ドイツワイン通信 Vol. 27

ドイツワインの甘みをめぐる雑感

2014.1    ワインライター 北嶋 裕

 いまさら言うのも何だけれど、ドイツワインの魅力は甘み、酸味、ミネラリティのバランスにある。中でも甘みが無ければ、テロワールを表現したリースリングはあまりに禁欲的で、さながら謹厳な教師か修行僧のようでとっつきにくいことだろう。一方リンゴ、洋梨、グレープフルーツ、桃、アプリコットやパイナップルなど、様々な果実を思わせる自然な甘みは、誰にとっても素直に美味しく親しみやすい。ドイツワインはわかりやすく初心者向き、と言われるゆえんではあるが、甘みを抜きにしてドイツワインは語れない。今回はドイツワインの甘みについて少し見直してみたい。

冷涼な気候の造り出すバランス

 地中海沿岸からフランスにかけてもソーテルヌ、ヴィンサントやポートなど、気候と伝統に培われた様々な甘口があるが、それらは地域的に限定された特別なものだ。しかしドイツワインには生産地域や葡萄品種にかかわらず、辛口から極甘口まで幅の広い甘みのヴァリエーションがある。一応の目安としてトロッケン、ハルプトロッケン、ファインヘルブなどの残糖度による区別はあるけれど、それらはワインの糖分だけを基準にした形式上の区分なので、ドイツワインをかえって複雑にしている面があり、近年はあえて表記しない醸造所が増えている。つまりカビネット、シュペートレーゼといった肩書きを名乗っていれば甘口で、それがなければ辛口からオフドライというスタンスだ。実際、酸味が強ければ糖度が高くても辛口に感じるし、エキストラクトが多ければ酸味の角がとれてマイルドに感じられる。テロワールの表現を目指す生産者にとって残糖値はバランスを追求した結果にすぎない。

 ワインのバランスは収穫のコンディションに左右される。温暖化が進みワイン用葡萄の栽培可能な地域が北上しつつあるとはいうものの、ドイツは地中海沿岸地域に比較すれば、その年の気候条件の影響を受けやすい。モーゼルを例にとると上流の年間降雨量は約900mmで、地中海性気候の600mm前後よりもかなり多い。一方日照時間は約1370時間と、南ドイツはバーデンの約1700時間に比べてもかなり短く、年間平均気温は上流で9.1℃でバーデンの10.5℃、勝沼の13.8℃よりも低い。これだけ雨が多く日照時間が少なくて冷涼という厳しい環境では、急斜面のスレート土壌が良質なリースリングには欠かせない。つまり急斜面で栽培することで、より多くの直射日光が葉に当たるとともに、過剰な雨水は斜面を流れ落ちる。さらにスレートが陽光を反射して光合成を補い、昼間に吸収した太陽熱を放出して夜間の冷え込みを緩和し、表土の上から蓋をするようにして土壌に浸透した水分の蒸散を防ぐのである。このようにドイツの栽培環境は限界に近い状況の中で営まれている為に、葡萄の成熟具合はその年の天候の影響を受けやすい。

葡萄の状態が決めるドイツワインのスタイル

 例えばリースリングの果皮は熟すに従ってエメラルドグリーンから金色になり、やがて赤っぽい褐色へと変化する。そして9月以降の湿度と気温によって、ボトリティスなどの黴が次第に、あるいは一気に蔓延する。晴天が続けば健全に完熟し、夜間の気温が下がらなければ酸度が高く留まり、貴腐菌が繁殖すれば香味にその特徴が現れ、悪質な黴や腐敗が広がれば生産量と質が下がる。そして葡萄は均一に熟す訳ではなく、畑により、畝により、樹ごとに、さらに房ごとに成熟状況が異なっているのが普通だ。志のある生産者は一房ごとに葡萄の状態を見極めながら収穫し、果汁の性質に応じて別々のワインに仕立てている。

 緑色を帯びた葡萄はスッキリとして爽やかな酸味が持ち味の、繊細で明るく素直なワインとなる。醸造所のハウスワインか土壌や産地にちなんだ商品名をつけたワインか、甘口ならカビネットとしてリリースする。健全に完熟して金色に染まった収穫は、葡萄畑のポテンシャルを表現した芳醇な辛口系か、新鮮なリンゴや桃の甘い香りに満ちた、健康的で豊満なシュペートレーゼに向いている。そこに若干の貴腐果粒が混じるとワインに陰影が加わり複雑さが増す一方で、酸味が後退し輪郭が崩れはじめる。辛口系に仕立てるのはここまでが限界で、これ以上熟したり貴腐がすすむと甘口にされる。

