『ラシーヌ便り』no. 95

2013.9  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》
ことのほか厳しい夏でしたが、お変わりございませんか。

夏は岩茶で
 私は今年の暑さを、おいしい温かい中国茶を楽しんで、乗り切りました。7月に久しぶりに三宮に泊まり、翌日身体に優しいものを食べようとして見つけたのが、岩茶の専門店(神戸岩茶荘)。丁寧な「薬膳お粥ランチ」1000円で、ほっと身体を休めることができました。旅先での嬉しい出会いのあとも、そこで求めた岩茶を毎日楽しんでいます。

開発の秋
 夏が終わりに近づくと、「さあ、気候もよくなる、いい仕事をしよう」と、秋に向かっての準備を始めます。いつも、去年の今頃は何をしようとしていたかと考えます。昨年は、ロワールとボジョレの天候不順の影響を確認に行き、ロワールの2012年度の生産量が大幅に少なくなることを見こして、ブレンダン・トラセ(ドメーヌ・ル・クロシェ/トゥーレーヌ地方)とマーク・ウータン(ラ・グランジュ・オ・ベル/アンジュ地方)との取引を始めました。またスクラヴォス(ギリシャ、ケファロニア島)とシルヴァン・ソー(ルション地方)に、ヌーヴォーの醸造を依頼しました。

 一昨年の2011年は、8月中旬からドイツ/オーストリアの現状リサーチに連日遅くまで明け暮れ、9・10・12月と3度訪れました。あれから2年をへた今なお、ラシーヌが本気でドイツ/オーストリア・ワインと取り組んでいることは、広く認知されてはいません。私と塚原およびスタッフ全員は、この間お披露目と試飲の会を重ねながら、各造り手の実力の高さを日々実感しています。

 また、一年間ドイツに留学してワイナリー研修をおえた原香奈枝が、本年3月に入社しました。船会社で長いシッピング経験がある原は、ドイツ/オーストリアとの日常のやりとりはもちろん、すべての国からの輸入・通関業務を担当するという、重要な役割を担っています。悪天候の伝えられるモーゼルですが、ファン・フォルクセンとアダムは、雹に見舞われることなく、大変順調に生育し、10月後半には収穫予定との報せです。

2013年秋、いよいよスペインに本格的取組
 そこで、今年。ラシーヌは秋に向けて、春から動き始めました。その結果、まずこの秋には、スペインの新しい造り手が数社入荷します。

 振り返れば、かつて秘境の地で自根ブドウからワインを造りだしたドメニオ・デ・アタウタが、彗星のように登場しました。が、残念ながらワインのスタイルが急変したので、2003/2004年の2ヴィンテッジのみで取引を中止しました。その後は長年、《デセンデンディエンティス・デ・ホセ・パラシオス》(ビエルソ)と《オリヴァーレス》(フミージャ)の2社のみに扱いを絞りながら、秘かにスペインの可能性と動向に注目していました。

将来恐るべし、スペインのヴァン・ナチュレールの実力
 スペインでのヴァン・ナチュレールへの動きは、まだまだこれからのように見えます。けれども、すでに亜硫酸非使用で醸造している高レベルの造り手が多いのです。スペイン・ワインによく見られる、甘さ、重さがなく実に飲み心地よく、白ワインも酸がきちっとあり、マセラシオンしていても酸化臭くないのです。1980年ごろから、有機栽培で、亜硫酸非使用で醸造を始めたマヌエル・ヴァレンズエラ(グラナダ地方)、その十数年後に登場したラウレアノ・セレスとホアン・ラモン・エスコーダ(ともにカタルーニャ地方)。彼らは簡単にフランスとの国境を越え、ルションのヴァン・ナチュレールの造り手たちの元に通い始めます。つい最近まで彼らはスペイン国内のプレスにあまり登場することなく、奇妙な造り手として傍流視されていたようです。が、カタルーニャを中心とする地中海沿岸のワイン産地で、スペインのヴァン・ナチュレールのうねりは確実におきています。マヌエル・ヴァレンズエラはロンドンの“Raw Wine”、ラウレアノ・セレスとホアン・ラモン・エスコーダは“AVN”(アソシアシオン・ヴァン・ナチュレール)に所属し、ディーヴ・ブテイユを始めとするフランスのサロンに積極的に参加し、ヨーロッパを中心とするヴァン・ナチュレールのマーケットに少しづつ浸透しています。


 このような流れの中で、次の世代の造り手が現れ、バルセロナ市内やタラゴナなどの大きな街に、ヴァン・ ナチュレールを専門に扱うワインバーが登場。“Adeu Als Sulfits”(さらば、亜硫酸)と書いたTシャツを着て、造り手が集いあう様子は、決起集会さながら。レストランにも、「ヴァン・ナチュレール」「有機認証ワイン」「その他の高品質ワイン」の3項目に分かれたリストが登場しています。バルセロナでは、ワイン専門の保冷車で配送するレストランへの卸業者も現れ、ヴァン・ナチュレール市場の成熟に向けて加速する、大きな波を感じました。

 今回は次世代の造り手を中心に10人の造り手を訪問しました。乾燥した地中海沿岸では、畑のトリートメントをせず、熟成を20か月かけて、醸造中、ビン詰でのSO2をゼロ、「1年くらいの熟成で、真のナチュラルなワインは造れない」と何人もの造り手から聞きました。隣人もなく、ゴブレで仕立て、畑には金属・コンクリートなど、一切よけいなものなく、ピュアなワインを造る姿勢に心打たれました。
手始めに次世代のワインが11月末に入荷予定です。
楽しみにお待ちください。

スペインとの交流400年を振りかえって
 今年は支倉常長が慶長遣欧使節団とともに渡欧した1613年から400年です。この4年前の1609年にフィリピン総督一行を載せた帆船サンフランシスコ号が当時のヌエバ・エスパーニュ副王領であったメキシコへの帰途、台風のため千葉県御宿町の海岸で座礁難破しました。たまたま、この週末友人をたずねて、御宿に行きました。御宿の高台に建つ記念碑(昭和3年建立)には、「373人中56人は溺死、残る317人は村民により救出された。この時御宿の海女たちは飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、素肌であたため蘇生させたと伝えられている」とあります。遭難者たちは37日間、岩和田大宮寺に滞在。その後、将軍秀忠と駿府の家康に謁し、1610年家康が三浦按針に建造させた新しい船を与えられ、無事メキシコに帰国したとあります。ここに、スペインとの交流のきっかけができ、それが遣欧使節団の派遣につながったのですが、長年、この史実は日本側には記録が残っていなかったために、歴史の中で埋もれていたとも聞きました。

 御宿は、大原から勝浦にかけての一帯に磯が続き、大原港はイセエビ日本一の水揚げがあり、アワビやさざえなどを産する豊かな漁村です。「400年前、日本の漁村に滞在した遭難者たちは、何を食べていたのだろう。まったく文化の異なる日本の食事を驚きながらも、楽しんだだろうか? あの当時、航海中はどんな保存食を食べていたのだろう?」と記念碑の立つ高台から大海原をながめながら400年前に思いを馳せました。

バルセロナのワインバーにて
 卵好きとしては、スペインは本当にうれしい。半分に切ったミニトマトを先に火を通し、ハモンセラーノの固い端とさっと炒めて、アツアツのフライパンで、ほぐした卵を一瞬であえるように焼いたオムレツ。トマトがたくさん入ったラタトゥイユの上にカリッと焼いた半熟目玉焼きをのせたもの。右は、アバとモリーユ茸の煮込みに同じく半熟の目玉焼きをのせたもの。

合田 泰子

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