2011.11.22 ワインライター 北嶋 裕
今年、日本ソムリエ協会が行うソムリエ呼称資格認定試験の試験範囲から、ドイツが除外された。ドイツワイン関係筋からは不満の声があがっているらしいが、私は逆に、正当な判断だと思う。なぜならドイツワイン法、すなわち今から40年前の1971年に施行され、幾たびも改訂されて来た規定を学んでも、ワインを選ぶ際にほとんど役に立たないからだ。
端的に言って、1971年のドイツワイン法は、ワインの品質を判断する基準になっていない。一般に、我々がワインを飲む前に、そのおおよその品質を推し量ることの出来る情報として、以下の二点を挙げることが出来るだろう。すなわち①葡萄品種、②ヘクタールあたりの平均収穫量である。しかしドイツワイン法には、これらについて有効な規定が欠けている。各生産地域の栽培許可品種が定められてはいるが、リースリングやシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)など、晩熟だがファインワインを産することができる伝統品種と、オルテガやオプティマといった、もっぱら生産性の向上と早期に熟することに目標を据えて開発された交配品種が、同等に扱われている。また、平均収穫量の上限も、各生産地域で一応定められてはいるが、高品質ワイン(Qualitätswein, Prädikatswein)で90~125hℓ/haと非常にゆるい。実際上、高品質なワインの収穫量の上限は60hℓ/haと言われている。
ドイツワイン法の目的は、偽造や詐欺を防止して消費者を保護し、ワインの品質を高めることにある。だが一方で、ドイツワイン法はワインが一定の呼称を名乗る際、最低限クリアするべき基準を定めているにすぎない、ということを指摘しておかなければならない。つまりその基準は、大量生産されるワインに水準をあわせているのである。
例えば1971年のドイツワイン法で導入された、『グロースラーゲ』という呼称がある。単一畑(『アンツェルラーゲ』)に対して集合畑と訳されるが、一般消費者にはまず見分けがつかない。例えば:
ピースポーター・ゴルトトレプヒェン Piesporter Goldtröpchen
ピースポーター・ミヒェルスベルク Piesporter Michelsberg
さて、このどちらが総面積50haの急斜面にある、蛇行するモーゼル川を円形劇場のようにとりかこむ単一畑で、どちらがピースポーター村とその周辺9つの村の葡萄畑すべてを包含した、約1500haに及ぶ広大な集合畑かお分かりだろうか(答え:前者が単一畑)。また、
シャルツホーフベルク Scharzhofberg
ヴィルティンガー・シャルツベルク Wiltinger Scharzberg
さて、どちらが単一畑だろうか。前者は有名なグラン・クリュだが、後者はモーゼルの支流ザール川周辺にある葡萄畑すべてを包む集合畑名である。ザールの葡萄畑の中には傾斜のきつい、命がけの作業を強いる畑もあれば、本来葡萄栽培に向かない平地や高原にある葡萄畑もあるのだが、ワイン法ではそうした差がまったく考慮されていない。凡庸な畑でもグラン・クリュと間違えそうな名前を、合法的に名乗ることが出来るシステムは、どこかおかしい。
これには、有名な畑を持たない小規模生産者が、容易にワインを売ることが出来るよう配慮されたのだとか、どんな畑にも優れたワインを醸造するチャンスを与えた、民主的制度なのだとか言われている。だが、利益を享受しているのはむしろ、小規模農家が葡萄を納入するか、彼らのワインを樽ごと買い上げる(あるいは買い叩く)醸造協同組合か大規模な醸造会社であり、小規模農家の生活は益々困窮し、1990年代に至るまで、数多くの急斜面の葡萄畑が後継者を失い、放棄されてきた。
葡萄畑の代わりに格付け制度の基準となっているのが、収穫時の果汁糖度である。恐らくソムリエの試験では、この果汁糖度基準を覚える必要があるのかもしれないが、意味のないことである。第一に、温暖化の影響で毎年葡萄が完熟するようになってしまった。1987年までは、たしかに葡萄が熟し切らない年もあったのだが、近年ではアウスレーゼの果汁糖度に達していても、シュペートレーゼとしてリリースすることが普通に行われている。第二に、果汁糖度は品質の基準とはならない。なぜなら、品質を左右するのは葡萄品種と畑、そして生産者だからだ。
