ドイツワイン通信 Vol. 11


2012.08    ワインライター 北嶋 裕

夏から秋へ

 13年ぶりに日本で夏を過ごしている。1998年の9月にドイツに渡ってから一度だけ帰国したが、それは年末年始の真冬だった。今は昨年まで時折懐かしく思い出していた蝉の声に囲まれて、これでもかと続く暑さと青空に、少々うんざりしている。

ドイツの夏の宵の過ごし方
確かに夏はドイツの方が凌ぎやすい。湿気が少ないので汗はすぐに乾いてシャツもべたつかず、吹き抜ける風はサラリとして爽快だ。夏至の頃は夜10時過ぎまで西の空に明るさが残り、蚊もいないので庭やテラスなど屋外で夕食をとる人々が多かった。私もまたアパートのテラスにテーブルを出して、次第に暮れなずむ夜空を眺めながら、冷えたリースリングを味わうことを無上の楽しみとしていた。当時住んでいたモーゼルの小都市トリーアは、ルクセンブルクとの国境近くの山奥にあり、星が綺麗だった。ひんやりと水滴を帯びたグラスの感触、繊細でスッキリとした柑橘類の香り、爽やかな酸とほのかな甘味のよりそう果実味、そして静かに続くミネラルと酸味の余韻。ワインの冷たさが喉から胃へと落ちていくたびに、ストレスにこわばった脳が次第にほぐされ、日常の不安が念頭から遠ざかり、満ち足りた気分に浸ったものである。

冷夏のドイツ
帰国した今ではそれも出来なくなったが、実は今年のドイツは冷夏で、夕涼みのできる宵がつい最近までほとんどなかったそうだ。8月17日にクレメンス・ブッシュ醸造所から配信された、近況を伝えるメールを紹介しよう。

「本当に夏らしくなったのは、ようやくここ数日のことです。それまで『夏』とはとても呼べないような日が続いていました。この2ヵ月の間、モーゼルではほとんど毎日のように雨か小雨が降りそぼっていたのです。
私達の醸造所がある北緯では、葡萄樹の最大の敵はペロノスポラ、オイディウム、ローター・ブレナー(訳注:葉や房の一部が赤茶色に枯れる病気)、黒腐病などの菌類による病気です。これらの病菌は温かく湿った気候で大変活発になります。ですから、葡萄が今年かなり被害を受けたのも半ば当然でした。私達は葡萄樹を守ろうとあらゆる手を尽くしたのですが、残念ながら2012年の収穫量はかなり少なくなるでしょう。ここに至ってようやく訪れた晩夏の暑さも、これを変えることは出来ません」

 生産者にとって収穫が減るということは、そのまま収入の減少を意味するから、花振るいでやはり収量が落ちた2010年に続き、経営面では厳しい生産年になりそうだ。だが、2010年は収穫量が落ちたことで凝縮感を備えたワインが少なくなく、例年より酸度が高かったため多くの醸造所で減酸処理を行ったが、そうした操作が行われたとは思われないほど自然な仕上がりで、「最悪の生産年」という前評判に反して優れたワインが意外に多い。一方、天候に恵まれ葡萄が熟して量も確保出来た2009年や2011年は、アウスレーゼ以上の肩書きを名乗るワインが多く生産されたが、アロマティックで親しみやすい一方、酸がゆるめで若干物足りないワインも少なくないようだ。とすると、2012年は早い時期から自然に収穫量が絞り込まれたという点で、興味深いワインが出来る可能性はある。
問題はこれから収穫までの天候の推移である。幸い雨は上がったのだが、今度は太陽がそれまで貯めこんでいたエネルギーを一気に放出したかのような、39℃前後に達する暑さがドイツの葡萄畑を襲った。ファルツではリースリングに日焼けの被害が出ているという。強烈な陽射しに果皮が傷つき、水分が蒸発して空気の抜けたサッカーボールのようになってしまうのだ。熟して糖度が上がってからならば、酸味と甘味が凝縮された濃厚な甘口ワインになるが、今の段階ではいくらなんでも早すぎる。いわゆるヴェレゾンの時期で、リースリングはそれまで硬く緑色だった果皮が薄くなり、太陽に透かすと果肉の中の筋や種が見えるようになり、シュペートブルグンダーも淡く色づき始める頃だ。

