2013.12 合田泰子
《合田泰子のワイン便り》
「後ろを見ない、前進あるのみ」 オリヴィエ・コランの来日
11月22日にシャンパーニュ・ユリス・コラン社のオリヴィエ・コランさんが来日しました。来日の目的は、「ユリス・コランにとって世界で一番目のクライタントである日本を訪問し、どのような食文化があり、どのような人が実際に自分のワインを扱ってくれているのかを知り、ラシーヌが扱っているワインを知りたい」ということでした。
22日午後4時前にオフィスに到着したオリヴィエは、その日行われていた新着コンテナーの試飲会に合流。12月販売のための各スタッフおすすめワインとあわせて試飲をしました。たいへん優れた味覚の持ち主であるオリヴィエは、初めて出会うワインと丁寧に一つ一つ向き合って、意見をのべるという具合。ワインを介してオリヴィエとラシーヌスタッフが出会えた貴重な時間となりました。
続く23日(東京)と24日(大阪)、それぞれLe Magnum2005と2006をあけ、長年お取引いただきましたお客様にささやかな感謝の会を催しました。どちらの会でも、誠実かつ真摯に、しかし迎合することなく、しっかりと自らの意見を述べ、全力投球で一人一人のゲストと話すオリヴィエの姿をみて、彼のワインにまっすぐな味わいが映し出される理由が納得できました。もちろん、彼のワインはまっすぐできれいなだけでなく、偉大なシャンパーニュに特有な、気品とエレガンスと複雑さを備えています。
それぞれの会で、オリヴィエは次のように挨拶しました。
「私は2003年3月、コンジ村にあるコラン家にもどり、ユリス・コランを創めました。合田さんは、2004年1月に訪ねてきましたが、それ以来ファースト・ヴィンテッジ2004をリリースする2007年9月まで、毎年1-2回訪ねてきてくれました。2003年は、遅霜にあったことと、酷暑のため大変難しい年であったため、収穫はしましたが、瓶詰めをしませんでした。2003年以来、私とラシーヌは共に歩んできましたし、ラシーヌは世界ではじめてユリス・コランの取引先になってくれました。日本の重要な方々に扱っていただけるように、確実な仕事を重ねてきたラシーヌと共に仕事ができることは、私の大きな誇りです。」
こうして、出席者のみなさまにオリヴィエの人柄を知っていただける、良い時間をともに過ごすことができました。ご参加いただいた皆様に、感謝申し上げます。オリヴィエは笑顔が素晴らしく、明るくて素敵な人柄だと心得ていましたが、とてつもなく鋭い感覚の持ち主なのです。彼は、単にワインの細部から骨格までの全容を精緻に味わって評価できるだけでなく、瞬時に人物を見抜く鋭さを備えていることを、数日間の身近な付き合いをとおして実感しました。これは、今まで私たちが気づいていなかった、彼の別の側面でした。大学で法律を学んだ彼は、大手メゾンと結んでいた長期貸与契約の終了時に、違法に奪われかかっていた生家の畑と建物を裁判で取戻すことに成功して、今日のビジネスの基礎を築きました。また、今なお彼のシャンパーニュの品質に対して、根本的に否定する大組織に対し、敢然とかつ論理的に立ち向かうオリヴィエは、ほんとうに強い闘うヴィニュロンだと思いました。
25日は京都でヴァーティカル・テイスティングをいたしました。その日のあることを予期して長らく秘蔵していた、Les Pierieres2004、2005、2006、2007、2008,2009と、Les Maillons2006、2009です。彼の手元には、2004,2005は1本も残っていないと聞いていたので、直前までヴァーティカル・テイスティングをすることを、あえて伝えていませんでした。サプライズ・テイスティングの内容を聞いたオリヴィエの驚きは大きく、お客様を前にして数分間も胸がつまり、言葉になりませんでした。私も、涙がこぼれてうまく話せませんでした。
「私は、ファースト・ヴィンッテジにさかのぼる、テイスティングを日本で経験できるとは思ってもみませんでした。私のセラーには、2004年、2005年はなく、2006年も数本しか残っていません。テイスティングをして感じることは、2003年から耕作を始め、年を追うごとに全力で仕事をしてきた結果が、ワインの力となって積み重ねられてきていることです。 味わいは、畑のキャラクターに強く結びつく、土壌を印すものです。もちろんその年々の作柄を感じますが、それ以上に土壌の個性をワインに感じます。2013年の収穫を終え、今もうすでに2014年のことを考えています。2月から収穫と醸造の終わるまで、携帯電話もとらず、誰にも会わず、全身全霊でワインを造っています。後ろをふりむくことはなく、常に前を向き、進んでいます。2008年からは、ようやく畑の名前を記すことができる力をワインが身につけたので、Les Pierrieres, Les Maillons, Les Roases と畑名をラベルに記すようになりました。 またそのキャラクターを表現すべく、Les Pierrieresのエチケットは妻のサンドラが羽ペンで書き、Les MaillonsとLes Roasesはペンで力強く私が書きました。」
初めて食べるものに対して、辛辣で好奇心いっぱいの柔らかな心で日本の食を楽しみ、真剣に料理をされる日本の料理人に自分の仕事を映して感嘆していました。
「オリヴィエさん、おいくつですか」
オリヴィエ「38歳です」
「よかった、嬉しいです」
オリヴィエ「どうしてですか」
「だって、あと最低30年、私はあなたのシャンパーニュを楽しむことができますから」
―という、お鮨屋のご主人の言葉に「大きく勇気づけられた」と笑顔いっぱいで応えてくれました。
昨26日は一日、京都で短い休日を楽しみ、今朝帰国の途に就きました。今回の訪日をきっかけに、オリヴィエは日本の食の世界と熱心なファンの存在を知り、つくづく感激していました。今後さらに素晴らしいシャンパーニュが造られることを心から願っています。
合田 泰子