2007.3 合田泰子
寒さも峠を越え、ようやく日ざしに暖かさが感じられるようになってきました。テイスティングルームの片隅にある胡蝶蘭も、2度目の小さな花を付けはじめ、オフィスを和やかにしてくれています。3月のお便りを差し上げます。
【フランス編】
《ディーヴ・ブテイユ》 in ル・アーヴル
2月上旬、恒例のロワールの催しに行ってまいりました。この十年のロワールの「サロン」の変遷は、そのままフランスの自然派/ニコラ・ジョリー率いる 《ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオン》の発展の歴史そのものです。
1987年に始まる《サロン・デ・ヴァン・ド・ロワール》の一角で、Vinibegood(ヴィニ・ビ・グッド)という自然派を中心に扱うナントのネゴシアンのブースを中心にして、マルク・アンジェリ、ギー・ボサール、ピュズラ兄弟ら十数軒のロワールの自然派生産者たちが出展していました。1999年に カトリーヌ・ブルトンとジャーナリストのシルヴィー・オジュロが事務局となって、サロンが始まる前日に、番外編として、ブルグイユの洞窟のなかで 《Dives Bouteille》(真正なワイン。フランソワ・ラブレーの「徳利大明神」にちなむ)の会が始まり、アンジェリ/ボサール/ピュズラらをはじめとする全国の自然派の造り手が、ここに集まるようになりました。結果的には2005年、多くの作り手がサロンへの出展をやめてしまいました。INAOが主催する、 巨大パヴィリオンでのフェアーには、出展する意味がなくなったからです。他方、彼ら《ディーヴ・ブテイユ》の志を表す催しのサブタイトルは、年とともに意気盛ん。“Vignerons vous invitent a deguster leurs vins sans artifices”「人工的な手管を排して作られたワインを味わう会(へのお招き)」から、“Vinerons en voie d’extinction” 「絶滅途上にある造り手たち」に変わり、さては、“Vous aussi, venez visiter les vignerons indigenes dans leur grottes”「さあ、あなたもワイン原人に会いに彼らの洞窟までいらっしゃい」と、ヴォルテージは上がる一方です。
一方、第1回ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオンが、ヴィネクスポ2001年の開催期間中、同じボルドーで始まりました。この二つの会(ディーヴ・ブテイユとルネッサンス)が、2005年、ドメーヌ・クレール・ド・セランに於いて初めて共催され、2006年はアンジェ城で行われました。しかし、今年 2007年、両派は対立ではなく哲学の違いによって袂を分かち、別の日程の異なる場所で催しを行いました。ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオンは2月4日アンジェに、ディーヴ・ブテイュは2月12、13日にル・アーヴルに結集しました。さて、今年のディーヴ・ブテイユには、初めてジェローム・プレヴォー、 ベルトラン・ゴトロ、アリス・エ・オリヴィエ・ド・ムールも参加しただけでなく、そうそうたる造り手が全国から集いました。日本からの熱心なファンや業界人も含め、連日多くの来場者でにぎわっておりました。
ル・アーヴルに移ったのには、理由があります。2006年から港都ル・アーヴルのドックにて、ヨーロッパの第一級のシェフを束ねた、フード・フェスティヴァルが開かれるようになりましたが、これにあわせて隣接するドックで、ディーヴ・ブテイユが開かれるようになったのです。シルヴィー・オジュロの目的は、一流のレストラン関係者にディーヴ・ブテイユの造り手たちとそのワインを知ってもらうことにあったようです。会場ではアリス・オリヴィエが、「もし、この十年、日本のインポーターたちが私たちを支えてくれなかったら、ここにいる半分の造り手は今日存在しない」と断言していました。たしかに現在、自然派の生産者にとって日本のマーケットは、大変重要な市場となっています。そのうえ更に、ヨーロッパとアメリカ市場において、自然派ワインの素晴らしさが認められるとしたら、造り手にとっては大いに喜ばしいことです。私も常々、日本市場が中心になって自然派ワインを支えるのは負担が多すぎる、と生産者に公言してまいりました。けれども、「自然派ワインが新市場で大きく認められ、日本市場にあまり入荷しなくなったとしたら、寂しいな」というのが、今の私の実感です。さて、多くの自然派ワインは、日本以外の既存大マーケットに、はたして通用するでしょうか。彼らの実力が問われる状況に立ち入ったように思える昨今です。
