2013.10 合田泰子
《合田泰子のワイン便り》
~サルヴォとともに~
(サルヴォ語録)2007年3月
「いろんな造り手がエトナにどんどん進出してきているけれど、多くのワインはエトナの伝統的な味わいではない。栽培方法も、自分たちのところではアルベレッロで木の支柱で支えて仕立てているけれど、見てごらん、この畑も、あの畑も、スパッリエーラだろ。エトナの伝統ではない。私が造りたいのは、洗練された古典的な味わいをしたエトナ・ワイン。未来に遺すエトナの伝統のため、私は今もブドウを植える。私と一緒に働く仲間は、みなエトナ出身の人ばかりだ。エトナ人によるエトナ人のためのエトナの大地のためのエトナ・ワイン。これが私のワインだ。」
2013年6月、久しぶりにシチリアの東海岸、カルタジローネとエトナを訪ねました。訪問の目的は、ラシーヌの今後のエトナ・ワインの方向を定めるためです。
ラシーヌでは、長年サルヴォフォーティがコンサルタントをしていたベナンティ社と、ワインメーカーを務めていたイル・カンタンテ社のエトナ産ワインをご紹介してまいりました。けれども、今年5月の入荷をもって、ベナンティ社との取引が終了しました。ベナンティ社とサルヴォフォーティとの契約関係が先年解消されただけでなく、私たちにとっても、近年のヴィンテッジの味わいに容認できないような変化を感じたためです。
また、イル・カンタンテ社は、2006年ヴィンテッジを最後に、2010年に廃業しました。したがって、
業務関係もまた自然に終了したわけです。
イル・カンタンテは、ご存知のようにサルヴォフォーティ率いる栽培家グループ「イ・ヴィニェリ」が栽培を担当し、サルヴォがワインメーカーとして、オーナーのミック・ハックナーに全面的に協力する形で発足しました。2009年にエトナ・ロッソ2001とエトナ・ビアンコ2001で鮮やかなデビューを果たし、やや高額でしたが、イタリア・ワイン・ファンを瞬く間に虜にしました。
が、2004年ヴィンテッジは、醸造上欠陥のあるワインができてしまい、そのうえ同社が販売の可否の判断を誤ったために、多くのワイン・ラヴァ―を裏切ることとなってしまい、私たちも在庫をかかえました。残念ながら、2004年ヴィンテッジのリリース時期である2010年ごろに、なぜか現場からの情報が滞ったため、私たちも正確な情報をお知らせすることができませんでした。きっと「どうなっているのだろう」と思われた方々も多いことと思います。
今回の訪問で、この数年間のできごとがようやく明らかになりました。一時は、「サルヴォフォーティはイ・ヴィニェリの代表であり、栽培をまかされているワイナリーのコンサルタントは継続するが、自分自身のワインを今後は造らない」という誤った情報が伝えられたため、私たち自身も混乱しました。「エトナで生まれ、育ち、ブドウ栽培と共に生きてきたエトナそのものというべきサルヴォが、自分自身のワインを造らないなんてことがあるはずがないし、あっては困る」と考え、サルヴォに会うために塚原とともに現地入りしました。現地でさまざまな情報に接し、サルヴォとの話し合いとやり取りの結果、少量ながら今後もサルヴォが造るワインを、ラシーヌがわけていただける約束が成立したので、ようやく安堵しています。
『組合I Vigneri』、『I Vigneri』(パルメントで醸造されるワイン),『Vinupetra』,『Vinujancu』,『Vinudilice』,『VignadiMilo』はサルヴォ個人が登録し、独占的に所有するブランドです。 今も、以下のワインが、造られています。
エトナで自前の醸造施設を持つことは、許可プロセスや資金面で大変難しいため、サルヴォは自身の醸造所を持っていません。そのため、エトナにある他のカンティーナの区切られた小さなスペースで醸造し、ビン詰はラグーザ県キアラモンテのグルフィ社で行っています。畑からの最終的な可能生産量は年間25000本ですが、栽培のコストも大変高いため、実際は、4000本のみ造られています。
