『ラシーヌ便り』no. 57

2010.05.27  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》

 さまざまな世界的な要因で、為替が激しく変動しています。ユーロ安=円高は、輸入業にとっては悪い要因ではありませんが、経済全体のバランスと、市場の活気を考えると手放しで喜ぶことはできません。世界の経済をリードする様々な企業家たちが「良心と智恵」で、経済活動を展開してくれることを願わずにおれません。

 さて今春は、例年どおり、ヴィニタリーに行ったあと、ブルゴーニュとシャンパーニュを訪ねました。ブルゴーニュでの目的は、ダヴィッド・クロワとカミーユ・ジルー(ともに2008)が、ボトリングされた後の状態を確認するためです。シャンパーニュへは、3年越しでテイスティングを続けてきました新たな3人の造り手が、どのようにシャンパーニュを仕上げたかを確認するためです。わずかずつではありますが、今秋にはブルゴーニュワインとシャンパーニュの未来を担うと確信しているワインが入荷しますので、ご期待ください。

1) 私とワイン(その1。食いしんぼうな料理好き、転じて…)
  先日、ある方から、「以前この便りで予告されていた『私とワイン』は、どうなっていますか?」と問いただされました。忘れていたわけではないのですが、いざ書き始めようとすると、何から書き始めるかと思い悩むばかりで、なかなか先に進みません。でも、思い切って、「初めて飲んだワインは?」「いつから本格的にワインを飲むようになったか?」というあたりから、始めてみたいと思います。

 初めてワインを飲んだのは、5歳のクリスマス。父がお歳暮にいただいた貴腐ワイン(その名を挙げるのは自慢めくのでためらうのですが、じつはシャトー・イケム)でした。父のお供で子供時代から関西の料理屋さんなどに出入りしていたため、おのずと食べることや美味しいものに深い関心が生まれたようです。家にあった雑誌「ミセス」「暮らしの手帖」は、おませにも小学生時代から私の愛読書でした。当時「ミセス」に連載されていた朝吹登美子さんのエッセーに触れては、「フランス」への憧れを大きく膨らませていました。白と淡いピンクの「ラナン・キュラス」の生け花の写真にうっとりとみとれ、今も切り抜きを大切に持っています。「ラナン・キュラス」を日本の花屋さんで見かけるようになるのは、それから十数年たってからです。紹介されていたホルトハウス房子さんの食生活は、私にとっては遥かな夢のよう。いつか私も、こんなキッチンを持ちたいと願い、長じてから台所道具集めに熱を入れていました。

 さて、ワインを日常的に飲むようになったのは、大学時代から。勉強よりは料理や菓子づくりに興味があったほうで、神戸で習っていた中華料理の教室には、マテウス・ロゼを買って、試食の時に楽しんでいました。

 卒業後は東京で忙しく翻訳のコーディネーターをしていましたが、商社勤めをするようになってからは、職場の女子会で仲良しとよく食事に行きました。当時一ツ橋にあった、《ラ・コロンバ》で飲んだラドゥセットのプイィ・フュメ、レイモン・オリヴェの来日ディナーで飲んだJ.モローのシャブリ、近くのスーパーで買ってきた山梨の一升瓶ワインなど、かすかに銘柄の記憶が残っています。ワインの銘柄を読み解くことなど、迷路の入り口に呆然と立っているようなもの。懐との相談づくで、当てもなく飲んでいました。

 結婚してからは知り合いを通じて、神戸の酒屋さんからお任せで6本、12本とワインを送っていただくようになりました。ワインがお目当てというよりも、あくまでも食事を楽しむためにワインが欠かせなかったのです。もちろん予算は限られていましたが、「今日はワインをあけよう」と張り切っては、様々な料理づくりにチャレンジしていました。

 フランスへの憧れが嵩じ、夫の勧めもあって、32歳(1987年)でボルドーに1年近く住むことになります。当時4歳と1歳半の幼児連れのフランス暮らしというわけで、不安と隣り合わせの無謀な滞在でした。滞在許可を得るための方便として、ボルドー大学のデギュスタシオン・コースを受講したのですが、いつしかワインの魅力にとりつかれていました。勉学(?)のかたわら、毎日、市場に通っては季節を感じ、ヒュー・ジョンソンの『ポケット・ワイン・ブック』を片手にワイン専門店に通いました。ボルドーの五大シャトーには手が出しにくくても、飲み頃を迎えた1960,70年代のオー・メドックを、さいわい安く買うことができました。ワインショップのおすすめを聞いて、古いワインを味わうことができたのは、貴重な思い出です。

 帰国後、(有)八田商店でワインの仕入れを担当することになりました。が、生来のワイン好きなのになぜか、しょっちゅうひどい頭痛や二日酔いに悩まされていました。商品開発のために甘口ワインの生産地やシャブリを訪れると、必ず翌日には肩がこり、体全体が重かったことが思い出されます。お腹の調子が悪くなり、苦い思い出がたくさんあります。

 今から考えれば、仕事とはいえ日に味わうワインの量も多く、結果的にSO2たっぷりのワインを摂取していたのですから、体調が悪くなるのは当たり前ですね。それに比べて、今取引いただいているワインのテイスティングは、体がとても楽です。当時と比べて年を重ねて体力が落ちても、疲労感が全く違います。このようにして、はからずも私のワイン人生が始まりました。

 また機会がありましたら、続きを書きたいと思います。

2)広島試飲会
  先日、広島で初めて弊社主催の試飲会を開きました。昼はプロフェッショナル向け、夜は一般消費者の方々向けの催しでした。各地にまいりますと、扱っているワインと大切に長年おつきあいいただいている方々の話をうかがうことができ、本当に感激します。ここ広島では、マルク・アンジェリの「ロゼ・ダンジュール」をお好きな方が、ヨット・クラブの名前をロンサールの「オード・ア・カッサンドル」にちなんで「カッサンドル」と名づけておられました。ご参加いただきました方々に、心よりお礼申し上げます。

 今月も、重要なワインが続々と入荷しています。数の限られたものもたくさんありますし、全体に動きが早くなっておりますので、リストの隅々までチェックされるようお勧めし、お願いもうしあげます。これから暑い季節に向かいますが、どうぞお元気でお過ごしください。

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