『ラシーヌ便り』no. 81

2012.07  合田泰子

 

アルド・コンテルノさんの思い出
 今年の5月30日、アルド・コンテルノが81歳で亡くなりました。
 初めてアルド・コンテルノのワインを飲んだときのことは、今でも鮮やかな記憶として残っています。フィレンツェのエノテーカ・ピンキオーリでグランブッシア1985を味わいました。力強さと優雅さを共に備えた、真の偉大さに驚き、イタリアワインの迷路の入り口から、いっきに本質に迫ったように思いました。
 イタリアワインの勉強を始めたばかりのころ、古典的な造り手のワインを味わって、イタリアワインのスケールの大きさ、あふれる個性と創造的な力を全身で受けとめ、その魅力をとらえようと懸命でした。あの頃は、まだフィレンツェのエノテカで、古いヴィンテッジのマグナムが手に届く価格で購入できました。
 1998年9月19日、初めてアルド・コンテルノを訪ねました。以来、年に一度アルドを訪ねることは、私と塚原の大切で、大きな楽しみでした。毎月19日は「アルド記念日」と称して、何かのアルドのワインを楽しんでいました。たしかに仕事としては、マルク・デ・グラツィアが紹介するバローロ・ボーイズ゙のワインを幅広く輸入してきました。が、アルド・コンテルノのネッビオーロ、ジャーコモ・コンテルノのバルベーラ、ドルチェット、フレイザをデイリー同然に味わい、時々は二人のバローロ各種を楽しみました。コンテルノ兄弟のワインは、多くの人と同様に、私にとってはイタリアワインの基本と、最上の世界、つまり、イタリアワインそのものを学んだ学校でした。 

 

 そういえば、アルドの兄ジョヴァンニ・コンテルノを紹介してくださったのは、アルドでした。ジャーコモ・コンテルノのワインには既に親しんでいましたが、ご本人のジョヴァンニさんは恐れ多くて、まだ伺えないでいたのでした。その旨を正直に伝えたところ、アルドはすぐに兄に電話して、「じゃあ、これからジョヴァンニのところに行こう。今日は少ししか時間がないそうだけれどね」と気軽に愛車のアルファ・ロメオを運転して、連れて行ってくださいました。兄弟仲が悪いという風評が、嘘のようでした。ジョヴァンニさんもまた親切なかたで、私がたまたま入手したごく古い「ジャーコモ・コンテルノ」を半信半疑でお見せしたところ、時代がかった台帳を引っ張り出してきて、本物であると太鼓判を押してくださった一幕がありました。
 それはさておき、アルドにはいつも笑顔で快く訪問を受けていただき、バローロの歴史、バローロのあるべき姿を話してくださいました。ご存じのようにアルドは、「ヴァニラ、樽の焦がした味わい、スパイシーなニュアンスと甘いタニンは、バローロにはあってはならない」と、バローロにはスラヴォニアン・オークでの醸造を貫きました。

 

 年に一度のアルド訪問が続き、2003年の秋訪ねたとき、アルドが急に老けたように感じました。いつものように、イタリアワインの新たな発見や、経験を話し、ご自慢のバローロ・キナートをいただいた後、アルドが次のように言いました。「もう、来なくてよいですよ。あなた方の好きなコンテルノの味わいではなくなってしまったから。」その時のなんとも悲しげな横顔を今も忘れることができません。世代交代がやってきていたのです。私たちが苦労して古いアルドのワインを求めているのを知って、「どのように保存されていたのかわからないから、大抵の場合価値がない。そんなものは買ってはいけない」とたしなめながら、思い出に1971年と1974年のグランブッシアをいただきました。その後、アルドの言葉を馬鹿正直に受けとり、アルド邸を訪ねるのをやめてしまったのを、今となっては悔まれます。

 

 アルド・コンテルノは、ブッシア・ネッラという、チャーミングでとても素敵なワインを造っていました。日本でも1本2000円ほどで買うことができ、本当によく楽しみました。かつて、バルバレスコの若い造り手、パイティーンからこのように聞いたことがあります。「アルドは、偉大な紳士だ。いつも親しく働き手の中に入って、ともに畑の作業をし、自らの信じる方法でワインを造った。アルドのバローロは、なかなか飲めないけれど、ブッシア・ネッラなら、誰もが楽しむことができた。夕方、モンフォルテのバールで、グラスでブッシア・ネッラを楽しみ、アルドのワイン造りの一端に触れることができた。伝統的な長い浸漬を、ヴィンテッジによって調整し、美しいハーモニーを表現した。だからこそ、バローロが世界に通じる偉大なワインとなったんだ。バールに行けば、アルドと話すこともできた。何でも教えてくれた。バローロの誇る偉大な師であり、象徴だ。」 
 実は、このところなぜか、アルドのことが気になって仕方がありませんでした。胸騒ぎがしたのは、イタリアワイン界の傑物たちが、相次いでこの世を去ったから、だったのではありません。そこでピエモンテの友人たちに、それとなくアルドの動静を訊ねたら、「いつもはモンフォルテのバールに元気な顔を見せていたのに、そういえば、この数ヶ月は顔を見ないなあ」という返事だったので、いっそう心配を募らせていたところでした。虫の知らせだったのでしょうか。

 


 逝去の報のあと6月15日に、アルドからいただいた思い出の1974年を飲みました。熟成したバローロの複雑な香の奥に、やわらかな甘さとやや細くなった果実味を感じながら、静かにアルドの姿を思い出しました。
 心からアルドさんのご冥福を祈ります。

 


 合田 泰子

 

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