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2011.7 合田泰子
《合田泰子のワイン便り》
ヴィネクスポ期間における、ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオンにて
(6月20日グラン・テアートルにて)
真っ白なパンツに銀色のスパンコールで刺繍された白いTシャツ、美しい髪を銀色のバレッタでまとめたマダムは、背筋がのびた美しいお姿でした。 ラルー・ビーズ・ルロワに注いでいただいた、2008年は、「自然派を高みにまで表現した世界」を神々しいまでに湛え、ともすれば、揺らぎがちな私のワイン感を、「しっかり見なさい」と厳しく原点に立ち返らせてくれました。マダム、こんなにもたくさんのワインをテイスティングさせていただき、本当にありがとうございました。どうぞ、お元気で、いつまでも素晴らしいワインをお造りください。
ギリシャ出張報告記 2
前回に続き、ギリシャ出張について、お話したいと思います。
ギリシャで出会った郷土料理
今回の旅程は、アテネ1泊、クレタ島2泊、サントリーニ島2泊、ナウッサ2泊、ケファロニア島2泊、ペロポネソス半島2泊 でした。各地の豊かな郷土料理に出会うことができ、思い出深い旅行でした。その一端をお話ししたいと思います。
1)アテネ 4月19日
レストラン・ゲフシス
レストラン:GEFSIS
address: 317 Kifisias str 14561 KIFISIA Phone 302108001402
アテネ郊外の高級住宅地、キフィシアの一角にあるレストラン。オーナーは、アルゼンチンでワイナリーを経営しています。アテネの有名レストランは、インターナショナルなテイストの店が多いですが、ゲフシスは古典的なギリシャ料理が楽しめる、ワインリストも充実したお店でした。
メニュー
キャベツの甘酸っぱいサラダ:塩もみしたキャベツとミント、生の黄色
ズッキーニのスライス、薄切りの熟したトマトと焼いたひしこいわしの
4段重ねサラダ、ケッパー風味ドレッシング、焼いたイカの細切、
パセリ、ミント、バジリコ、オリーヴオイルあえ、サントリーニ島産の
ファーヴァ(小さい豆)、たまねぎとパセリのみじん切り、
オリーヴオイルあえ、ヤギのチーズの蒸し焼き、チーズ入りパイ、
2)クレタ島 4月20日、21日日
クレタ島は、ギリシャの中でも美食の島、長寿の島と言われています。
薬草の煮込みや、山羊のチーズを使ったお料理が有名です。はちみつ、
ドライフルーツ、山羊や羊などのチーズ、オリーヴオイルが特産品ですが、味わったことのないような豊かなフレーヴァーは「素晴らしい」の一言です。各地でチーズ作りが盛んなギリシャでも、クレタ島のチーズは格別らしく、アテネに持っていったら、もうその風味は失せてしまうのだそうです。昔から交易が盛んで、18世紀ごろは100,000バレルのワイン、香味野菜をヴェニスに輸出していたそうです。干しブドウの話ですが、クレタ島では干ブドウ用のブドウすらピエ・フランコでした。小粒で味深いのですが、国際市場での価格競争に勝てず、EUの指導でオリーヴに植え替えさせられました。が、今ではオリーヴも同じ運命をたどっています。
ブドウ畑の標高は高く、造り手のマダムは、車の中にいつもはさみとサックを用意していて、薬草や食べられる野草があると車を降りて摘んで料理に使っています。フェンネル、オレガノと、花がいっぱいです。でも、普段なら気温は25度くらいあって、一年で最も心地よく華やかな季節らしいですが、今年は寒く、花が遅いそうです。ブドウ畑の脇にボラーチャという青い可憐な花が咲きみだれていました。この花は化粧オイルに使われ、大変高価な薬草であるとか。アイスクリームの風味づけにも使われます。風力発電、ソーラー発電が盛んで、畑のまわりにも発電設備がたくさん見られました。