アルベレッロの仕立ての栽培コストは高くつきます。1haの栽培手入れに、スパッリエーラ仕立てだと50日なのに対して、アルベレッロでは200日も必要とされます。1本の樹から1本のワインしか造れません。50年前エトナには、6軒のカンティーナしかありませんでしたが、今は85のカンティーナがワインを造っています。「どのカンティーナも皆、テラス状の畑を平らにならして、アルベレッロをスパッリエーラに変えている。楽に仕事ができて、量がとれるからね」とサルヴォ。ワイナリーの写真を撮るとき、自社の畑の写真でなく、他社のアルベレッロの樹の写真を使うという話も聞きました。実際、2000年代になって、フィレンツェからやってきたさる造り手の生産本数は年間20万本にも達し、なぜか「エトナ」最上のワインとして評価されているのが現実なのです。いったいエトナ人はどうなってしまうのか心配ですが、サルヴォがエトナでエトナ人とともに地道に戦い続けるかぎり、私たちもサルヴォとともに歩む覚悟です。
組合『 I Vigneri』については、サルヴォが設立した栽培家の組合組織で、商標はサルヴォ個人が所有しています。組合員は、サルヴォが望み作成した規約を守る場合のみ、組合員としての資格を保持することができます。現在30名のエトナ出身の栽培家がおり、1)ダイーノ(カルタジローネ:コルク樫の森がある保護地区に隣接する畑、品種はネロ・ダーヴォラ)、2)テヌータ・ディ・カステッラーロ(リーパリ、品種はマルヴァジーア)、3)イ・クストディ(エトナ)、4)カンティーネ・エドメ(エトナ) 5)ファットリエ・ロメオ・デル・カステッロ(エトナ)、6)サヴィーノ(ノートの南)、7)フェルナンデス(パンテッレリーア) 、合計30haの栽培をまかされています。 2012年については、『 Vinudilice』, 『Vinupetra』 及び『i Vigneri rosso』,が少量ですが12月に入荷いたします。また『Vinudilice2011』は、その特徴がもつ適性からスプマンテに仕立てたため、まだビン熟成中です。2013年末に以降あるいはその翌年から販売の予定です。
サルヴォは、ブドウ栽培においてもワイン醸造においても最高のものを生産したいと考えていますが、大変な困難が伴います。手間隙がかかるうえ、小さな農民レベルの生産者にはさまざまなコストがかかります。自身の信念にいっそう根付いたワインを消費者の手に届けるため、ビオロジック認証の申請をやめました。「認証は行政側だけで勝手に作られただけで、食品の安全性を絶対的に保証するものではない。それだけでなく、行政から認定を受けていても、世界レベルで、完全に化学物質が含まれないという保証もできない機関での分析(費用が多くかかる上に絶対的な結果もでない)に費用をかけて分析することを強要される」と考えるためです。
また、パルメント製の「イ・ヴィニェリ・ロッソ」はEtna DOCを名乗ることができなくなりました。シチリアのワイン産業政策は零細の職人作業による伝統的なワイン造り―「パルメント」内での古来からの醸造方法によって高い質のワインを造ることを、不可能にしてしまったのです。
この数年のエトナとの仕事を振り返り思うことは、この地方の特異な慣習、複雑な人間関係、不条理な行政による縛りは、外部からは想像できるものでないほどやっかいだということ。困難さと対峙しながら、近代醸造を推進するワイン法の枠の中で、伝統を護ることにこれほど苦労をしながら、信念を貫くサルヴォは、「闘うワイン人」というべき造り手だということでした。
サルヴォは、長年日本のマーケットが、彼のワインを愛しみ、大切に育ててくれたことに喜びと誇りをもち、心から感謝をしています。 ラシーヌは、エトナの真の伝統的なワイン造りをこれからも応援し、彼と共に歩んでいく決意を新たにしました。サルヴォの新たな出発に際し、もう一度「エトナ人サルヴォフォーティ」を理解していただきたく、過去のラシーヌ便りをあわせてご紹介申し上げます。
http://www.racines.co.jp/producer/italie/sicilia/salvo_foti_interview.html
サルヴォ・フォーティ語る(日本でのインタヴューより、2009年6月 宮嶋勲) 是非、お読みください。
http://www.racines.co.jp/library/goda/41.html
http://www.racines.co.jp/library/goda/46.html
合田 泰子