『ラシーヌ便り』no. 32

2008.3.3  合田泰子

 寒さも峠をこえ、ようやく日ざしに暖かさが感じられるようになってきました。 
 2月の9日から25日まで、フランスとイタリアに出張しておりました。滞在中気温が零下に冷え込む日もありましたが、最終地のローマではすでに大変暖かく、4月のような陽気でした。 ブドウの生育が、今年も平均より20日も早く進んでいると聞きましたが、ピエモンテでは雪がたっぷり降ったので、畑の保湿は十分なようです。3月のお便りを差し上げます。

《ディーヴ・ブテイユ》 を訪ねる
 恒例のディーヴ・ブテイユの催しは、映画祭で有名なドーヴィルのカジノを会場に開かれました。ところで、今年の初頭を飾る自然派のイベントは、なんと5か所にも分かれて催されました。
 「ヴァン・パッション」(1月27、28日/リヨン)、「ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオン」 (2月2、3日/アンジェ )、「ディーヴ・ブテイユ」(2月11、12日/ドーヴィル)、「ラ・ルミズ(ラングドック・ルシヨンの造り手が中心となったサロン)(2月11日/モンペリエ)、
「Moguiot モギュイオ」 (旧ディーヴ・ブテイユの一部メンバー)」(2月12日/モンペリエ近く)と、日時も場所も異なります。
 そのため、どのサロンに参加するか、造り手・訪問者ともに頭を悩ませました。純粋志向の運動にありがちなことですが、自然派ワインのイベントのあり方と運営方針をめぐって、生産者間で考え方が衝突し、あげくは例のような分裂騒ぎになったようです。ちなみに、パリの代表的なバイヤーたちはラ・ルミズとモギュイオに出席していました。来年のディ-ヴ・ブテイユの行方はどうなるのか、様々な噂がとびかっています。今年のディーヴ・ブテイユには、初めてシャンパーニュの御大アンセルム・セロスがスタンドに出展し、ジェローム・プレヴォー、ベルトラン・ゴトロ、オリヴィエ・コランも出展ないし姿を見せたため、「セロス組」の4人が勢揃いしました。会場では、多くの生産者たちと近況を述べながら旧交を温めることができ、私にとっても有意義な催しになりました。

《イタリア便り》
1) 時が育てる味/エツィオ・トリンケロ(アスティ)
  エツィオのセラーを訪ね、ともに試飲を重ねるといつも、本人から何度も「うーん、まだ早いなー」という言葉を耳にします。今年は2月19日に、エツィオを訪ねました。この日は夕方になって冷え込みが厳しかったため、用意されていたワインはともかく、セラーから出てきたばかりのワインは、芯から冷えきっていました。 自然派の造り手のばあい、たいていはゼロからの出発のため、簡素ながら必要な機能を備えたセラーと、暖かな田舎家に迎えられるのですが、トリンケロ家は大セラーを備えた邸宅です。19世紀前半にヴィスコンティ家オルナヴァッソ男爵によって建てられた古い農家で、1920年代にセコンドとセラフィーノのトリンケロ兄弟の所有となり、現在のレナート(父)とエツィオ(息子)の代に引継がれています。私はいつもセラーで長時間、おびただしいキュヴェのテイスティングをするのですが、今回はあまりに寒いため屋敷内にある事務所でテイスティングしました。
 エツィオは、イタリアワイン界のこの30年間の大きな変革の渦の中でも自らの進む道を曲げず、ミネラリーで純粋そのもののワインを、あたかも時間が止まったかのようにゆったりと造っています。セラーの中でもボトルの中でもゆっくりと熟成しつづけるエツィオのワインは、まさしく「スロー・ワイン」の典型といえるでしょう。エツィオのワインをよーくご存知の方々から、「驚異的なおいしさ」と最近お電話をいただくのが、スタンダードのブルーラベル《バルベラ・ダスティ2001》。このワインでさえ、収穫から6年以上を経て今ようやく本領を発揮し始めたところです。この価格帯ではありえない、上質ワインのあるべき姿をたのしませてくれます。
 この日テイスティングしたワインは、すべて「これから先何年かかって仕上がっていくのだろう?」というものばかり。 《ヴィーニャ・デル・ノーチェ1999》(2007年11月ビン詰め)は、普段よりもさらに酸が高く、果実味とのバランスがとれるのにまだ1年くらいはかかりそう。《タラーニェ2004》(この年はドルチェットのみで構成)の、まだまだ姿を現さないポテンシャルは恐ろしく高く、秘められた上品さは最上のネビオッロかと思われるほどノーブルな味わいです。今のところ、新たにビン詰めされたワインは当分手がつけられないようです。
 すでに日本に入荷済みの《バルベラ・ダスティ2001》、《バルベラ・ダスティ・スペリオーレ2001》、《バルスリーナ2000》、《ヴィーニャ・デル・ノーチェ1997、1998 》を、どうぞ当分大切にお楽しみください。