クレタ島では、カタツムリをよく食べます。畑にもどこにもいっぱいいて、
日本でしったかやツブ貝をつついて食べるように黙々と、手がベトベトするのも気にせず、山盛り食べます。カタツムリの目が気になって、2、3個だけ食べてやめましたが、とてもおいしかったです。大きなカタツムリは、ヴィネガー、ローズマリー、玉ねぎ、オリーヴオイルで煮込み、小さなものはじゃがいも、ミント、ズッキーニといっしょに軽く白ワインで蒸し炒め。フランスのエスカルゴバターで料理されたものよりも、ずっと風味がよく、あっさりとしていくらでも食べられそうでした。
昼は、ドメーヌ・エコノムにて家庭料理をいただきました
パイのフライ、米のブドウの葉つつみ(復活祭の料理)、
シティアのクシガルというチーズ、アーティチョークの芽、
アボガド、くるみのサラダ、牛肉のミートボール・ミントの葉添え、羊の炭焼き
夜は、シティアのタベルナ、バルコンヌへ。とびきり陽気で元気なトーニャおばさんが、シティア名物をとびっきりのホスピタリティで次々と運んでくるから、旅の疲れも忘れます。
Taverna Balcony address: Fondalidou Str. 19 Sitia Crete 72300 Greece
Phone 302843025084 tonya@balcony-restaurant.com
メニュー
ウモス 乾燥豆のペースト
クレタ風ウギャ 春の野草とヤギのチーズを詰めたパリパリのパイ
ダゴス 乾パンと潰したトマト、オレガノ、クリタモスという岩にはえる海藻のサラダ、ウサギのロースト、小ヤギの炭焼き、デザートはハチミツたっぷりのパイ
3)サントリーニ島 4月22日、23日、
船でクレタ島からサントリーニ島へ。青い海、火山の隆起と陥没でできた美しさと、厳しさがある独特の地形です。樹齢200年を超えるアシリティコ・ブドウを見に、畑を歩きました。海に囲まれた美しい場所は、世界中どこの国にもあり、乱雑な開発さえなければ、どこもそれぞれ美しいと思いますが、サントリーニ島の美しさは特別でした。「起源前1640年ごろに噴火した火山が形成する景色は、めずらしい景観をなし、時にいかめしく、壮麗で、また時には驚くほど物悲しさがきざまれている」とフランソワ・モレルの紀行記にありますが、世界中に知られている青い空に浮かぶ白い家が海岸から崖に沿って広がる風景はサントリーニ島の美しさの僅かな部分に過ぎません。
サントリーニ島は野菜が本当に美味しく、中でも、Taverna SARAKIのお料理は、みずみずしく、輝くような一皿、一皿でした。きめ細やかなテクスチュアの生のズッキーニのサラダ、エンドウ豆と野生のネギのサラダ、味の深い乾燥白インゲン豆のサラダ、魚介の蒸し煮、味付けも最高、タベルナの料理が本当に素晴らしいです。
4月23日は復活祭です。島の中央にあるギリシャ聖教の教会で、真夜中の復活祭に行きました。司祭様の祝福を頂いて、ろうそくに灯火をもらって帰る信者たちで賑わっていました。
ミサのあと復活祭の食べ物:
レタス,玉ねぎ、ディル、セロリ、羊トリップ、レバー、卵、
レモン、オリーヴオイルのスープ、外は震えあがるほど寒いので
温まります。
サントリーニ島を、昼前のフライトでアテネ経由マケドニアへ。空港にハリディモス・ハジダキスが見送りに来てくれました。ハリディモスはクレタ出身で、アテネで醸造を学び、大企業のブターリのサントリーニ島のカーヴで働いてきました。アシリティコ・ブドウの虜になり、1998年にサントリーニで自分のワインを作ることに決めました。ワイン造りは年を追うごとに、伝統法に向けてさらなる進化をしています。2008年から一本ずつ手詰めでビン詰めすることに決めて、最近、ビン詰め道具で左手を大怪我しました。あの怪我をした手で醸造をするのはどれほど大変なことでしょうか。ハリディモスは、私達がどのワインに関心を示すか嬉しそうに見ていた時は優しい目に見えましたが、ずっと長く、共に仕事をする人たちはさぞかし大変だと思われます。それでも辛い仕事を彼と共に続けられるのは、彼しかできないワイン造りによって、ギリシャ最上のワインがここで造られていると信じているからでしょう。そうでなければ、きっと皆、すぐに逃げ出すことでしょう。
