2011.12 ワインライター 北嶋 裕
ドイツのクリスマスには、独特の雰囲気がある。それはどこか日本の大晦日に似ていて、深まりゆく時間の最奥であると同時に、クライマックスでもある。
クリスマス前の4週間を「アドヴェント」と言う。
ラテン語で「到来」を意味するアドヴェントゥスAdventusに由来する言葉で、カトリックでは「待降節」と訳されるが、その期間ドイツの人々はイエス・キリストの降誕を - あるいは単に祝日としてのクリスマスを- 指折り数えるようにして待ち望む。やがてイヴの前日には、ホットワインのシナモンの香りと共に賑わっていたクリスマスマーケットは跡形もなく撤去され、町の中心部は虚ろな静寂に満たされる。そして大聖堂から響く重厚な鐘の音が、教会の存在感を際立たせるのである。
普段は閑散とした教会がクリスマスに参列者で埋まる様子は、あたかも日本の初詣のようだ。しかし、ミサの中で司祭の祈りに唱和する参列者達の力強い声が、大聖堂の床や壁を震わせんばかりに木霊する様子は、その場に紛れ込んだ私のような異教徒を威嚇するほどの迫力があった。
「天におられる私達の父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちに日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救い下さい。」
ドイツ人のほとんどは生後間もなく洗礼を受けている。その一方で、教会に赴きミサに参列する人は、年を追うごとに減っているという。だがそれでも、上記の「主の祈り」の言葉は、多くの人々の胸にしっかりと刻み込まれているようであった。ドイツの文化の一面を規定するものは、教会建築とそこで語られる聖書の言葉である。
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れなさる。」
(ヨハネによる福音書15章1-2)
聖書の中に葡萄栽培とワインは幾度となく登場する。それはイスラエル一帯で古くからワイン造りが盛んだったことと、人々の日常生活に欠かせない飲料だったことを物語っている。そしてイエスが大胆にもパンとワインを自らの肉と血に例えたことで、教会の儀式にワインは欠かせないものとなった。やがて中世に修道院や教会がヨーロッパ各地に設立されていく中で、既にローマ人がワイン文化を育んでいたライン左岸を越えて、葡萄栽培は北へと広がって行った。ドイツ北部でも教会や修道院は、近郊の所領でワイン造りを行いながら、遠く離れたワイン生産地域に葡萄畑を所有することで、なんとか需要を賄おうとした。それほどまでにワインは信仰生活を送る上で欠かせないものであり、その供給は教会や修道院にとって重要な課題だったのだ。
つまりイエス・キリストの誕生は、気候的条件の限界を超えて人々をワイン造りへと向かわせた契機なのである。気候条件や土壌に甘やかされた葡萄から、高品質なワインは生まれにくいという。逆に生産年によってはなかなか熟さないくらいの、限界状況においてファインワインは生産される。従って、イエス・キリストの誕生は、ファインワイン生産の原点と言えるかもしれない。ワイン好きにはクリスマスを祝う一つの理由となるだろう。
ドイツではクリスマスとその翌日は国民の祝日であるが、既にイヴの午後2時には商店はことごとく閉店し、バスも夕方4時半に運行を止める。人々は家庭に戻り、夕食を囲む。その時飲まれるワインは、社会階層によって異なる。例えばワインがたしなみとして意味を持つ教養層の家庭では、クリスマスの食事にはシャンパーニュか定評ある醸造所のゼクトで始まり、ブルゴーニュかボルドーの銘醸が飲まれることが多いようだ。翻って、ワインにこだわる必要のない労働者か中産階級の家庭では、選択基準となるのはもっぱら価格である。つまり、ドイツの優れた醸造所のワインを知っていることは、政治や歴史、文学に通じるのと同じ意味で教養の証となることがある。そしてその際、音楽や芸術と同様に、語り手の審美眼が問われることになる。
さて、夕食の後、イヴの夜は主人が鳴らす鈴の音を合図に、針葉樹の香る居間に飾りつけたクリスマスツリーの周りに家族一同が集まり、プレゼントを交換し合う。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書 15章11-12)
葡萄の木の譬えと共にイエスが語ったのは、愛の掟であったことは興味深い。
ワインには人と人を、神と人を結びつける力がある。
色々な出来事があった今年は、様々な愛の形に思いを馳せながらクリスマスを祝い、新年を迎えたいと思う。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。