『ラシーヌ便り』no. 45

2009.04.24  合田泰子

《合田泰子のワイン便り》

  シャンパーニュからブルゴーニュへの旅 ( 記・4月19日)

 今年に入ってから4度目のフランスです。久しぶりにメニル・シェール・オジェを訪ねました。気温は20度を超え、フランスも初夏の陽気です。ブドウ畑の間の菜の花、咲き乱れるリラ、日本とは違った風情を見せる藤の花、麦畑は緑を放ち、車窓の眺めも光に溢れています。

 この気温ですから、昼間のデゴルジュマン作業は厄介です。ビンが温まると、気圧が上がり、デゴルジュマンの際、泡がふき上がるのです。世界的不況で、シャンパーニュのマーケットは冷えこんでいますが、シャンパーニュ地方には輝く未来がすぐそこにきているように思います。真の天才アンセルム・セロスに啓発され、見事なシャンパーニュを造り出す志の高い造り手のネットワークの輪が、水面の輪のように広がっているのです。

 モンターニュ・ド・ランス、ヴァレド・マルヌ、コート・ド・ブラン、アヴィーズ、メニル・シェール・オジェの各村、格付けに関係なく、それぞれのクリュの味わいは、優れた表現者を得て、至純な味わいが現れています。「テロワール」という言葉が、今ほど真実味を帯びてシャンパーニュの味わいに出ていることは、これまでになかったのではないでしょうか。個性を備え、限りないクオリティを実現しようとする姿には心打たれます。伝統とアペラシオンとしての最高のプレステージに君臨するシャンパーニュ地方にあって、(容易に売れることに安住せず)それも、若い次世代だけでなく、年齢の高い造り手たちの間にも、強い意志を感じます。造り手どおしの互いに研鑽しあう地平の広がりが、この大きな流れを動かしているのでしょう。

 イタリアにおいてテオバルド・カッペッラーノが力を尽くしたヴィニ・ヴェーリは、全国規模の集まりで、様々な考えが交じり合う混沌とした集団ですが、シャンパーニュは大変和やかな印象を受けます。このようなムーヴメントがブルゴーニュにも起きてほしいと願うのは、私だけでないでしょう。官能的な味わいで、幸に満たしてくれるブルゴーニュワインを求め、旅は続きます。

4月 ヴィニタリー
  恒例のヴィニタリーの前にフリウーリ=ヴェネツィア・ジュリアを訪ねました。造り手に一年ぶりに会うと、一年間分の伝えたかったことが溢れ出て、話が終わりません。古い石造りでのストーヴもない部屋での話し合いと試飲には、皆さんが想われる優雅なワイナリー巡りの様子とはほど遠く、気力と体力が要ります。

 ニコラの嘆き(ボルゴ・デル・ティリオ、ニコラ・マンフェッラーリ語る)
 「ねぇ、聞いてください。イタリアでは飲酒運転が禁止になって、レストランでのワイン消費がなくなったに等しい。レストランでワインが売れなくて大変なのです。

 プレス(ワイン・ジャーナリズム)は最悪だ。プレスの間違った評価で厳しい畑仕事をしているコーリオ(丘)の造り手たちの努力は、水の泡だ。祖父の時代、樽売をしていたけれど、平地のブドウと比べ、丘のブドウは倍の価格で取引されていた。この村では、テロワールが場所によって異なり、モザイク状に散らばって、良いテロワールがある。複雑な味わいこそが、コーリオの特徴。フィネスは、訳しにくい。フィネスは、セラーでは造れない。畑でしか生まれない。何を植えるか、どのような栽培をするか、収量をどうするか、バランスよく栽培すればストレスがない。フィネスとは、優れたテロワールで、畑の中で構築されるものだ。

 しっかりと畑で仕事をしないといいワインが造れない。ワインを通してテロワールを知ることが出来る。どうかそのことを力説してほしい。プレスのせいで、ワインについて、会話が正しく成り立たない。(ガンベロ・ロッソは、大手メーカーの助けをする。ヴェロネッリは正しく小さな造り手の仕事を評価している。)

 プレスが、丘の造り手も、平地の造り手も、同じように評価するから、プレスがワインの価格を崩してしまった。その上、大手は、売れなくなると12本に5~6本おまけをつけて売る。この十数年、フリウリの造り手たちは頑張ってきた。良い造り手もたくさん出てきて、いいワインが造られるようになった。プレスも評価して上手くいき始めたと思っていたら、プレスは一斉にシチリアを持ち上げ始めた。大手のつまらないシチリア・ワインが話題を席巻している。フリウリのワインは、振り向かれなくなってしまった。

 僕のきらいな言葉は “naturel”。人が造るものなのに “naturel” なはずがない。自然の中から造れるものしかできない。農業は自然を壊すこと。バランスが取れたエコシステムというのは可能だろうか。食物を得ることは、エコシステムを壊すこと。人工的なことの方がエコロジックを越えるのではないか。僕は、宣伝やpromotionのために、エコロジーを話すつもりはない。エコロジーを宣伝に使う人が多い。例えば、2008年は、ブドウの芽を守るのが大変だった。4、5、6月は雨ばかり。7月も半分雨。どうなるかと思ったけれど、8、9、10月は天候が良くなった。フリウリの自然派の人たちが、もし彼らが話す通りの栽培を2008年にしていたなら、ウドンコ病とベト病のためにワインが造れなかったはずだ。でも、彼らはワインを造っている。

 エコロジーとは、まずevolutionだ。ワインは人が造るもの。人は、自分のために造ればよい。自然のために造るのではない。人のためによい方法を考えているに過ぎない。私たちは、自然の中にいる。自然を守る必要はない。余計なことをしなければよい。」

 日々、畑と真剣に向き合って生きているニコラの言葉には、考えを伝えたいという想いが強く感じられ、実際に時間をかけて話をする大切さを再確認しました。ヴィニタリー会場での「ハロー、グッバイ」では、造り手との交流は出来ないのです。

 今は、列車でNevers(ヌヴェール)からBeaune(ボーヌ)への移動中。ブルゴーニュの旅が続きます。 6月上旬は、いよいよイル・カンタンテのお披露目です。サルヴォ・フォーティが来日します。皆様と一緒にお目にかかれるのを楽しみにしています。

合田 泰子

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