4) ナウッサ 4月24日、25日
マケドニア国境のTessalonia空港に夕方6時過ぎに着き、アレクサンダー大王の都市ナウッサまで150km。ここに古くから上質ワインの産地として流通していたナウッサのブドウ畑があります。アレクサンダー大王の父フィリッポスI世と王子のお墓そのものが、博物館になっています。
ナウッサでは、山間の料理は、ヤギや羊の料理ばかりで、クレタ島やサントリーニ島ほどの驚きはないと思っていました。実際、4月24日の夜、25日一日いただいたものは、どれも美味しかったのですが、特別ではありませんでした。25日の昼食、ワイナリーでのテイスティングの際、ギリシャ北部の奥深い食文化に出会いました。造り手のお母さんが用意してくれた料理でFlorinan産の赤ピーマン、AOC認定されている辛くないピーマン。甘くて果汁がねっとりして、こんなに風味の深いピーマンは初めてです。ブドウ畑のわきでとれる数々の野菜、ブドウ畑に放した羊、その羊のチーズ。濃厚なヨーグルトで作られたザジキ(キュウリ入りのディップ)、驚くべきフレーヴァーです。
5)ケファロニア島 4月26日、27日
午後四時のフライトでアテネ経由ケファロニーへ、夜9時に真っ暗な中、空港に着きました。雲の中を小型機は揺れに揺れました。風強く、迎えに来てくれたスクラーヴォス夫婦は、昨日までいい天気だったのに、残念ね、と言いながら海の上に張り出したタベルナで遅い食事をご馳走してくれました。あさりの蒸し炒めを食べて、濃厚な強い味にびっくり。シャミセンガイもヴェネツィアのものと全く違った味。牡蠣、生の赤貝の盛り合わせ。スクラーヴォスのちょっと塩みのきいた、たっぷりとした味わいの白ワインとよく合います。バラスというカサゴのような魚とエビの炭焼き、熟れたレモンがよくあいます。 そして、言葉失うほど素晴らしい羊のヨーグルトのオレンジ添え。
翌朝は、雑草をかき分けて点在する畑をまわりました。フィロキセラのいなかったこの島にも15年前から被害が襲って来ています。彼も、いつまで自根で栽培できるか、来ないことを祈るしかないと言っています。16世紀に遡る母方の家は、この島の貴族で、1953年の大地震にも耐えたお屋敷は、1980年の大地震でとうとう倒壊したということです。彼の兄も生まれたという建物は、今では廃墟のようになっています。先祖からの倒壊したチャペルは、1954年にお婆さんがイオニア式の建物を再建して、今も一族のプライヴェートな儀式に使われています。ブラヴィスも、ここで結婚式をあげました。ケファロニーにはヤギがたくさんいて、しょっちゅう道をふさがれます。家や畑は、ヤギよけの囲いがされていて、方言でヤギのようにする( katara) ということは「面倒をおこす」 という意味に使われます。翌朝は、知り合いに頼まれて栽培している畑へ。海に面した美しい名所の一角。立派なヴィッラの崖に四段のテラス式で畑が作られています。ケファロニーでは昔からアメリカに移住が盛んで、ここの持ち主のSpyros Zissimatosもニューヨークで財をなしてヴィッラを建てたということです。彼はブラヴィスのワインが好きで、ワイナリーに投資しています。ニューヨークでの仕事の一つはビオの食材の輸入商。そういえばナウッサでも「アメリカにはギリシャの移民が多くギリシャレストランがたくさんある。高級店にはお金持ちが行くので、高いワインが売れる。生産量の半分をアメリカで売っている」と聞きました。ブラヴィスのワインは素晴らしいけれど自然派のスタイルだから、まだニューヨークに売れていないようです。
