2011.10.27 ワインライター 北嶋 裕
13年のドイツ滞在を終え帰国してから2ヵ月あまりが経った。当然ながら、色々と変わっていることに気が付く。それは都営地下鉄の路線が増えていたりとか、高層ビルや巨大なタワーが建っていたり、コンビニのコピー機でファックスが送れるようになっていたりといった外観の変化以上に、人々の立ち居振る舞いであるとか、買い物の際の店員の細やかな気配りであるとかいった日常茶飯事の、おそらく以前からあったが気が付かなかった内面に、深く感心させられることが多い。
そう言えば、丸山真男は異文化との接触を通じた認識の変化について、こんなことを話している。「視圏が拡大するというのは、たんに量的に視野がひろがるということだけではなくて、世界像自身が変わってくることを意味します。単に認識が対象的に拡大されるという意味だけではなくて、認識主体を変革する作用をする」と。
異文化との接触は単に視野を広げるだけではなく、認識の主体を変えてしまう。すると世界像が変わり、自我のアイデンティティが不安定となり、新たな変革の契機が生じる。それがガリレオの地動説や幕末の開国の背景にあったという。この指摘は、私自身の体験を説明する一方で、ふと、ドイツワインの生産者たちが、1990年代後半からおかれた状況に重ねてみることができるのではないかと思った。
まず、国外の醸造所で働いた経験を持つ若手が増えている。よく聞くのはブルゴーニュ、オーストリア、南アフリカで、ガイゼンハイム専門大学の醸造学科卒業生に多い。他にもモンペリエ大学で醸造栽培を学んだり、醸造家としてのキャリアをイタリアや南仏あるいは北米でスタートしたり、ブルゴーニュの醸造所を渡り歩く人もいる。異文化での経験を経た醸造家の中には、2007年にバーデンに設立されたエンデレ&モル醸造所Enderle & Mollのように、コルクに“Rien sans peine“(痛みなくして得るものなし)とフランス語で刻印している生産者もいる。醸造所を立ち上げた二人はフランスの醸造所で働いた経験を持ち、そこで同僚達からしばしば聞いた格言を、座右の銘としてコルクに刻んでいるのだという。
こうした若手生産者は、故郷のテロワールを新たな視点で捉えなおし、ドイツワインに変革をもたらしつつある。勿論、国外の醸造所で研修したからと言って、必ずしもすぐにワイン造りが変わるとは限らない。醸造家本人の素質によるところもあるし、とりわけ父親が健在でワイン造りの決定権を握っている場合は難しいが、最近は若手の意欲に理解を示す醸造家やオーナーが増えているようだ。
北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。