『ラシーヌ便り』no. 56

2010.04.27  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》

 4月3日からイタリアに発ち、22日に帰国しました。アイスランドでの火山爆発による空路の欠航に伴い、世界中がパニックに陥りました。たくさんの方々からご心配いただき、ありがとうございました。おかげさまで、もともと予定していたとおり、パリからの再開第一便で帰国することができました。出張期間中、ポーランドの大統領機の墜落、イタリア北部での脱線事故、オーストリアでの長距離バスの事故、中国・青海省に起こった大地震など、痛ましいニュースを耳にするたびに、他人ごとでないと緊張が走ります。何かの理由で、行動予定に支障が生じたばあいには、とどまる時と受け止め、冷静に行動することの大切さをあらためて感じたしだいです。

 ヴィニタリーの後、フランスにまいりましたが、SNCFの全国規模のストライキのため、空路だけでなく鉄道も止まってしまい、フランス国内の交通まで麻痺していました。シャンパーニュのサロンの会場では、国外から参加できない重要な予定来場者が多く、「海を泳いでやってきたの?」と大変歓迎していただきました。 ヨーロッパも今年の春は、いつまでも寒く、暖かなコートが手放せませんでしたが、空は明るく、暖かな陽ざしが感じられ、ブドウ畑を囲む、桜、桃、サンジェルマンデプレのマロニエの樹が花盛りでした。レストランのメニューも、野生のアスパラガス、野草、春の香りがあふれていました。

 そのように多事多難な出張でしたが、目の覚めるようなワインに出会い、叡智にあふれる造り手とじっくり語り合うことができました。ワイン界で常に刺戟を得るという僥倖だけでなく、まぎれもない天才たちと同時代を生き、同じ空気を吸っているという幸せを、しみじみと実感しているこの頃です。

偶感:好きなことどもと、父のこと
  帰国後の4月24、25日の週末は、久しぶりにゆっくりと自宅で過ごしました。筍が食べたい一心で、胃の疲れも忘れて料理し、日本の春の香りを堪能しました。台所に立っていると、ふと何年も昔の台所にたっている自分にタイムスリップしたかのように感じました。辛いこと、情けないことがあると、よく夜中に肉まんの種を作ったり、ちょっと難しいお菓子を作ったりした台所は、いつも私の気持ちを切り替えてくれる空間でした。記憶の遠く奥に、静かに存在している感覚が、懐かしい香りや幼いころ好きだったお菓子などが鍵となって蘇ってくることは知られていますが、まさしくそのような一瞬でした。

水さし

  ふと身の回りにある細かなものを目にすると、「なぜ、このようなものに囲まれているのかしら」と、思い返す。いつも使っている小箱、ガラスの小物入れ、小さなレースの敷物やカーテン、台所にあるたくさんの雑貨――そのような好きなものの中で暮らしている、安堵感。味わいや音の好み、白い花、身の回りのこまごまとしたもの、器、壁をかざるもの、決して高価なものではない私の好きなもの、それらすべてが、ラシーヌのワインの基盤の一部を形づくり、私らしさそのものでしょう。

 「私は、なぜ今この音が好きで、この味わいを好み、この小さなものが好きなのかしら?」と思ったとき、自然に父の顔が浮かんできました。私が一番好きな写真の40歳ころの父の顔です。父は、戦前から戦後にかけて建築会社に勤めていました。何代か前の父の家は、石材の仕事をしていたそうですが、小さい頃から絵を描くことが好きで、宮大工になりたいと思っていたと聞いています。大手の建築会社に入り、橋の建設など現場の仕事をしていましたが、大きな発展を約束されていた会社を辞め、食器ガラス製作の世界に入りました。昭和30年代ごろに父が作った器類は、今でも古さを感じさせない機能美を感じさせます。ヨーロッパのガラス工芸にあこがれて作った小さな飾り物、アクセサリーの感覚の美しさを通し、父の繊細な息遣いが伝わってきます。父は、仕事では苦労の連続でした。今の時代なら間違いなくヒットしたであろう数々のガラスは、時代が早すぎたのでしょう、ビジネスとしては行き詰まりました。あげく父は、金策に追われ、いつも胃潰瘍の痛みをこらえ、仕事で走り回っており、家族は蚊帳の外に置かれていました。家業の倒産など困難な時期を余儀なくされた20代の私は、父のたどった悲惨な運命に同情することはあっても、ついぞ暖かく感謝することはありませんでした。

 しかしながら、思い返せば父は大阪の黒門市場、法善寺横町界隈、北新地、淀屋橋のレストラン、京都の花見小路の小さなお店に連れて行ってくれ、小さな頃から美味しいものをたくさん教えてくれました。クリスマスには、心斎橋の「バンビ」か「桃太郎」で服をそろえてくれました。「和光」と「高島屋美術クラブ」は、父のお気に入りの散歩道で、そこが父にとってのヨーロッパの感覚の世界への扉でした。成人のお祝いに買ってもらった、ジョージ・ジェンセンのブドウのブローチ、奇しくもワインの世界に入った私は、365日、ペンダントヘッドにして身につけてきました。お気に入りの、心斎橋の虎屋で求めたベレー帽がよく似合っていました。ヨーロッパの地を一度も訪れることのなかった父に、私はベレー帽を買ってくることしかできないうちに、父は亡くなりました。オリーヴオイルをかけたトマトサラダが大好きでした。プリンと、堂島グランドホテルのブリオシュ、ホットケーキ、シュークリーム、厚めに切ったトーストには凍ったバターを厚く切って、イチゴジャムをたっぷりのせて食べるのが好きでした。晩酌は黒松剣菱に母の作った「もろこの佃煮」、典型的な関西人のお酒の好みでした。お酒をいただいたあとの、薄味の細いおうどん。今元気だったら、私がたくさん好きなものを作ってあげるのに、今なら父が知らなかったおいしいものを作ってあげられたのに、本当に優しくない娘で、ありがとうを言えなくて、申し訳なく、胸がいっぱいになります。

 私の好きなものの中に今も生きている父の姿を感じたことを手がかりに、父が喜んでくれることを新しく仕事の一つにしていきたいと思った休日でした。

 今年の春の出張も、盛りだくさんでした。ラシーヌでは今、ホームページを新しく作成しています。担当の西 美雪が今までの古いシステムで奮闘して作ってまいりましたが、ミシェル・トルメールさんデザインで、7月には新しいホームページがお目見えします。遊び心たっぷりの、明るいホームページです。出張のご報告は、来月のお便りで報告させていただきます。

合田 泰子

▲ページのトップへ

トップ > ライブラリー > 合田泰子のラシーヌ便りno 57