ドイツワイン通信 Vol. 12


2012.10    ワインライター 北嶋 裕

収穫の季節

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものである。夜半の雨の後、肌寒さで目を覚まして温度計を見ると26℃を指していた。30℃を超える暑さが8月からずっと続いていたのがまるで嘘のようだ。こうして一雨ごとに秋が深まってゆくのだろう。


熟しゆく葡萄
 モーゼルではこの時期になると、午前中しばしば霧に包まれる。夜間の冷気に触れた川面から立ち上る霧が渓谷を埋めつくして空を灰色に閉ざし、軽く陰鬱な気分にさせる。しかし昼近くには紺碧の空が広がり、一気に汗ばむ陽気となる。あたかも夏が再び戻って来たかのような陽気の中で葡萄は熟し、リースリングの透けるほど薄くなった果皮は、次第に緑から金色へと移り変わってゆく。


2007年9月12日。まだ緑色をしている。

2007年9月30日。だいぶ金色になってきた。収穫まであと10日前後。

これは2005年の10月17日。完熟を超えて過熟しつつある。一つの房の中に様々な状態の果粒――健全な粒もあれば貴腐化した粒も――があるのがわかる。熱心な生産者はこれらを果粒を健全な粒、やや貴腐化した粒、完全に貴腐化した粒に分けて収穫する。

天候に気をもむ生産者達
 収穫を目前に控えた生産者は、天候の推移と葡萄畑の状態に気が気ではない。とりわけ9月下旬から10月初旬の雨は、量を過ぎるとボトリティス菌が一気に繁殖するきっかけになる。雨を吸った果粒はパンパンに膨れ上がり、薄い果皮に裂け目が生じ、そこから甘い果汁が滲み出してくる。菌類には願ってもない繁殖のチャンスだ。ボトリティス菌だけならまだしも、ペニシリン黴や腐敗を引き起こす雑菌類も引き寄せられてくるから大変だ。そこで生産者は決断をせまられることになる。糖度はまだ若干低く、酸度も高いが、傷みが広がる前にとりあえず収穫を確保するべきか。それとも好天に賭けて完熟を待つべきか。天気予報と畑の様子、それに近隣の生産者の動きを気にしながら、胃がキリキリと痛む日々が続く。


2006年10月9日、トリーアの葡萄畑。数日前に大雨が降り、灰色をしたボトリティス菌が一気に繁殖しはじめた。裂けた果皮から果汁が垂れている。こうなると、大抵の生産者はいても立ってもいられなくなる。

 そんな彼らを支援するべく、州の農業支援局では地域毎に葡萄の成熟状況と対策を流している。以前はファックスで配信していたそうだが、今はネットで生産者でなくても状況を知ることが出来る(http://www.dlr-mosel.rlp.de/)。例えば9月17日のモーゼルのリースリングの成熟状況はこんな具合だ。


(Rheinland-Pfalz Dienstleistungszentrum ländlicher Raum Mosel, Kellerwirtschaftlicher Informations-Service [KIS], Nr. 12, 19.09.2012より抜粋)

 左のグラフが糖度、右が酸度の推移で、赤い線が今年2012年の状況であるが、糖度は2011年よりも10日以上遅く上がり始めたものの、9月17日の時点で2009年、2010年の平均値を上回っているのは、8月下旬以降の好天が幸いしているようだ。酸度も9月に入ってからようやく減り始め、17日の時点で2009年の水準に達しているから、このまま行けば良年になるかもしれない。一方で2011年という生産年の特殊性――早くから糖度が上がり、酸度も落ちた――が、このグラフから改めて浮き彫りになっている。昨年は生産者にとって理想的な収穫で、1811、1911年に続く偉大な生産年とまで一部では言われていたが、実際に試飲してみると、酸が不足気味でユルいワインも少なくないそうだ。だから昨年はザールなどドイツの産地の中でも特に冷涼な地域が、酸度の維持という点から良い条件にあったようだ。