 貴腐果粒の混じる過熟気味の収穫は、南国の果物の香味あふれる爛熟したアウスレーゼにふさわしい。貴腐の割合が増えるほどに複雑さと厚みを増して、金糸を用いた緞帳のようなベーレンアウスレーゼとなる。さらに乾燥した貴腐果粒から極上のエッセンスのような、精妙さと濃厚さを兼ね備えたトロッケンべーレンアウスレーゼが出来る。そうそう、アイスヴァインを忘れてはいけない。氷点下7℃を下回る極寒の中を樹上で凍結した葡萄を収穫して凍ったまま圧搾するので、果汁の約9割は氷として圧搾機に留まり、凝縮されたマストが得られる。直線的で澄んでいて、力強く太い酸味と濃密な甘みのエッセンスが口中で爆発的に広がるが、優れた葡萄畑のアイスヴァインには土壌に由来する香草のような精妙なニュアンスと奥行きがあり、平地の葡萄畑で大量生産される廉価なアイスヴァインとは一線を画している。

 残念ながら現在のドイツワイン法では一定の果汁糖度基準さえクリアすれば、それぞれの肩書きを名乗ることが一応出来ることになっている。1971年のドイツワイン法以前は上記のような葡萄の状態に応じて造り分けていたものが、明文化することで却って本来の意味が見失われ、質の低下を招いてしまった。ワインの質は糖度だけでは計りきれない。葡萄の状態を生産者が見極めた結果が辛口であり、オフドライであり、甘口といったワインのスタイルであり、それは分析値ではなく官能で把握されるべきバランスなのだ。

醸造における死と再生

 周知の通り、葡萄果汁に含まれる糖分は発酵によりアルコールと二酸化炭素に分解される。生産者はそのワインのあるべきバランスに到達したと判断した時点で冷却して発酵を停止するか、そのまま自然に酵母が活動をやめるまで見守る。圧搾された直後のリースリングの果汁は確かに甘いが泥臭い。しかし清澄作業を経て発酵が始まるとともに、すり下ろしたリンゴの様なフルーティなアロマを生じ、やがて樽やタンクの中で桃や洋梨、熟したリンゴなど、様々な果実の香りへと移行し、瓶熟を経てさらに磨かれて美しくなる。単なる葡萄の果汁から心地よく酔うことが出来て、かつ長期保存の可能なワインという酒へと変貌を遂げるのは、やはり神秘的と言うより他はない。

 それは酵母の命と引き替えに得られた性質であるが、とりわけ糖度の高い果汁の中では浸透圧で細胞内から水分が吸い出されないよう、彼らはグリセリンの被膜を作って自らを守ろうとする。貴腐ワインやアイスヴァインがしばしば粘性を帯びているのは、極限状態におかれた酵母が生き延びようとした葛藤の名残りなのである。過酷な状況の下で発酵は遅々として進まず、リリースに必要な最低アルコール濃度5.5%に達するまで3年以上かかることもある。ソーテルヌの最低アルコール濃度が13%であるのに比べると、ドイツワインの甘口はほとんどが9%未満と控えめだ。

 「甘い誘惑」とはよく言うが、ドイツワインの甘みは堕落ではなく悟りへと人を導くように思われる。つまりアルコール濃度が低く、純粋で、精神を活性化させる働きがある。そうした性質はしかし自然任せで生まれるものではなく、極限まで追い詰められた状況から最善の結果を引き出そうとする、強靱な意志と行為あるいは忍耐から生み出されたものだ。その意味でドイツワインは、やはりゲルマン的な精神の産物であるように思われる。

(以上)

北嶋 裕 氏 プロフィール:
ワインライター。1998年渡独、トリーア在住。2005年からヴィノテーク誌にドイツを主に現地取材レポートを寄稿するほか、ブログ「モーゼルだより」(http://plaza.rakuten.co.jp/mosel2002/)などでワイン事情を伝えている。2010年トリーア大学中世史学科で論文「中世後期北ドイツ都市におけるワインの社会的機能について」で博士号を取得。国際ワイン&スピリッツ・ジャーナリスト&ライター協会(FIJEV)会員。

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