リースリングのヴェレゾン(撮影2011.8.15)


シュペートブルグンダーのヴェレゾン(撮影2010.8.21)
葡萄畑と写真
トリーアでは町の周囲を葡萄畑が囲んでいたため、私はしばしば写真を撮りに出かけた。年によって通う葡萄畑を決めていたのだが、それはグラン・クリュでも何でもない、ありふれた葡萄畑だった。夏場は夕方7時頃の光が一番綺麗だった。ギラギラとした真昼の光が落ち着いてきて、葡萄の葉や房が西日に輝きはじめる時刻だ。畝の間の斜面を上下しながら、アイフェル山地のむこうに太陽が沈む8時頃まで、絵になりそうな房を探して歩き回ったものである。
ヴェレゾンは葡萄の生育を追う過程で、6月の開花に続く重要なモチーフだが、年間を通じた写真撮影の最大の山場は、何と言っても収穫風景である。9月下旬からの一ヶ月は毎日どこかの畑で収穫が行われ、作業者達のカラフルな服装が畝の間を上下しているので、遠目にもどこにいるのかわかる。大抵は東欧からの季節労働者で、ドイツ語は少ししか通じないこともあるが、写真を撮っていいか聞くと照れたように笑って頷いてくれることが多い。あれは2008年のこと、10月は忙しくてほとんど写真を撮りに行けなかった。11月に入ってようやく時間が出来て、とうの昔に収穫は終わっているだろうと半ばあきらめながらザールに向かった際、列車の車窓から線路の間近にそびえるヴィルティンガー・ゴッテスフースの畑の急斜面に作業者達の姿が見えた時の興奮を、私は一生忘れないだろう。それはファン・フォルクセン醸造所の収穫作業だった。20人余りのチームで、ほぼ垂直の斜面に突き立つ棒仕立ての葡萄樹から手際よく収穫していく様子は、それまでに見たどの醸造所よりも効率がよく、作業者達の無駄話も少なかった。数日前に始めたばかりだというから、他の醸造所が収穫を終えたころに、ようやく取りかかったようだった。晩秋のザールを遠くまで見渡すことの出来る素晴らしい景色の中で、私は彼らに出合えた幸運を神様に感謝しながら収穫作業を記録した。


写真上下:ファン・フォルクセン醸造所のヴィルティンガー・ゴッテスフースの収穫作業(2008.11.8)。

秋の気配
今年も9月が目の前に迫り、濁り新酒フェダーヴァイザーがドイツのあちこちで出回る頃だ。発酵中の果汁でぽつり、ぽつりと気泡が上がり、最初は甘くても日が経つにつれて辛口になっていく、生きた酒である。時期によって品種も変わり、ジーガーレーベ、オプティマといった早熟品種から始まり、ミュラートゥルガウ、ヴァイスブルグンダー、そしてリースリングとなる頃には秋も深まり、みずみずしい緑色だった房は黄金色に染まり、褐色を帯びてくる。一区画、一区画と収穫が進み、房のなくなった畑は深いため息をつくようにして、それまで緑色の残っていた葉が一気に黄色や赤に紅葉してほどなく地面に落ちる有様は、まるで葡萄の葉が自分の使命を終えたことを知っているかのようだった。
昨夜あたりから蝉の声に交じってコオロギの鳴き声が聞こえるようなった。日本の秋もすぐそこまで来ている。爽やかな風の吹く秋空の下、秋の味覚とリースリングを楽しむのも良いかもしれない。

 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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