【イタリア編】
フランスの二つの催しの間に、駆け足でシチリアのエトナにあるI Vignieri(イ・ヴィニエリ)とBenanti(ベナンティ)社を訪ねました。エトナの標高700mから1200mに点在する畑には、樹齢が50年 から120年、なかには150年を越える古樹もあります。この宝の山のような畑を求めて、トスカーナの大企業家とワイン人(トリノーロやコタレッラ、マルク・ ディ・グラツィア)や、異分野からのフランク・コリネリッセンなど、外部からの作り手の参入が著しいエトナ一帯です。新しいワイナリーが次々と誕生し、様々な情報も交錯するなか、ワインと人とワイン造りの実像を確かめるために、カターニャに参りました。
「エトナ人のエトナ人によるエトナの大地のためのエトナワイン」
誰よりもエトナのワインを知る人と評される、
サルヴォ・フォーティが造るエトナの真髄『ベナンティ』
Salvo Foti サルヴォ・フォーティが造るI Vigneri イ・ヴィニェーリ をご紹介して、4年目のヴィンテッジになります。サルヴォはエトナ大学で醸造学を研究・指導するかたわら、シチリア東部の代表的なワイナリー2社のコンサルタントを長年務めています。その一方で、2haほどの自分の畑から産するワインは、500リットルの古樽で発酵させた、伝統的な醸造法によるものです。サルヴォ自身のワインに導かれて出会ったのが、ベナンティ。そこのロヴィテッロ、セッラ・デラ・コンテッサ、ビアンコ・カセッレは、ラシーヌの定番として、またレストランでの人気商品として、すっかり育ってきました。
1980年代、サルヴォはシチリアの著名なワイナリーで働いていましたが、そこでは自分の志すワイン造りが実現できないまま、エトナで「洗練された古典的な味わい」のワインを生み出す可能性を求めていました。1988年、国際的な製薬会社を営むベナンティ家が、先祖から伝わるワインビジネスを再興するにあたり、ワイナリー建設のすべてを一任されました。ベナンティ家が入手した古樹の畑から最上のエトナ・ワインを造り出す、というまさに彼の理想を実現する機会がめぐってきました。十分な資力を背景に、柔軟で聡明なオウナーの信頼のもとに生まれたのが、サルヴォ・フォーティが造るベナンティなのです。
ベナンティの味わいの特徴は、イ・ヴィニェーリのスタイルにも通じるものです。過度の抽出による極端に濃厚な色合いと、コンセントレーションの強い味わいという、「近代的」なサイボーグもどきの各種シチリア・ワインとは、まさに正反対のスタイルのワインです。自然な果実味が立ちのぼり、洗練された上品な味わいのなかに、エキスがしっかりと保たれています。私たちも最近、ますますその魅力を実感しています。
サルヴォ語録(最近の会話のなかから)
「いろんな造り手が当地にどんどん進出してきているけれど、多くのワインはエトナの伝統的な味わいではない。栽培方法も、自分たちのところではギュイヨで木の支柱で支えて仕立てているけれど、見てごらん、この畑も、あの畑も、コルドンだろ。エトナの伝統ではない。私が造りたいのは、洗練された古典的な味わいをしたエトナワイン。未来に遺すエトナの伝統のため、私は今もブドウを植える。私と一緒に働く仲間は、みなエトナ出身の人ばかりだ。エトナ人によるエトナ人のためのエトナの大地のためのエトナワイン。これが私のワインだ。」リンカーンのゲティスバーグ・アドレスのような、エトナワイン宣言でした。
ラシーヌでは、従来のラインナップに加えて、Minnella(ミネエッラ種、白ブドウ)、Lamoremio(シャルドネ、カリカンテ種) 、Verzella(ネレッロ・マスカレーゼ種、赤ワイン)、Edelmio(カベルネ・ソーヴィニョン、ネレッロ・マスカレーゼ、ネロ・ダヴォラの混 醸)、グラッパが5月に入荷いたします。5月のご案内を楽しみにお待ちください。ルク・ ディ・グラツィア)や、異分野からのフランク・コリネリッセンなど、外部からの作り手の参入が著しいエトナ一帯です。新しいワイナリーが次々と誕生し、様々な情報も交錯するなか、ワインと人とワイン造りの実像を確かめるために、カターニャに参りました。