2) 新しいご案内/サラッコ(モスカート・ダスティ)
  サラッコの当主パオロ・サラッコ(44歳)は、モスカート・ダスティの名手として熱狂的に愛され、格別な扱いを受けている造り手です。 代々モスカート・ダスティを作るサラッコ家の4代目で、1984年にアルバの醸造学校を卒業しました。父の代までは、そのモスカート・ダスティをタンクごとネゴシアンに売っていましたが、パオロの代になって元詰めを始めました。欧米での人気が高いため、ことさら新たなマーケットを必要としていなかったとのことでしたが、今回ようやく日本市場初入荷が決まりました。 
 「軽やかで、酸と果実味のバランスが良く、爽やかな甘さ」というと、表面的にしかその味わいが伝わらないのが残念ですが、一言でいえば、「センスが良い」ということでしょうか。「ビン詰め後、なるたけ早く飲みきること」というモスカート・ダスティの既成観念を破って、サラッコはビンのなかで熟成を続けるため、あわてずに楽しむこともできます。
 土曜日の昼下がりなどに単独で優雅にグラスを傾けたり、デザートの友またはデザート代わりに味わうというやり方が、私のお勧めです。ティータイムのしゃれた飲み物や、アペリティフとしても、おおいに楽しめますし、桃やイチゴなどのフルーツとの相性も抜群です。 なお、パオロが自らの楽しみのために造っている、少量のリースリングとシャルドネ、ピノ・ネロも秀逸です。
 マット・クレイマーは、『イタリアワインがわかる』(未訳)の中で、次のように述べています。
 「私にとって、モスカート・ダスティ最上の生産者は、パオロ・サラッコである。私の知るかぎりでは、サラッコのモスカートは、テクスチュアの濃密度と空中に張り渡されたロープのような優雅さを漂わせるという点にかけては、誰よりもキオネッティ夫人の作にちかい。味わいはすなわち、濃醇で密度が高く、フレッシュで純粋。サラッコは、モスカート・ダスティのベンチマークとなる生産者である」

3) イタリアの伝統の未来に向けて/レ・コステが船出
AZIENDA AGRICOLA LE COSTE DI GIAN MARCO ANTONUZI 
CLEMENTINE E GIAN MARCO

 「昨年のイタリア便り」のなかで塚原が、L.C.という頭文字でお知らせした生産者が、いよいよくっきりと姿を現しはじめました。生産者(会社)名は、《レ・コステ》で、正式にはレ・コステ・ディ・ジャン・マルコ・アントヌツィ。所はイタリア中部で、オルヴィエートから車で1時間足らず、ボルセーナ湖の近傍にある内陸地のグラードリ。イタリア人のジャン・マルコと、フランス人のクレマンティーヌというカップルが、あらたに開いた3ha強の土地で、妥協を排しながらも実験精神にあふれたビオディナミ流を追い求め、尋常でない才能と努力をかたむけています。
 おいしく楽しいワインが目に浮かぶ、ジャン・マルコとクレマンティーヌの明るい未来。 2007年秋、ほんのわずかだけ彼のファースト・ヴィンテッジが入荷いたしました。これから少しずつ、美しくておいしいワインが届きはじめます。思い出しただけでも、心がわくわくしてきそうな畑、セラーと、ジャン・マルコ本人。まだまだ植えたばかりゆえ、気の遠くなるような話ですが、間違いなく本格的な大型新人の登場です。
  ローマっ子のジャン・マルコは法律を学び、その頃はまだ手が届く価格であったエドアルド・ヴァレンティーニを、毎日のように楽しんでいたそうです。優しいまなざしの中に、鋭さを秘めたジャン・マルコは、コルビエールでワインを造っていたクレマンティーヌとともに、父上の出身地にもどりました。グラードリの村でワイン造りをする決心をしたのは、景勝地として名高いボルセーナ湖に臨む父方の故郷には、素晴らしいテロワールがあり、牛・ロバ・馬・羊を育てながらのブドウ栽培ができる環境があるからでした。そうです、彼は自前のプレパラートでビオディナミを実践し、セラーの奥に接する理想的な冷涼な洞窟の中で、自然派の極致ともいうべきワインを造ろうとしているのです。ワイン造りは、ジャン・ダール、パカレ、リナルディ、ディディエ・バラル、ジェラール・シュレールで学び、サンジョヴェーゼの苗は、ジョヴァンナ・モルガンティとジャンフランコ・ソルデラから、アレアティコはマッサ・ヴェッキアから入手。畑の1/3はヴィーニュ・フランセーズと聞いただけで、興味をもたずにおられるでしょうか。
  2002年に初めて彼に出会って以来、私は「あなたがワインを造ったら、一番に知らせてね」と言い続けてきました。ブルーノ・シュレールから「彼はまだ植えたばかりだから、当分ワインは出てこないよ」と聞いていましたが、2006年に近隣のブドウを分けてもらって、ロッソ、ビアンコと甘口ワインを一樽づつ作ったと聞き、まず塚原が昨年6月に飛んでいきました。奥行き30mもある洞窟には、リナルディから譲り受けたスラヴォニアン・オークのボッテが二つと、パカレから譲り受けた600リットルの樽、大小さまざまな実験的なキュヴェが控え、ワインはいずれも不思議なほど還元臭や酸化香の片鱗すら感じさせない、優しく美しい味わいです。
  なお、フラン・ピエ中心の畑でブドウの生育に年月がかかるため、本格的な生産はこれからですので、楽しみにじっくりお待ちください。

合田 泰子

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