セラーで2010のテイスティングをして、ブラヴィスの実家で昼食をご馳走になりました。お父さんが昔エチオピアで仕事をしていたから、エチオピア料理が一皿出てきました。お米を添えてカレーライスみたいにして食べていました。クミンは入っていないけれど、スパイシーでおいしい。お母さんが庭の鶏の卵と野生アスパラガスで巨大な
オムレツを焼いてくださいました。
豚肉をマヴロダフィネワインに一日マリネしてロースト、そら豆とタマネギ、フィノッキオの蒸し炒め、カルチョフィのお米詰め。 ところが、時間が迫って大慌てで港へ。対岸に渡って、もう一つ山の上のロッボラブドウ畑にいって、東側の港へ。5時の出航、8時に船はペロポネソスのパトラスへ。
6)ペロポネソス半島 4月28日、29日
朝はコリント湾を見下ろす標高1000mの畑へ。ワインは最上ではないけれど、経済生産性とバランスぎりぎりでワインを造っています。みんなが、ヴァン・ナチュールを好むわけでもないし、アメリカのギリシャレストラン
が買うでしょうし、カリテ・プリの視点からいいワインでした。景観は絶景、アテネから2時間ほどの場所とは思えない美しい風景。ペロポネソス半島は、ギリシャ全土で最もブドウ栽培がさかんで、羊、ヤギのチーズ、ヨーグルトはギリシャで最も高い評価らしい。AOC 認定の産物で、実際食べてみたら、味わいが繊細で上品。近くのカラヴリタという村は戦争、オスマン・トルコとの戦い、第二次大戦中のドイツ軍占領下でのパルチザン活動家たちを支援した村全体の教会での虐殺など、美しい風景の影に厳しい歴史があります。1200年代からといわれる立派な修道院で薔薇のジャムが作られていました。
29日午後、最後の訪問地、パルパルーシスのワイナリーへ
パルパルーシスはケファロニー出身。大歓迎してくださって恐縮しました。大歓迎の理由が、日本に住む幼友達N・Zさんから、ラシーヌのことを聞いていたから。N・Zさんとは、大使館のパーティーでお目にかかり、オフィスに遊びに来ていただき、四谷名物の八竹のお寿司と、ギリシャワインを楽しんだことがありました。 パルパルーシスは、コロニーのような風情のゆったりとした敷地にブドウ畑があって、クジャクがたくさん放たれていました。ペロポネソス半島は、入江がいくつもあり、ラムサール条約の保護地の森に囲まれた広大な干潟があります。大都会アテネに近いこともあり、都会的なリゾート地です。コリントス湾にかかる吊り橋は、当初ギリシャの建築家でコンペしたのですが、優優れた作品がなく、結局は海外から募集しフランスの建設会社が作りました。ミヨの渓谷にかかる橋(題名のない音楽会の出光石油の広告に出てくる橋) と同じデザインに見えました。経費節減のためライトアップはしていません。近年も大きな地震があり、地層がプレートの上にあり、
また地盤沈下もあり、難しい建築だったということです。竣工式は盛大に祝われ、パルパルーシスのワインがセレモニーを飾ったとか。この地方の最も有名な特産品は、コリントス湾の美食、ボラの卵。ギリシャのキャビアと呼ばれています。しっとりとして、後味の余韻が長く、ゴージャスな味わいでした。ズッキーニと葉タマネギの細かく刻んだコロッケやカラヴリタ修道院の薔薇のジャム添えヨーグルトも忘れられない味です。
4月30日、朝6:50 に民宿を出て、ペロポネソスから車で150km アテネ空港へ。10日間の旅は終わり。
30日の朝6:50 に民宿を出て、ペロポネソスから車で150km アテネ空港へ。10日間の旅は終わりました。
あいにく天候には恵まれませんでしたが、各地の風土に深く根ざした食文化とフランス、イタリアのワイン造りの源流に出会うことができました。アメリカのように、ギリシャの移民が多く住んでいるわけでもない日本では、ギリシャワインが愛されるのは容易ではありませんが、全身全霊をかたむけて造られるワインを一人でもたくさんに知っていただけるよう、伝えていきたいと思います。
合田 泰子