『ラシーヌ便り』no. 53

2010.01.26  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》
 2010年、ラシーヌのブルゴーニュワインは、ダヴィッド・クロワとともに再出発します。

 グランジュール・ド・ブルゴーニュでの出会い

 2008年3月のこと、久しぶりにグランジュール・ド・ブルゴーニュに参りました。会場のテイスティング・コンディションが決して十全でないことは承知していましたが、今日のブルゴーニュの全体像をつかみ直すために、出品されるブルゴーニュワインをできるだけ多く味わおうと、連日各村で催される試飲会に出かけました。その際、最も印象に残ったのが、《メゾン・カミーユ・ジルー》のジュヴレ・シャンベルタン2006。その場ではメゾンの他のキュヴェをテイスティングできなかったので、是非セラーを訪ねて全容を知りたいと思いました。そこで何回か訪問を試みましたが、なかなか実現いたしませんでした。

 ダヴィッド・クロワ《ドメーヌ・デ・クロワ》の鮮烈な印象

 昨年、縁あって《ドメーヌ・デ・クロワ》(2005年創立)と取引が始まりました。当主は、35歳の若きダヴィッド・クロワ。すでにして、名醸造家との評価を、欧米で欲しいままにしています。むろん畑は有機栽培で、木製の発酵開放槽を用いて、優雅で美しいピノ・ノワールを世に送り出しています。
 そのテクスチュアーは、繊細にして伸びやか。口に含んで喉の奥に流れる時に、一瞬はっと時間が止まるような思いがします。温かさを感じる古典的なニュアンスと洗練されたバランスを備えていて、久しぶりにブルゴーニュならではの高貴な味わいに浸れることができました。
 《ドメーヌ・デ・クロワ》の自社畑は5haほどありますが、そのうち2ha分のブドウは、ネゴシアンに売られていますから、クロワの実質的な生産量は2万本弱という小さなドメーヌです。が、昨年入荷した2007年(おかげさまで完売しました)は、若くしてすでにこのような深い印象が残るのですから、偉大なブルゴーニュワインのドメーヌに育っていくことは間違いありません。

<ダヴィット・クロワ>

 カミーユ・ジルー結縁

 1865年創立という古い歴史があるネゴシアンの《カミーユ・ジルー》は、コート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌにまたがる、優れたテロワールにて産するブドウから、様々なアペラシオンのワインを造りだしています。《ドメーヌ・デ・クロワ》からもブドウを買い求めていますが、年間生産量は計4万本にとどまり、ネゴシアンとしては小規模なメゾンといえます。写真のように、古典的なワインが生まれるのに申し分ない環境のセラーです。

 じつは2001年から抜擢されて《カミーユ・ジルー》のワインを造っているのが、ダヴィッド・クロワだったのです。《ドメーヌ・デ・クロワ》と仕事を始めたことが機縁となって、ラシーヌは同じダヴィッド・クロワが関わっている《カミーユ・ジルー》との取引が、昨年暮れに確定しました。

 このたび、1970年代から2007年まで、《カミーユ・ジルー》の17種類のワインが入荷いたしました。蔵出しの古いブルゴーニュワインは、今となっては希少な存在です。ブルゴーニュの歴史をさかのぼる貴重なワインと、ダヴィッド・クロワが造る未来に続くブルゴーニュの伝統を体現する《カミーユ・ジルー》のワインを皆様とともに日本のマーケットで大切に育ててまいりたいと思います。どうぞご支援をよろしくお願い申し上げます。


カミーユ・ジルーについて
by
ベッキー・ワッサーマン

 カミーユ・ジルー社は1865年に設立されました。祖先はユグノー教徒の迫害期にスイスに移住していましたが、カミーユ・ジルーはフランスに戻り、ブルゴーニュで大土地所有者の女性と結婚しました。現在の居住地に居を構えたのは、1890年代後半のことです。

 私たちは1988年にジルー家の人々と初めて出会い、古いヴィンテッジのワインが数多くセラーに眠っているのに驚嘆しました。 ジルーは10年から15年の熟成を要する「長期熟成型の赤ワイン」を専門にしている、最後の世代に属する小さなネゴシアンです。たとえば、明らかにマロラクティック醗酵を経ていないプイィ・フュイッセ1959年や、深い色調をおびて未だに力強さを秘めるコルトン1947年などの、素晴らしい珍品を抱えていたのでした。私たちは由緒あるカミーユ家の後継者であるLucien Giroud(リュシアン・ジルー)氏と出会いました。氏は、長期熟成のためにタンニンが重要である所以を力説していました。

 リュアンが亡くなった後、2人のジルー兄弟が経営を引き継ぎました。彼らは過去と絶縁して新たな道を選ぶ決意をし、自ら醸造するためにセラーを設立しました。仕上がったワインを購入するという伝統を受け継ぎながら、彼らは購入したブドウでもって自ら醸造を始めたのです。ジルー家にとって1990年代は、実験と発見の年でした。しかし、残念ながらジルーはこのビジネスに必要な資金に事欠いたため、2002年にJoe Wender(ジョー・ウエンダー)氏とAnn Colgin(アン・コルギン)氏が率いる、アメリカ人のグループに売却されました。

 現在、ここで専属のワインメーカーを務めている人物は、ダヴィッド・クロワです。 ダヴィッドを強力に推薦したのは、ドメーヌ・クロ・デ・ゼプノーのBenjamin Leroux(バンジャマン・ルルー)氏です。カミーユ・ジルーというメゾンの何よりの魅力は、3世代にわたるブルゴーニュにおける栽培の歴史が、生き続けていることです。

 1942年から1989年にわたってメゾンを率いてきたリュシアンは、ブルゴーニュワインは必要な期間の熟成を要すると信じていました。彼は〈ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエクリュ〉のような力強いアペラシオンを好み、1976年や1988年のようなヴィンテッジを心から愛していました。リュシアンのワインは、彼の時代を表現しています。

 ジルー兄弟は90年代に拡がったあらゆる醸造方法を試み、白ワイン同様赤ワインもバトナージュを施したりしました。が、その一方で、《ジルースタイル》に対して敬意が払われ続けました。

 ダヴィッド・クロワは彼の世代、つまりは現代の典型ともいえる人物です。すなわち、彼は〈ハウス・スタイル〉よりも持ち前のテロワールを尊重するだけでなく、アペラシオンの特徴と、各ヴィンテッジから自ずと生まれる特徴をも、直感的に感じとる才能があります。

 カミーユ・ジルーはワイン・ジャーナリズムからの評価もきわめて高く、重要なワイン専門誌2誌からも高く評価されています。たとえば、カミーユ・ジルーの赤ワインは、“Wine Spectator”誌では《推薦ブルゴーニュワイン》として2002年と2003年の両ヴィンテッジが選ばれ、“Decanter Magazine”誌においては、2003ヴィンテッジが《特選赤ワイン30本》に選ばれました。

 のみならずダヴィッドは、“Burghound.com”のAllen Meadows(アレン・ミドウズ)、“Burgundy-Report.com”の Bill Nanson(ビル・ナンソン)の両氏から大変高い評価を受けました。また、Clive Coates(クライヴ・コーツ)氏からは、「ここに26歳の若き天才デヴィッド・クロワあり」 という讃辞を引き出したのです。

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