2013.6 合田泰子
《合田泰子のワイン便り》
なぜ今、このグルジアワインをご紹介したいか
2012年11月、パリからミュンヘンで乗り換え、はるばる晩秋のグルジアの首都、トビリシに早朝4時に到着。初めての地は一層遠く感じ、夜明け前の街の風景にこの国の紛争に明け暮れた近年の苦労を強く感じました。イスタンブールを超え、ここはヨーロッパでなく東欧に来たという思いとともに、未知にひとしいグルジアのワインとその造り手たちのありように、期待と不安がないませになっていました。が、これまで一口だけ味わった素晴らしいズラブさんのワインを思い出し、勇気が湧いてきました。
この10数年の間、アンフォラでワインを醸造する造り手が、イタリアを中心にヨーロッパ各地でみられるようになってきました。なぜ、彼らはアンフォラ造りを始めたでしょうか。コンクリート槽がなく、新たにそれを設置することが困難な環境では、それに代わる容器としてアンフォラはサイズも選べるし、醸造槽としての効果が期待できます。
しかし、それは容器としての話であって、本来の甕仕込みとは無縁です。他国の造り手たちは、グルジアに伝わる甕仕込みワインに影響を受け、ワイン造りの原点での醸造をめざし始めたのでしょう。しかし、果皮・果梗を浸漬してアンフォラのなかで醸造された各国のワインを飲んだときに、タニックな味わいや強い酸化のニュアンス、ハーモニーの悪さを感じ、興感を覚えることができませんでした。「何かが違う、何かが欠けている」という印象をずっと持ってきました。また、ヴィニタリーやラ・ルネッサンス・デ・アペラシオンなどでグルジアワインを試飲する機会はありましたが、納得できる味わいではありませんでした。
しかし、昨年秋、ニース在住の写真家Keiko&Maikaさんから飲ませていただいたズラブのワイン(Zurab Topuridze (ズラブ・トプリズ)Guriaグリア地方)には、格別な印象がありました。うちにこもるエネルギーが、大らかに様々な表情を見せるニュアンスをまとめあげています。不思議な魅力に驚き、その出会いから2週間後に急遽グルジアを訪問することに決めました。そこには、遠い古代に、特別な感覚で選んで定められた場所で、カメを地中に埋めてワインを作った伝統が、いまなお息づいていました。ヨーロッパ各地の遺跡から、アンフォラでの醸造跡が発掘されています。今、アンフォラ醸造を復活し、醸造されたワインと、グルジアで感銘を受けたワインとは大きな違いがあります。過去から、ずっと途切れることなく、地中に埋めて甕仕込みが続いてきたことです。神への祈りに起源をもつワインは、長らく神への感謝と祈りそのものとしてワイン造りが続いてきました。様々な侵略やイスラムの支配の時代も自宅側に畑があり、自宅内、または畑のそばにある甕で当たり前のようにワインを造り続けてきました。
ご紹介する5人の造り手は、別の仕事で生計をたて、現在、自家消費の延長でワインを造る極めて少量生産の造り手なのです。彼らは、ソヴィエト時代に半ば崩壊させられた、畑と醸造環境からかろうじて生き残った栽培と醸造環境を守り、甕仕込みの伝統を護りながら次世代に伝えようとする、意地と志にあふれています。
ロシアからの独立後、グルジアでは海外資本によって、大規模なワイナリーが相次いで創立されました。が、新造の「甕ワイン」は、宣伝文句である「数千年のワインの歴史をたたえる甕仕込みワイン」とは、まるっきりかけ離れた味わいであることに、昔から密かに伝統を守り続けてきた、抵抗精神旺盛な少数の生産者たちは大きな危機を感じました。かくして、強い意志のもとに《Association Qvevri Wine クヴェウリ・ワイン協会》が組織されました。ご紹介する5人の造り手は、この会の重要なメンバーです。
訪問で感じた一番のことは、甕仕込みをしたからといって、伝統の味わいが生まれるわけでないという、当たり前のことでした。この地ですら、いわば国籍不明の朦朧としたワインがたくさんありましたが、優れた造り手のワインには、深遠さと巨大なエネルギーを感じました。長年、ヨーロッパでアンフォラ造りのワインを味わって、「何か違う」と思い続けた謎が、ようやく解けたように思いました。
最近欧米でグルジアワインが注目され、グルジア政府も積極的に後援をしています。この春ティエリー・ピュズラがロワールでのサロンの時期に、パリとロワールでグルジアワインの試飲会と宣伝を大々的にしました。また、ヴィニ・ヴェリには11人のグルジアの造り手が参加していました。そこで味わってみて、すでに選んでいた5人の造り手たちのワインが優れた味わいであるという思いを、ますます強くしました。彼らのワインには、宇宙の原理と一体になったような、あたかも人智を超えたような崇高な味わいがあります。
アンドリュー・ジェフォードは、「ワインの中枢に着地」というエッセイ(『ディカンター』オン・ライン版、2013.04.22)のなかで、グルジアでの深遠なワイン体験談を語っています。
他のワイン産地では、宗教がワインに深い影響を与えたのは歴史の一幕にすぎないのに、グルジアではワインの歴史が他のいかなる産地よりも、現在と深く溶け合い、結びついている。グルジアこそ、歴史的にいえば、8000年も絶えることなく続いている伝統が現在に息づく、「ワインの中心地」Wine Centralなのである。(…)だから、なんの考えもなしに習慣的に作られたワインとくらべて、クヴェヴリで造られたワインは、いっそう精神的な輝きを帯びている。
ワインはすでに、強力な魅惑にあふれているからである。うち最上のものは、2005年のロシアの禁輸措置以来、いっそうの品質向上を遂げてきたから、次の10年間以上にわたって、おそらくは世界中で産するワインに対してもっとも大きな影響力を与えるものに数えられること、間違いない。
本物のクヴェヴリ・ワインに、ぜひ出会ってください。
合田 泰子