生産者の事情とワインの質
 いずれにしても、お天道様のご機嫌ばかりは人間の力ではどうしようもない。与えられた条件の中で最善を尽くすしかない訳だが、いつ収穫を始めるかの判断は、彼らがどんなワインを造りたいのかにもよる。協同組合などに葡萄を納めていて、支払われる代金がその重量で決まっていたならば、生産者にとって量の確保がなによりも優先されるのは当然だ。また、顧客の大半が日常消費用のワインを買う常連で、一本500円以下でそれなりに美味しいワインに彼らが満足しているならば、あえてリスクを背負う必要もあまりないだろう。一方で最上の収穫を追求する生産者には、野心がなければならない。強い意志と、出来れば資金力と、経営戦略を立てて実行するマーケティング能力が必要だ。そうした生産者は、とりわけ若い世代に多いように思う。伝統と名声の上にあぐらをかいている醸造所よりも、無名でも、情熱のありったけをワインに注いでいる生産者のワインは、理屈抜きに人を惹きつけるものを持っている。


リースリングの収穫を粒選りするザールの生産者。ここではボトリティスがついてしぼんだ粒を、貴腐ワイン用に取り分けている。

葡萄を狙う輩たち
 話を収穫に戻そう。収穫を目前に控え、天候以外にも生産者が神経をとがらせているものがある。その一つは甘く熟した葡萄を狙ってくる動物たち、とりわけイノシシと鹿と鳥である。葡萄畑の周辺に森林が多いモーゼル、ザール、ルーヴァーでは、畑の周囲に低く電線を張り巡らせたり、ネットを張ったり、甲高い音をスピーカーから流したりしていることがよくある。実際、鳥獣による食害もバカにならない。「イノシシは鼻が利くからな。一番美味い葡萄がある畑を狙って根こそぎ食べていくから、たまったもんじゃない。森の中であいつら、どこの畑の葡萄が美味いか情報交換してるんじゃないかと思うくらいだ」と、ザールのとある生産者は言っていた。モーゼルのマルクス・モリトールのピノ・ノワールの畑がイノシシに荒らされ、相当な被害を被ったのは2003年のことだった。また、山あいにあるルーヴァーでは農道沿いの至る所にイノシシよけの電線が張り巡らされている。普段は自由に出入りできるマキシミン・グリュンホイザーの畑でも、収穫直前はネットで囲まれて鉄門扉が閉ざされ、ライフルを担いだオーナーが巡回している。彼の獲物となったイノシシは自家製サラミになって販売され、別の醸造所では併設するレストランの名物料理となる。ルーヴァーやザールの醸造所のオーナーは狩猟好きなことが多く、彼らの趣味と実益を兼ねている。

 トリーアの葡萄畑で唐突に姿を現した彼は、醸造所のオーナーではなく、畑の見回りを依頼された猟師だった。こんな町の近くに動物が出没するんですか、と聞くと、イノシシはもとより鹿もしばしば出没しているという。


ザール川を見下ろす葡萄畑の一番上の、森に面した部分に鳥よけのネットを張る生産者。この区画が一番被害にあいやすいのだという。足元にはイノシシ除けの電線が張り巡らしてあるのが見える。触れるとピリリと痛みが走るが、怪我をするほどではない。時々バチ、バチと火花を散らすような音がして、なかなか剣呑な雰囲気だ。

 だが、近年生産者達を悩ませているのは動物だけではない。収穫を目前にした葡萄が盗まれる例が増えているのだ。先々週はヴュルテンベルクで、先週はフランケンで被害が報告されている。フランケンの被害者はVDP加盟醸造所のハンス・ヴィルシングで、盗まれたのは特に丹精込めて栽培していたグローセス・ゲヴェクスに仕立てる予定のリースリングとピノ・ノワール約350kgだったというから、その落胆は想像するに余りある。醸造所では1000ユーロ(約10万円)の懸賞金をかけて情報提供を呼び掛けている。また、昨年はファルツのフォン・ヴィニング醸造所の葡萄畑から、なんと2500kgのピノ・ノワールが一夜にして盗まれた。犯人はハーヴェストマシンを使って短時間で犯行を終えて逃走したとみられる。醸造所では10,000ユーロ(約100万円)の懸賞金をかけ、警察も捜査したもののまだ犯人は捕まっていない。

 「生産年の良し悪しは、葡萄を全部収穫してからでなければ分からない」とは、せっかちにヴィンテッジの予想を知りたがる野次馬達に対して醸造家が使う常套句である。しかし今では文字通り、収穫が完了するまでは何が起きるか分からない。世知辛い世の中になったものであるが、好天とともに、生産者達が手塩にかけて育てた葡萄の無事を祈りたい。


 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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