例えばアイスヴァインを考えてみよう。ドイツワイン法で規定しているのは「収穫時と圧搾時に葡萄が凍結していること」と果汁糖度がベーレンアウスレーゼと同等以上であることの二点である。樹上で凍結していなければならないため、生産者は氷点下8度以下の寒気が訪れるのを待つことになる。それはいいとして、例えば平地の畑に栽培された早熟量産系品種で、房を思い切り多く残したものをハーヴェストマシンで一気に収穫して造ったアイスヴァインと、優れた畑で収穫量を落としたリースリングによるアイスヴァインとでは、品質に雲泥の差がある。前者も濃厚に甘いかもしれないが、後者の凛とした甘味と酸味の凝縮感と気品、複雑なニュアンスに富んだ余韻とは、到底比べるべくもない。
同じアイスヴァインと称していても天と地ほどの差があり、エチケットにアウスレーゼと書かれていても、葡萄品種と畑と生産者で甚だしい相違がある。しかもその畑がグラン・クリュかどうかはもとより、単一畑か集合畑かすらも判別しにくいのでは、到底消費者の立場に立った法律とは言えない。そこに読み取ることが出来るのはただ、量産ワインメーカーの政治的影響力であり、1950年代から70年代にかけて奇跡の復興を遂げたドイツ国内の、甘口ワインの需要の急速な伸びと、その需要を満たそうと拡大を続けた葡萄畑と、そこから産する低品質なワインの販売を支援する方策である。
ちなみに、果汁糖度と肩書を関連づけたのも、1971年のドイツワイン法が最初である。それまでは文字通り、遅くまで収穫を待ったものをシュペートレーゼ、房ごとに選りすぐったものをアウスレーゼと称し、アウスレーゼを品質によってファイネ・アウスレーゼ、ホッホファイネ・アウスレーゼなど、品質のよって区別することも行われていた。だが、1971年のワイン法でアウスレーゼの下位区分も禁止され、品質に関わりなく果汁糖度基準さえクリアすればよいことになった。そしてまた、数多くの単一畑名も廃止され、古くから呼びならわされてきた区画名もエチケットに記載することが出来なくなった。無数の古木もまた、1970年代から今に至る耕地整理で引き抜かれ、姿を消した。
伝統の破壊と合理化・工業化の一途を辿ってきた戦後のドイツワインだが、1985年のジエチレングリコール・スキャンダルで転機を迎えるチャンスはあった。当事国オーストリアではワイン法を抜本的に見直し、高品質化へと向かう契機としたのに対し、ドイツでもワイン法改正の議論はあったものの、時期尚早として見送られた。
しかしドイツワイン法とは関係のないところで、醸造家達は高品質なワインに活路を見出した。例えばVDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟では、1990年代からドイツワイン法よりも厳しい自己基準を課し、100年前に行われていた葡萄畑の格付けの復活に取り組んできた。それが21世紀に入り、実を結びつつある。そこでは伝統的葡萄品種と、ヘクタールあたりの平均収穫量の上限が主要な基準となっている。
こうした事情は、ドイツワイン法を表面的に眺めただけでは見えてこない。ドイツワインの現在は、ドイツワイン法とはかけはなれたところにある。だから、現在のドイツワイン法を学ぶ必要はない。学んでも無意味だ。むしろ、優れた生産者を知る努力をするべきだ。彼らのワインを通じて、品種を知り、葡萄畑を知り、テロワールを知るべきだ。
そして現在、2012年からドイツワイン法にもEU市場改革に伴う地理的呼称制度が導入される予定だ。保護地理的呼称付ワイン(g. A.)と、保護原産地呼称ワイン(g. g. U.)という新しい二つのカテゴリーが加わり、高品質ワインは後者のサブカテゴリーとなる。その際、AOCに倣ってg. g .U.を地域名、村名、畑名クラスに分けて、呼称範囲が狭まるにしたがって栽培品種を限定し、平均収穫量の上限を厳しくしようという提案が、一部生産者からなされている。それに対して、法改正を骨抜きにしようという量産ワインメーカーの圧力も、州政府が公表した暫定基準に透けて見える。
大規模生産者の政治力が再び勝つのか、それとも改革への意思が実るのか。今後の成り行きが注目される。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。