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マーク・アンジェリと一緒に

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ニコラ・カラマランスを訪ねて

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『ラシーヌ便り』no. 70

2011.8  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》


本年7月10日(日)のWINE for CHARITYには、850人を超える方に参加していただき、盛況のうちに、事故もなく会を終えることができました。ご参加いただきました方々に心よりお礼申し上げます。売上は550万円を超え、経費を除いた約400万円が、震災孤児の奨学金として寄付されることになっています。ワインを送ってくださった造り手の方々も、きっと喜んでくださることと思います。本年11月27日(日)に開かれます、第2回フェスティヴァンの準備にむけて、実行委員会の活動も始まりました。昨年以上に盛り上がる催しとなるよう、一同力をあわせてまいります。 是非ご出席をお待ちしています。


私と帽子~Akio Hirataへのオマージュ~


先月帽子デザイナー、平田暁夫さんの「創作70周年の展覧会」がありました。大の帽子好きの私は、 出張の帰り、空港から最終日の展覧会会場に直行しました。Akio Hirata の帽子を愛用するようになったのは、1993年ごろ、銀座マツヤで、大きなツバのパナマの夏帽子を買ったのが最初。以来、ブルーの小さな帽子、 黒のステッチ、冬のモヘア、レインハット、黒の大きなツバのぺちゃんこになる帽子、小ぶりのストロー、大きな白いリボンの帽子、と愛用の帽子は10を超え、年中、出張先で 帽子をかぶっています。いつも、ハンチングを素敵にかぶっているマーク・アンジェリは、私の帽子を「いいねぇ、世界中で一番素敵な帽子をかぶっているのは、エリザベス女王とヤスコだね」と言ってくれます。

 幼いころから、ずーっと帽子が好きで、幼稚園ごろからのどの写真も帽子をかぶっていて、「ハットちゃん」と呼ばれるのが嬉しく、今もいくつもの帽子が思い出の中に蘇ってきます。帽子が好きなのは、日除けだけでなく、帽子をかぶると違った顔立ちになるような気がして、別の自分を楽しむことができるからかもしれません。

ひとことで平田さんの帽子の特徴を言えば、「エレガントでモード。それでいてどこかユニークな部分を持ち合わせる、平田暁夫氏の魅力的な帽子」(excite.ism 草野恵子記事)でしょうか。Akio Hirata で求める帽子は、どれも、正装のようなフォルムでなく、動きがあって、カジュアルなものです。「顔をかえるわけにいかないから、帽子は遊びの額縁。心の余裕は生きている証で、おしゃれの欲望がなくなったら人生つまんないんじゃない」(朝日新聞記事) と平田さんはおっしゃっています。帽子をかぶると、服装に帽子以上の何かをプラスでき、うきうきとした気持ちは、表情にも表れるように思います。

『平田暁夫の帽子』(ワイズ出版) を読み、ますますAkio Hirataの帽子が好きになりました。戦後の復興から発展を歩んだ時代にモードの世界で、偉大な仕事をしてこられた足跡と、彼の一流の仕事を楽しみ、称えたパリのモード界の素晴らしさが伝わってきて、心を動かされます。

平田さんは、すでに日本で第一人者の地位を築いておられた36歳の時渡仏、「技術的にも行き詰っていた。もっと本格的に勉強して、ものまねでない自分のモードを世界に発信したかった」と。 街中の帽子屋は、学ぶところではなく、知るべきところは、中庭の奥にある、オート・クチュールに納めるアトリエ。半年近く、周り尽くして、パリでオート・モードのトップデザイナー、ジャン・バルデと出会います。フォーブル・サントノレのアメリカ大使館に近いあたりには、今もエルメス、ラクロワ、ディオール、エトロが並んでいます。 20数年前、私もフランスに通い始めたころ、通りの重い扉が開いていると、中庭の奥が見えます、そんな時そーっと中を眺め、「この中にはどんな世界があるのだろう」と胸がときめきました。 1962年、今から50年前のパリも、今と趣はそれほど変わらないのではないでしょうか。エレガントで、ヴェールにつつまれた華やかな香りを、静かな大きな空間の中に感じました。 ワインの世界に入って、壮麗なボルドーのシャトーや、ブルゴーニュの中世のたたずまいの中のセラーも、当時は、まだ特別な遠い存在でした。

 バルテ氏のもとで学んだ技法は、[彫刻のように立体的に、 しわもゆがみもつけて望む形に…]新たな表現の世界に入り、 「短期間で、すっかり信頼されて片腕になる」とありますが、 パリ時代のコレクションはどれほど素晴らしかったことでしょう。 
平田さんはバルテ氏と師弟の垣根を越えて親友になります。
帰国のときは、別れを惜しんで3ヶ月一緒に師の家で暮らされたと。




“Chapeau Maitre” 「メートルに脱帽」(フィガロ紙のタイトルより)


帰国後30年の1995年、パリで個展が開かれました。このときの、個展の段取りのいきさつがすごい。日本を発ったときは、白紙で、オート・クチュール・プレタポルテ連合協会名誉会長のジャック・ムクリエ氏が主催者になり、乏しい予算を承知でオート・クチュールのショーの第一人者、オリヴィエ・マサール氏が演出、ホテル・ブリストルの中庭に面した広間を会場に開催されました。 自分の目で見て評価をする、パリの一流の仕事人は作品を一目見て、偉大さを確信し、個展を成功に導いたのです。

「プレス・リリースには『ヒラタ・アキオ氏は、他の芸術家たちが絵画や彫刻に人生をささげるように、自らの人生を帽子の創作に奉げた。氏の手によって、もっとも上品で、洗練された素材は、大胆な、独創的な、あるいは軽やかなフォルムに生まれ変わる。。。。。』個展は思いがけない反響を呼び、モード界の重鎮、エディターなどそうそうたる顔ぶれが約400人。口々に「メートル(巨匠)と称え、フィガロ紙も“メートルに脱帽”の見出しで、偉大なるモディスとと報じた。」 作品の一部は、ルーヴルをはじめ3つの美術館が永久保存のため保存  (平田暁夫の帽子 83ページ) 


この二十数年を私もヨーロッパ各地で仕事をさせていただきました。私達にとって、理想の味わいのワインは、「やわらかなテクスチュア、心地よく美しい果実味、高貴で繊細かつ魅力的な味わい、時とともに妖艶なまでに表情を変える充実した酒質の高さ――味わいの奥に、風土、造り手のぶれない生き方、考え方、深さが感じられるワイン」です。そのようなワインを造る素晴らしい造り手と同時代を生き、ともに仕事ができる幸せをいつも感謝しています。造り手でない、私達インポーターは、何ができるか、それは、素晴らしい造り手を見出し、最上のコンディションで日本に輸送し、言葉を添えて届け、そのワインを日本のマーケットで育てていくことと思います。


「技術に裏打ちされた、夢のある帽子の世界を堪能できる 『ヒラタノボウシ』」(草野恵子)とは、言いえて妙な表現です。 本当にAkio Hirataの帽子は、夢のある世界を楽しませてくれます。 私達も、「確かな感性で選び抜かれた、ユニークで味わい深い ワインの世界を堪能できる「ラシーヌノワイン」と言っていただける ように、目標を高く前進し、造り手とともにヨーロッパと日本の間を つなぐ幸せな仕事を一歩一歩進んでいきたいと思います。

合田 泰子

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