を経て初めて、世界に類を見ない、非常に芳しい香りを花開かせる。(中略) ザールのワインはとりわけ優美で、強い芳香、非常な口当たりのよさと控えめな酒躯で、モーゼルのワインといささか異なるが、ザールのワインとして知られているのは地元だけで、遠く離れた都市のワイン商では、ほとんどもっぱらモーゼル産として売られている。」(中略)「健康に関してはまた、ほろ酔いはしても正気を失うことがなく、二日酔いもほとんど残らないという点も、モーゼルワインの美点として賞賛するに値する。それはまた胆石や腎臓結石に効くことで有名だ。ほどほどに楽しめば食欲を増進させる。ただひとつ、モーゼルワインには修正の出来ない恐ろしい欠点がある。つまり『誘い込む』ところがあり、それ故に満ち足りて渇きがおさまるまでにはかなりの量を飲まねばならないのだ。世界中のワインを見回しても他にない、なんという悪質な欠点であろうか!」
これが今から108年前に書かれたモーゼルとザールのワインであり、ローマンが目指すワイン造りの拠り所でもある。リースリング・ルネサンスと言われて久しいが、量産甘口ワインの暗黒時代を経て蘇るワイン造りの伝統回帰と復興は、熱意ある若手醸造家達によって担われている点が興味深い。
他にもいくつか当時書かれたモーゼルワインに関する文献があるが、それを紹介するのはまた別の機会としたい。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。