ドイツワイン通信 Vol. 6


2012.04    ワインライター 北嶋 裕

ドイツワイン輸出市場としての日本

 去る3月、幕張メッセで毎年恒例のフーデックスが開催された。ドイツワイン・プリンセスのエリザベス・ボーンさんと、マインツに本部のあるドイツワインインスティテュート(DWI)で長年アジア市場を担当しているマニュエラ・リープヒェンさんが来日し、セミナーや試飲に甲斐甲斐しく働いていた。通訳として呼ばれていた私はセミナーの前に試飲コーナーを眺めていたのだが、甘口ワインの試飲を希望する人々が圧倒的に多いことに軽いショックを受けた。しかし、それでも関心を持ってもらえるだけまだ救いがある、と思った。

 ドイツワイン=甘口という先入観が根強いのには、理由がある。一つには、日本のワイン市場の約6割を支配する、大手輸入商社の扱うドイツワインの主力が、大規模醸造会社の手頃な価格の甘口だからだ。日本全国津々浦々どこに行っても、いまだにマドンナやシュヴァルツェ・カッツは売られている。それが海外におけるフジヤマ・ゲイシャのように、ドイツワインの紋切型のイメージとして定着しているのだ。

 また、2009年9月にドイツワイン基金駐日代表部が閉鎖されて以来、広報活動が十分行われてこなかったこともあるだろう。代表部と言っても非常勤の代表者と職員が一人だけのこぢんまりとした組織だったが、マインツの本部と連携して試飲商談会などのプロモーション活動を一通りこなして来た。だが2009年2月、大手醸造会社がドイツワイン基金への強制的な出資を不服として提訴したことから、裁判の決着がつくまで一部資金が使えなくなってしまった。ドイツワイン基金の活動は生産者の畑の所有面積や生産量に応じて支払われる年会費でまかなわれており、原告の一人でドイツ最大手の醸造会社ペーター・メルテス社は、年間およそ50万ユーロ(約5350万円)を拠出していたという。資金の枯渇したドイツワイン基金はたちまち事業縮小を余儀なくされ、日本だけでなく韓国・中国などアジア全体から撤退の止む無きに至った。折からVDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟と協力を深め、高品質なドイツワインを積極的にアピールしていく方針を打ち出していたことも、大手醸造会社の不興を買う一因だったのかもしれない。

 こうして日本のドイツワイン市場は本国からの支援を絶たれ、孤立してしまった。毎年開催されていたRiesling & Co.や合同試飲商談会は運営母体を失って消滅し、日本ドイツワイン連合会が主催するドイツワインケナー試験でも、最優秀合格者を基金の支援でドイツに招待することが出来なくなり、やむなく連合会が自腹で旅費を負担することになった。今回のドイツワインプリンセスとリープヒェンさんの旅費も、基金からではなく監督省庁から捻出してもらったという。在日ドイツ商工会議所が駐日代表部の撤退後をフォローする様子もなく、生産者来日の際に大使館をセミナー会場として提供するといったことも、基金撤退後はなくなってしまった。間もなく下る判決で基金が勝利すれば駐日代表部が再設置される可能性もあるが、いずれにしても日本のドイツワインは氷河期にあると言っても過言ではない。

 しかし、この事態を招いたのは、あながちドイツ側だけの事情ではないようだ。在日ドイツ商工会議所が2011年2月に公開した、日本のワイン市場に関する報告書(http://www.agrarexportfoerderung.de//fileadmin/sites/default/files/Marktstudien/Japan-Weinmarkt-ZGA.pdf) があるのだが、ドイツから日本市場がどう見えているのか伺えて面白い。曰く、ドイツワインは2002年から2010年の間に輸入量は3分の1に減少し、市場シェアは1.7%まで落ち込む一方、チリをはじめとする新世界のワインが大幅に伸びている。不景気で家飲みが増えて1000円以下の低価格なワインへと需要がシフトし、酒販免許をコンビニに譲渡して廃業する酒販店が増えていることも低価格化を後押ししている。サントリー、メルシャンなど5大企業が市場の6割を支配し、残りの4割をめぐって中小規模のインポーターがしのぎを削っているが、日本の食品流通システムは非常に複雑であり、長期的な付き合いによる信頼関係でビジネスが成り立っている。従って、狙った市場に人脈を持つパートナーを見つけ、密接な関係を築くことが必要だ。また、インポーターの選択眼は厳しく容易には受け入れてもらえない。初めて売り込む際には、中立的な立場で流暢な日本語を話す有力者に仲介を依頼することが望ましい。欧米流に英語でアプローチしても成功の見込みは薄い、とある。

 要は、日本市場は保守的で閉鎖的で、何よりもコネがものを言う世界と見られているようだ。余談だが、人づてに聞いた話なので真偽のほどは定かではないが、日本のドイツワイン業界ではインポーター同士の仲も悪く、合同試飲商談会では隣のテーブルになることを嫌がったり、とある大手輸入商社は著名醸造所のワインを同業者の量産ワインと同じ部屋でプレゼンテーションすることをよしとせず、特別に仕切りを設けさせたりしたこともあったらしい。気難しいというか、子供っぽいというか。これでは、シェアが縮小するのも無理はない。

 しかし、悲観すべき材料ばかりではない。DWIの2011/12年度統計資料によれば、2010年の日本のドイツワイン輸入量は世界8位で、前年比+5.3%と若干伸び、ヘクトリットルあたりの単価は407ユーロで輸入上位10ヵ国の中ではトップである。つまり日本市場のドイツワインのシェア縮小は、主にリープフラウミルヒやシュヴァルツェ・カッツなど大規模醸醸造会社が量産する低価格帯ワインの、いわば順当な売れ行き不振が原因なのだ。

 この状況をDWIのリープヒェンさんは、「市場浄化」Marktsäuberungと呼んでいた。ヒットラーの「民族浄化」にも似た響きの言葉ゆえ、最初に聞いたときはドキリとしたが、低品質なワインが市場から排除されて出来たスペースに、高品質なワインが入り込むことを意味していた。既に2008年のリーマンショックの後、北米でも同じことが起きたと言う。確かに2010年の北米向け輸出は、量・金額ともに前年比で約21%増加している。北米は世界最大のドイツワイン輸入国であり、この変化は地殻変動のように大きい。『ワインスペクテイター』などの北米のワイン雑誌に、ドイツワインが取り上げられる機会が以前より増えているのは、こうした背景があるようだ。

 ひるがえって日本の市場を見ると、このところ確かに高品質なドイツワインに本腰を入れて取り組もうという、意欲的なインポーターが増えている。この2月から3月にかけてもクレメンス・ブッシュ、ヘイマン・ルーヴェンシュタインやゲオルグ・ブロイヤーなど、辛口で成功しているトップ醸造所のオーナーの来日が相次ぎ、セミナーなどのイヴェントも盛況だった。はたして、日本におけるドイツワインの夜明けは近いのか。あるいは、それは私の希望的観測にすぎないのか。いずれにせよ、思うに2012年が一つの節目の年になることは、まず間違いないところだろう。

 

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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